02 いきなりこれはない
今日の作業は、もう終わりにしなくてはならないだろう。
暗くなれば手元が危ういことはもちろんだし、第一、寒い。
職人たちから不平が出る前に、その日の作業は終了を告げられた。男たちに日当が手渡されるのを見ていた彼は、ふと気配を感じて門の外を振り返る。
そこには、日の暮れる前に町にたどり着こうとしているふたりの旅人の姿があった。
出迎えようという気持ちがあった訳でもないが、彼は黙ってその人影が近づいてくるのを見ていた。
冬の盛りであるこの時期に南方を旅する者はそう多くない。とは言え、取り立てて珍しい訳でもない。
だから、彼がそうして待っていたことには特別な歓迎の意味もなければ、警戒の念もなかった。誰かきたようだな、と思っただけだ。
しかし彼はその旅人たちが門に到着するまで待ってはいられなかった。その前に彼を呼ぶ声がしたし、彼にはまだ仕事があるのだ。
「――あと一日、二日ってところですね。天候さえ崩れなければですが」
「そうだな、
彼が言うと、言われた男はきょとんとし、それから笑った。
「そういうのはお嫌いじゃないんですか」
「嫌っている訳ではない。困ったときばかり神を頼るのも情けない話だと思うだけだ。だが、女に礼を欠かして不興を買うようでは、いかんからな」
「また、そうやって」
男は何か言おうとしたが、その瞬間に何かが崩れる大きな音がして、ふたりともがはっとそちらを見やる。何が起きたかを見て取ると、彼は呪いの文句を吐いてその場に駆け寄った。
「この荷を積んだのは誰だ! もし昨日へまをやった男と同じならば、そいつはクビだ。二度と雇うな。別な職人であっても明日は要らんと言え。どうやら怪我人はおらんな」
台車から崩れ落ちた木材を忌々しそうに見やった彼は、そこに――目を丸くするふたりの旅人の姿を見つける。
「失敬。城壁と見張り小屋の修復をしておってな。
「ああ……成程」
旅人は木材と彼を代わる代わる見やって、納得したようにうなずいた。
「余所者は近寄るなとでも言われたのかと思ったが、違うようで安心した」
にやりとして言う若者はこの付近では滅多に見られぬ浅黒い肌をしており、見るからに「余所者」と言った雰囲気だった。異国めいた顔立ちは、どこか悪戯っぽい笑みのせいか不信感を与えることはなく、むしろ好奇心を抱かせる。
「遠来の旅人という訳だな? ようこそ、我がカーディルへ」
カーディル伯爵ゼレットは彼の町への新たなる客人をにっこりと迎え入れ、シーヴ青年とその背後で呆然としているエイラ嬢に優雅な礼などして見せた。
「閣下、どうしますか、これ」
執務官タルカスの声にゼレットは振り返り、エイラに安堵の息をつかせる。
「仕方がない。
「了解しました」
タルカスはまるで近衛兵のような敬礼をすると、主人の命令を果たしに行く。
「おい、シーヴ。……早く行こう」
ゼレットの指示を面白そうに見ているシーヴの腕を取ると、エイラは囁いた。彼女がそんなふうに「彼の腕を取る」ことはそうそうないことだったから、シーヴは少し驚いた。
「どうかしたのか?……気分が悪いのか」
彼の顔ではなく地面を見ながらエイラが言っていることに気づいたシーヴは心配したように言う。エイラは首を横に振って、ぐいとシーヴの手を引っ張ると――息を殺しながらゼレットの後ろを通り抜けた。
(何で! いきなりいるんだよ!)
内心では悲鳴である。
(町に入って……考えをまとめてから、覚悟を決めようとしてたってのに!)
彼らが「放り出された」先は雪原のただなかだったが、翡翠を感じ取ることのできるリ・ガンにはそこがカーディル領であることがすぐに知れた。もちろん、かの吟遊詩人が彼女らを翡翠と関わりのない場所に送るはずはなかったし、エイラが一刻も早くカーディルを訪れたかったことに間違いはない。
ただ、いきなりこれはないだろう、と思うだけだ。
リティアエラ姫の姿はファドックに不審を抱かせたかもしれないし、護衛騎士は彼女を「エイル」に似ていると言ったが、当然のことながら当人だとは思わなかった。そのはずだ。
だが「リティアエラ」はドレスを着用し、化粧もさせられて、エイラの目で見ても「化けた」姿であったことを考えれば、いまのエイラは――そのままだ。クラーナは「エイル」と「エイラ」の見た目は印象が違うというようなことを言ったが、全く違う顔だとは言わなかった。ファドックも、似ているところがあるようだ、などと言っていたではないか。
あれだけ化けても、エイルのことが思い出されるのである。
いまの状態でゼレットに直視されることを思うと不安だ。
もちろん、アーレイド城にいた月日の方がカーディル城よりも長いが、空いた時間はこちらの方が短い。まさかばれることはないにしても、数月前の「気に入りの少年」のことなどをゼレットが思い出すようでは――。
「さて、仕舞いだな」
すぐ近くで、ゼレットがぱんと手を叩いた。
「久方ぶりに〈忘れ草〉亭の飯でも食っていかんか、タルカス」
姿を消せる魔法をいま自分が使えるなら、魂だって売ってもいい、などとエイラは思った。レンに「見られた」ときだってこんなふうには考えなかったが、その祈りも虚しく伯爵は興味ありげにふたりの旅人を振り返る。
「ご一緒にどうかな、旅の御方?」
頼むから断れ、と言うエイラの必死の思いは彼女の〈鍵〉には伝わらない。と言うより、シーヴがこれは面白そうだと思ってしまって乗り気になっている以上、彼女はそれに引きずられる。
一言、シーヴに――ゼレットに、ではなく――駄目だと、嫌だと言えばシーヴは彼女の意思を尊重してくれるだろう。だがここでそんなことを言えばゼレットにじっと見られることは間違いない。姿は消せぬまでも、必死で「気を散らす」――そして「印象を薄くする」術を使っているのだ。声など出せば、それが水の泡である。
どうしようと混乱した頭で考えれば、しかしシーヴはすぐに彼の〈翡翠の娘〉の様子がおかしいことに気づいた。
「エイラ、どうした。やっぱり気分が悪いのか」
「せっかくのお誘いだが――閣下」
シーヴは、タルカスがゼレットにそう言っていたのを思い出すとその敬称で呼びかけた。
「連れの具合が悪いようなので、すぐに宿を取ることにします」
「ほう?」
ゼレットはシーヴの「連れ」を見る。「連れ」は確かに気分悪そうにうつむいており、伯爵にその顔を見せないが――女性であることは判ったようだ。
「それは心配だな。ご婦人に雪路はきつかろう。……タルカス、〈忘れ草〉の飯はまた今度だ。一足先に戻って、キュレイに客室を調えるように伝えてこい」
そしてそれは見事なまでに、最悪の展開と、なった。
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