06 判るはず
エイラはうなった。こんな話をしたいのではない。ゼレットと一対一でするべき話ならば、決まっている。
「閣下。お話があります」
エイラは心を決めた。ゼレットが片眉を上げる。
「単刀直入に言うことにします。驚かないで聞いて下さい。それから、疑わないでください」
「……エイルの居所を知っているのか?」
もちろん知っています――とはもちろん、言わなかった。
ただ少し驚いた。それではゼレットは、本当にエイルのことを気にしているのだ。目の前にいるのが当人だとは思うはずもないのだから、「彼」の機嫌を取ろうとして言うのではない。だいたい、「エイル」はそんなことを言われても嬉しくない。
いや――そうではない。
本当は少し、嬉しかった。気にしてくれているのだ! では「エイル」を気にしてくれている人間が、ここにもいたのだ。
「そういう話じゃありません」
だがエイラは首を振るしかなかった。
「閣下の……
途端、ゼレットの顔に走るものがあった。
「そこまで同じことを口にして、エイルと関係がないというのか?」
「信じてもらえるかどうか判りませんが」
エイラはその言葉を無視した。
「私は――リ・ガンなんです」
「エイルもそう言っていた」
ああ、そうだ――とエイラは思い出して心で舌打ちをした。「彼」はもちろん、その話をゼレットとした! だから「リ・ガン」という言葉をゼレットが知っていると、判っているのではないか!
「その、彼は少し、違うんです」
言う順番をすっかり誤ったと思いながら、仕方なくそんなことを言った。
「やはり、彼を知っているのだな」
うなずくしかない。まるでファドックとのやり取りの繰り返しで、以前にもそう感じたことを思い出す。
「彼は、その……リ・ガンとして目覚めていなかったんです」
カーディル城にいたときはまだ〈翡翠の宮殿〉を訪れていなかったから、これは確かに嘘ではない。だが、騙そうとしているも同然だということは判っていた。少し心が痛む。
「リ・ガンと言うのは、ひとりだけではないのか」
「ひとりです。ですから、私が……リ・ガンなんです」
「どうすればそれを信じられる」
「判るはずです――ゼレット様なら」
つい、名を呼んだことに自分でも気づいたが、打ち消しても仕方がない。そんなことをすれば却って不自然だ。彼女はそのまま続けた。
「〈守護者〉はリ・ガンを見分けます」
ゼレットの目が細められたのは、彼女が彼の名を呼んだことに対してか、それとも〈守護者〉の一語のためか。
沈黙が降りた。
実際には数
「エイル」
どきりとした。だが必死で自身を制する。判るはずがない。まさか、そんなことを考えるはずが――考えたとしても、否定するに決まっている。ファドックだって、同じように「エイル」の名を呼び、彼に似ていると言っただけではないか。
「お前はエイルだな」
だがゼレットの言葉はそう続いた。一度跳ね上がった鼓動がまたも大きく跳ねる。
「なっ……何を馬鹿な……こと」
「俺を
ゼレットに腕を掴まれたと思う間もなく、エイラは一
「や」
やめてくださいと言おうとした口は三度目の口づけで塞がれる。――エイラとしては、初めての。
抗おうとしたが、力強い腕は彼女を抱いて放さなかった。過去に二度、「エイル」に対してこの「狼藉」を働いたとき、伯爵は少年が簡単に逃げられる道を残していたのだと、不意に気づいた。同時に、いまはそうしていないのだ、ということにも。
「エイル」
「は、放して下さい」
「駄目だ。放せばお前は、また逃げるだろう」
「に、逃げません、逃げませんから……放して下さい。お願いです」
弱々しくなった声に、ようやくゼレットの腕がゆるめられた。エイラは上気した頬で二、三歩を後退し――何かが顔を伝わるのを感じる。
「……何故、泣く」
言われて顔に触れ、確かにそれが涙であったことを知った。
「そんなに、俺が嫌なのか」
「ち、違います。その、キスされて嬉しかありませんけど、でも、これはそうじゃなくて」
気づかれた驚き。
それでも躊躇わずにゼレットが彼女を受け入れたことへの安堵、だろうか?
「いつの間に女になった。なかなかの美女ぶりだが」
「ゼレット様っ」
エイラは涙を拭いた。
「何でそう簡単に納得するんです! おかしいと思わないんですかっ」
「それは、相当に思うが」
ゼレットは言った。
「だがお前はエイルだろう」
エイラは渋々とうなずいた。ゼレットの顔に満足そうな笑みが浮かぶ。
「少年もいいが、その姿も魅力的だぞ。リ・ガンとして目覚めるというのはそういうことか。リ・ガンと言うのは女なのか」
「そういう訳じゃ、ないです」
エイラは少し躊躇ってから――続けた。
「どちらにでもなれるんです、と言ったらどうしますか」
「何と」
ゼレットの顔に驚愕が浮かぶ。しまった、と思った。
いくら彼がエイラの中身を見分けてそれを受け入れてくれたと言っても、そしていくらそれが嬉しかったからと言っても、この
「それは、よいな」
「……は」
「ひとりの恋人でどちらも楽しめるのなら、こんな素晴らしいことはないだろう?」
「ばっ」
エイラは口を開けた。
「馬鹿なこと言わないでくださいっ、俺がどんなに苦労してると」
「よいではないか。こうしてお前にまた会えて俺は嬉しいのだ、エイル」
ゼレットはにっと笑って言うとまたエイラの手を取って引き寄せようとしたが、今度はそれを振り払うことができた。
「あのっ、お願いが……あります」
エイラはゼレットの調子に巻き込まれないようにしながら言った。彼女にとって、どうしても重要なことが――ある。
「何だ、何でも叶えてやるぞ」
「――シーヴには、言わないでほしいんです」
伯爵の顔から笑みが消えた。
「あの、あいつは、この『エイラ』のことしか知らないんです。あいつは私の……大切な存在で、隠しごとなんてしたくはないんだけど、でも」
「判った。みなまで言うな」
ゼレットは真面目な顔でうなずいた。
「では、恋人も知らぬことを俺に教えてくれたという訳だな」
「違いますっ、あいつは恋人なんかじゃありませんよ!」
「何と」
ゼレットはまた言った。
「こんないい女を隣に置いておいて何もしていないと言うのではあるまいな。健康そうに見えたが、シーヴ青年は不能か」
「な、何言い出すんですか、違いますって!」
幸い、身を以ては知らないので、たぶん、とつけ加えた。
「それとも、クジナの趣味があるのか。俺が彼に声をかけてもいいのか」
「……やめた方がいいと思いますけど」
「だな」
ゼレットは肩をすくめた。
「彼がお前を気遣っていた様子は本気だったようだし……ふむ。それでもまだ寝ていないと言うのか」
「……あの。俺をエイルだって判ってくれたんじゃ、ないんですか」
「だが女だろう」
あっさりとゼレットは言った。
「いま、ここに」
言いながらゼレットは自身の両腕を拡げた。
「収まった身体は間違いなく女のものだし、唇もそうだ」
「……その話題はやめて下さい」
エイラはげんなりとして言った。
「いや、もうひとつ聞いておこう」
ゼレットはぽん、と手を叩いた。
「その身体になってから誰とも寝ていないと言うのならば、お前は処女か」
「なっ」
さすがに、絶句した。
「ならば今宵、どうだ。お前の大切な存在である恋人候補がその気になる前に」
「なっな、殴りますよゼレット様!」
「冗談だ」
ゼレットは残念そうに言った。半分以上は本気だったに違いない。
「……彼が大切な存在だって言うのは、そういう意味じゃないんですよ。彼はリ・ガンに深く関わる存在なんです」
「話はそこに戻るのか」
またもがっかりしたように、ゼレット。
「戻しますよ。だって、俺はそのためにここにきたんですから」
「俺に会いにきてくれたのではないのか」
「ゼレット様っ」
「そう、怒るな。エイル」
「……何です」
警戒してまた一歩を引きながらエイラが言うと、ゼレットは笑みを浮かべた。
「お前が戻ってきて、こんなに嬉しいとは思わなかったぞ」
「俺も」
エイラは娘の声で言いながら、嘆息した。
「こんなふうに困ることになるとは思いませんでしたね」
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