07 隠されている

 ――カーディル城の翡翠ヴィエルは隠されている。

 ゼレットはそう言い、確かにエイラもそれを感じている。

 また、ゼレットは翡翠は失われたとも言ったが、エイラはそれを否定した。

「見えないだけです、ゼレット様。翡翠は、この城にあるんです」

 客室をもうひとつ用意してもらったことをシーヴに告げたエイラは、安心したのかがっかりしたのか自身でも判別がつかないような顔をする青年を残して隣室へ荷を運び、夜着でない服に着替え直すとその足でゼレットの執務室に向かった。

 待っていた伯爵はエイラが着替えたことに不服を申し立てたが、ただでさえ油断ならないゼレットの前でいつまでもあんな格好をしていられるはずがない。エイラは伯爵の不満を無視した。

「見えない、だと?」

 ゼレットは不審そうに眉根をひそめた。

「俺の知らぬ隠し金庫でもあるのだ、と言われた方がまだ納得できる」

 カーディル城の主はため息をついた。

「魔術か」

「の、ようなもんです」

 エイラは肩をすくめた。

「悪い魔術じゃありません。なんて言っても、ゼレット様には判らないでしょうけど」

 しれっとエイラが言うと、伯爵はうなった。

「そうだな、俺は魔術に関しては無知だ」

「す、すみません、生意気言って。本当のことを言うと、俺だって大して魔術のことは知らないんですよ」

 伯爵があっさりとそれを認めたためか、却ってエイラの口からは謝罪が出た。

「だが、翡翠に関しては第一人者だな?」

「そうだといいんですけど」

 エイラは肩をすくめた。

「変な言い方なのは判ってますけど、俺は知っているのに……判らないことがたくさんあるんです」

 ゼレットは片眉を上げ、エイラは例の〈目隠し〉について話をした。

「何とも奇妙な話だな」

 ゼレットは、判った「ふり」をするつもりはないようだった。

「魔術的すぎる。俺には知れぬ世界だ」

「俺だって」

 似たようなものだ、とエイラは言いかけたが、それでも彼女はそのただなかにいる。知れない世界、では済まされないのだ。

「とにかく、俺は翡翠の場所を探します。そのあとで、ゼレット様に力を貸していただかなくちゃならない」

「何でもしよう」

 ゼレットはこともなげに言った。だがエイラは、簡単に言わないでほしいなどと抗議はしなかった。彼女がどんな困難なことを頼んでも、この伯爵閣下はきっと手を貸してくれるだろうと思っていた。

 それが〈守護者〉の「本能」のようなものなのか、それとも、あまり考えたくない理由のためなのか、エイラはやはり――考えたくなかったが。


 探す、と言った。

 翡翠の声は確かに彼女の内に響くのに、確かにこのカーディルにあると告げているのに、その在処はどうにも曖昧だった。

(失われた。隠されている)

 それについて、判ったアリシャスと感じた瞬間が確かにあったのに、次の瞬間には何が判ったのか判らなくなっている。答えは蜃気楼のように遠くに浮かび、消える。

 温かくされた寝台で闇に目を凝らしても、見えるものは何もなかった。

 ただ、この何月もずっと隣で耳にしていた青年の規則正しい寝息がないことが少しだけ寂しく思え――それはやはりあまり嬉しくない考えに行き着きそうで、不安になっているだけだ、と思うことにした。

 しかし、夜のなかで彼女の頭に浮かぶのは、必ずしも翡翠のことだけではなかった。

(ゼレット様)

(気づいた──気づいてくれた。俺に)

 正直なところ、戸惑いもある。だが、もっと正直なところを言えば、ただひたすらに嬉しいという思いがあった。

 エイラの姿であってもその中身が「エイル」であると気づいた上、躊躇いなく受け入れ、エイル少年に対するのと何ひとつ変わらぬように接してくれた。伯爵が無理をしているのでないことは信じられた。たとえば、本当は不気味に思うのにそれをひた隠しにしているだとか、そう言った様子はない。

 彼があまりにも簡単に受け入れた、これはゼレットの性格であるとしか言えなかったが、その出来事は気づかぬうちに涙がこぼれたほどにエイラを──エイルの心を動かしたのだ。

 もちろん、それでもやはり「彼」は「少年」であったから、感動のあまり伯爵の胸に飛び込むようなことはない。ただ、エイラでありエイルである自分に何の恐怖も疑問も抱かぬ人間がいてくれることに、信じられないほどの安堵を覚えていた。

(まあ、もう少しくらい驚いたり、おかしく思ってくれないと)

(俺の方が驚いちまうけどさ)

 くすくすと笑いが洩れた。こんなことは、久しぶりだ。いや、眠らぬ夜を送るようになってから、初めてのことだったかもしれない。

 不安と恐ればかりが渦巻く夜を過ごし出すようになって以来、自嘲の入らぬ笑みが浮かぶことなどなかったのだ。

 そんなふうに思いをたゆたわせながら時間が流れれば、ようやく太陽リィキアがのんびりと東から光を差し込む。そうなれば、今朝はひとりだ。シーヴの起床を待たずとも起きることができる。

(この方が楽じゃないか)

 エイラはそんなことを考え、むくりと起きあがった。

 厨房へ行けば、そろそろディーグやほかの面々が仕込みを開始する頃だろう。エイル少年ではない彼女はそこへ行く訳にいかないが、それでも何となく部屋を出る。

 一晩中ずっと探り続けても、翡翠のは判らない。

 アーレイドでは、それが「宝物庫にある」とシュアラに聞いて知っていたが、そうでなくてもどこにあるかが判らなくて困ることはなかっただろうと思う。

 隠されている。

 誰が隠したのか?

 それは、最初から隠されていて、六十年ごとにリ・ガンが見つけなければならないのか? それともそれが必要なのはこの年――前回のときには誰も訪れなかったと言うから、前の〈変異〉の年だけで、もしかしたらそうしなければならなかったのはエイラではなくクラーナだったのか?

 そんなことを考え続けても答えはやはり出ない。

 まるで残り香でも探すように、エイラは早朝のカーディル城内をうろつきはじめた。

 そうやって目的もなく歩く──当人にはあるのだが、そうは見えないエイラの姿を目にした警備の町憲兵レドキアや使用人たちは、たとえ何かを思ったとしてもそれを面には表さなかった。彼女はゼレットの客であるからだ。

 ひと巡りして、エイラは息をついた。どこかにあるとして、近づけば判るかと思ったが、そう言うものでもないようだ。

 カーディル城内にあることは間違いないが、何か考え違いをしているのだろうか?

 エイラはそんなふうに思いはじめた。

 たとえば──館の外。

 城柵の手前ならば、外から見ればカーディル城内だが、城のなかではない。

 それはなかなかいい考えのように思え、エイラは太陽リィキアの昇りだした、しかしまだまだ寒い空気のなかに出て行った。冬枯れの小さな庭園──アーレイドの華やかなものとは全く異なり、それは菜園とでも言う表現の方が近かったかもしれない──や用具小屋、伝書ルワクの小屋などがあるそのあたりを散策、或いはし出す。

 風が冷たい。

 エイラは身を震わせた。

(どこにんだよ?)

 文句のひとつも出るというものだ。

(人をこうやって寒空の下)

(うろうろと動き回らせ──)

 ふっ──と彼女の脳裏に閃くものがあった。

(動く)

(もちろん、ここにある玉は動かない。クラーナの言う……不動玉だ)

(でも)

(動いて……いる)

「──エイラ!」

 しかし、そのとき突然かけられた声は、彼女の内に浮かんだ閃きを吹き飛ばした。

 エイラはどこから呼ばれたのだろうかと周囲を見回し、城柵の向こうで手を振る男の姿に目を留めた。

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