08 依頼

 早朝に目を覚ましたシーヴは、使用人が暖炉の火を入れにきていることを知った。

 成程、人の気配に気づいたのだろうと納得し、だが客人を起こしたと知れば使用人は気まずい思いをするだろうとそのままの体勢を保った。仕えられる立場にも、それなりの気苦労があるのだ。

 使用人が扉の外に消えると彼は身を起こし、まだ温みの回りきらない空気に少し身を震わせた。

 目覚めて、隣に誰もいない朝というのは久しぶりだ。

 エイラが隣室で感じたのと同じように、シーヴもまた少し寂しいような感覚を覚え、自嘲した。

 寝台を降りると、いささか情けなくも火に当たりながら着替えをする。それを済ますと、我が儘なことに、今度は空気が籠もっているように感じられた。シーヴは窓に近寄り、掛け布を引いてそれを少し開ける。

 早朝の空気は冷たいが、心地よい。寝起きのぼんやりした身体に、ほどよい刺激だ。

 そうして二階の窓から外の景色を眺めると、目の端に動く姿が入った。

(エイラ)

 眼下に〈翡翠の娘〉の姿を見つけたシーヴは笑いがこみ上げるのを覚えた。

(何だか、ミィみたいだな)

 娘があちらへうろうろ、こちらへうろうろするのを見ていたシーヴはそんな感想を抱く。

(朝っぱらから、何をやっているんだか)

 不意に彼女はぱっと顔を上げ、周囲を見回した。どうしたのだろうと見ていると、城柵の方へ寄っていく。その先には、ひとりの人影があった。

 見ていると男は彼女に話しかけている様子で、はじめは警戒していたらしいエイラもすぐに打ち解けたのか、柵越しに何やら会話を続けているようだ。

(誰だろう?)

 シーヴは首をひねり、おかしな男に絡まれてるのでなければいいが、などと考えた、そのときだった。

 男から差し出された袋のようなものを受け取り、その中身を取り出した娘は――突如、その場にくずおれた。

「エイラ!」

 一語、短い彼女の名を叫び終えぬ内に、彼は自身の目を疑うことになった。

 そこに――エイラの姿は、ない。

 あるのは、戸惑ったようにその場に数トーア留まった男の姿。しかし男はいつまでもそこにはおらず、ばっと背を向けて走り去る。

 シーヴもまた、いつまでもそれを見続けてはいなかった。

 彼は素早く踵を返すと客室を飛びだし、慣れぬ城内、外に出る戸口の位置を思い返しながら屋内にあるまじき速度で走った。

「どう、されたのです!?」

 行き合った警護の兵の声に足を止めるべきかシーヴは逡巡し、先に見た場所に行き着いてもそこには誰もいないのだと思い至ると、兵に顔を向けた。

「町へ行ってひとりの男を手配しろ。大柄で、大剣を帯びていた。見るからに戦士キエスという容貌だ。髪は灰色、年齢は三十代前半くらいだろう」

「あの、セル?」

 町憲兵レドキアは戸惑ったようだった。シーヴの声は明らかに命令に慣れていたが、この町憲兵はカーディル城の守護兵の役割を持っているのであって、客人の命令に従うべき謂われはないのだ。彼に命令できるのは、町憲兵隊長レドキアルとゼレット伯爵だけである。

「いいから行け! 閣下には俺が話す。閣下はどこだ、まだおやすみ中か!?」

 町憲兵はまた迷うが、シーヴの鋭い視線を受けてゼレットはもう執務室にいることを彼に告げた。もう一度シーヴが「リャカラーダ」調で命令を下すと、町憲兵は反射的と言った様子で敬礼し、ようやく青年に背を向けた。この町憲兵が彼の隊長に諮る手間をかけなければいいが、とシーヴは苦々しく思いながら言われた部屋へと歩を進める。

「失礼、伯爵閣下」

 その扉を乱暴に叩くと、シーヴは返答も待たずにそれを開けた。

「これは、シーヴ殿セル・シーヴ。お早いですな」

 ゼレットはその姿に驚いたようだったが、何も言わずに朝の挨拶をした。シーヴはそれを遮るようにして、伯爵の卓の前へ大股に寄る。

「エイラが消えた」

「何?」

 当然、ゼレットはシーヴの言う意味が判らない。

「彼女は外にいて、見知らぬ男から何かを受け取ると――消えた」

「何を……言われる?」

 ゼレットの目に警戒の色が浮かぶ。それは、シーヴの言葉がエイラの危難を示していると知ったからだが、青年には自身が疑われているように取れた。

「ああ、クソッ。んだ、文字通り! 魔術だか何だか知らん、だが彼女はいなくなって男は逃げた。町憲兵に男を手配させたが、閣下からも指示してくれ。俺も町へ行って奴を探す」

「待て、セル」

 ゼレットは立ち上がり、「待て」との言葉でシーヴを留めるのではなく、自身が彼のもとへ走り寄った。

「私も行こう。もう一度、いまの話を聞かせてくれ」

 町憲兵は、朝から隊長を叩き起こすことを嫌がったが、かと言って重大事かもしれぬことを疎かにして責任を取らねばならないことを怖れでもしたのだろう、町の詰め所で仲間たちにシーヴの話を伝え、彼らは半信半疑で捜索を開始していた。

 だがそこにゼレットが現れて厳しく命じ直したものだから、当番ではない町憲兵たちも駆り出され、まだ市場くらいしか稼働しておらぬ朝のカーディルをちょっとした騒ぎに巻き込んだ。

 シーヴは、本当を言えばひとりで走り回りたかったが、何かが判れば報告はゼレットのもとにくる。そう考えて自分を抑えた。

「――閣下」

「どうされた」

「何故、俺の言うことを信じた?」

 シーヴにしてみれば、有難いが奇妙な話だった。見知らぬ旅人を城に招いて歓待するまでならただの物好きな伯爵様と言うところだが、彼の「戯言としか思えない」ような発言を真に受けて町憲兵を総動員する。

 余程のお人好しならばともかく、ゼレットはそういう性格には見えない。

「信じては、いかんかったか?」

 ゼレットは肩をすくめる。

「貴殿がエイラを本気で心配していることは判る、シーヴ殿。私にあのような嘘をついても何の得にもならぬだろうし、彼女のような美しい女性が拐かされた――というのとは少し違うようだが、そのようなことを聞いて黙って座しておられる私ではないよ」

 ゼレットが「エイラ」に敬称をつけなかったことにシーヴは気づいたが、黙って首を振った。

「礼を言う」

「何の。礼など、彼女が見つかってからでよい。いや、彼女が見つかればそれだけで充分、礼など要らぬ」

 その言葉は表面通りにも取れ、深くを読むこともできた。だがそれについて考えるのはあとだ、とシーヴは思った。

「閣下!」

 背後に現れた町憲兵に、ふたりは同時に振り返ると異口同音にどうした、と叫ぶ。

「怪しい男を捕まえました!」

 やはり同時に、ふたりの男は案内を命じた。伯爵閣下と旅の青年としては少し不自然な同調であったが、シーヴはそんなことにはかまっていられず、ゼレットもまた、シーヴの命令に慣れた様子に気づいたとしても何も言わなかった。

 聞くところによると、男は少し抵抗しかけたようだったが、町憲兵に囲まれたことを知ると苦い顔をして大人しく捕らえられたと言う。

「この男か、セル」

「――ああ」

 シーヴが確認すると、ゼレットはうなずいて憲兵に非常線の解放を告げた。ふたりの兵を残し、あとは通常の業務に戻れと言ったのである。

 伯爵はそのまま男を詰め所まで連れていく手間をかけず、すぐ隣にあった宿屋〈黄花の種〉亭の主人を起こすと、隣室に客のいない一部屋を提供させた。捕縛した男を敷物ひとつない床に座らせ、兵を戸の内にひとり、外にひとり、配置する。

「さて」

 ゼレットはじろりと男を睨んだ。

「何者だ」

「な」

 男は目を白黒させた。

「何なんだ、これは。突然、こんなふうに捕まえて。俺は、こんなことをされる覚えは」

「ないと言うのか。お前があの娘に何かを手渡したところを誰も見ていなかったと思うのか」

 ゼレットが言うと、男は明らかに動揺した。

「それが、罪になるのか。俺は、依頼を受けただけだ!」

「依頼、だと」

 伯爵は剣呑な顔をした。

「誰の依頼だ、お前にラルを出すのは何者だ」

「知らねえよ」

 男はふてぶてしく言った。

「報酬さえもらえれば、あいつらが何者かなんて」

「嘘だ」

 伯爵の背後できっぱりとシーヴは言った。

「こいつは、隠しごとをしてる」

「同感だな」

 ゼレットは屈強な戦士の胸元をぐいっと掴んだ。

「言え」

「し、知るもんか」

「強情を張ると痛い目に遭うぞ」

 迫力のある声に戦士の顔から少し血の気がひいた。

「閣下」

 シーヴが呟くように言う。

「この男は、カーディルの法を犯しましたか」

 シーヴの台詞にゼレットは片眉を上げる。

 生憎とそうではないのだ。この男の言った通りである。その言葉を信じるならば、彼は依頼を受けて、彼女に何か――おそらくは、魔法の品――を渡しただけ。どんな法の隅々までをつついても、この戦士を公的に捕らえることはできない。それは、こうして男を捕らえ、尋問をしているふたりにはになるはずであったが――。

「そうではないのなら、いま行われているのは裁きのための尋問ではないですね」

 ゼレットはここで、青年の言わんとすることを理解した。

「そうだな」

 伯爵は、戸の近くに立っていた町憲兵に外に出るように仕草をし、兵が従うと見ると、目前の男を捕まえていた腕をぱっと放す。と思う間もなく、シーヴがその位置に取って代わった。いつの間に取り出したか、その右手には小さな刀子が光る。

「知らぬと言うか、これでも」

 左手で男の襟首を掴み、そのすぐ近く――喉元にやいばを当てた。

 男は逃れようとする。どう見ても、男よりもシーヴの方が体格は小さい。いくら捕縛されていても、命の危険を覚えた男が本気で抵抗すれば、いかにシーヴが怒りのために生来以上の腕力を奮わせたとて、敵わぬだろう。

 力を入れかけた男は、だが諦めるように吐息をついた。浅黒い肌を持つ青年の背後で、伯爵が音もなく細剣を抜いていたのを目に留めたのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る