03 帰還

 彼が彼を魂の主人ミ=サスとするウーレたちを引き連れて故郷を離れたのは、まだ春――と言ってもシャムレイはアーレイドに比すれば常夏のようなものだが――がくる前のことだった。

 これまでも幾たびか王の許可も得ずに飛び出したことがあるが、今回ほど長く街を留守にしたことはない。

 それでも、どうせいつものことと気にされてはいまいと思っていた。連絡のひとつも入れぬままだから、気にされないどころかどこかで野垂れ死んだとでも思われているかもしれない。

 西方でどれだけ季節が流れても、ここは変化に乏しい地だ。だが不変ではない。変わらぬものなどないのだし、まして今年は〈変異〉の年だった。

 彼に「酔狂にも」付き従ってきたウーレたちを彼ら自身の集落に帰して分かれると、シーヴはひとり、文字通り、何とも身軽な格好で自身の街を目指した。

 大河の東は、大砂漠だ。あの向こうには何もない。

 長い長い河の東側にあるのは、〈砂漠の民〉と呼ばれる者が暮らす、数えられる程度の集落。それから、伝承だけだ。

 大河のすぐ脇から砂地であるなどと言えば、知識のあるものは首をかしげるだろう。水辺があるのなら、豊かな場所もあるはずだと。

 だが、それが大砂漠ロン・ディバルンの話であるとなれば、どんな学者も沈黙する。〈世界の中心〉コルファセットの大渦や、「果てなき世界」そのものと比類する、大砂漠は大いなる謎であり神秘であったのだから。

 ともあれ、その神秘、場合によっては魔術、呪いと言われるその力は、大河の西にも漏れ出ていた。草木も生えぬ、というようなことすらなかったが、その西の何ゴウズにも渡って土地は荒涼としていた。

 何故にそのような場所に街ができたかと言えばそれにもまたさまざまな伝説があったが、究極の理由はそれでもやはり「そこに水があったから」ということに──なるだろう。

 大河に並行する南北の街道は往来も多い。

 どちらの大門にも護衛の兵は多く配置されていた。西からも隊商が組まれてやってくることはあるから、西門の人数もそれなりだ。東門は大河に用のあるシャムレイの人間が日常的に行き来する小さな門である故、兵士はいるが警戒は厳しくない。と言っても、無警戒なのではなく、ふたりも配置されれば十二分という意味だ。

 シャムレイの四大門は、大河の西に位置するほかの町とそう変わらない、ごく当たり前の造りをしており、ごく当たり前の日常がそこを通り過ぎていた。

 だが、近寄ってくるひとつの影に、街の門衛はずっと不審そうな目を向けていた。その人影がやってきたのはどの大門でもなく、南西にある通用門だったのである。

 ここにも兵はたいていひとりふたり配備されているが、「昼寝に最適な任務」と言われるほど、使用する人間は少ない。と言うのも、ここが開かれるのは砂漠の民が城にやってくるときだくらいで、そのようなことは滅多になかったからだ。

 だから、兵はその人影に目を凝らした。

 砂漠の民は集団で移動するもので、呼ばれもしないのに出向いてくることはそうそうないが、そんなときでも二、三人は連れ立つものだ。

 兵は、誰何をしようと身がまえた。やってくる人間は砂漠の民のような格好をしており、そのような姿を騙ったところで何の役にも立たないとは思うが、不審に思えば警戒をするのが彼の務めである。

 馬に乗った人影が声の届く距離まで近づいてきたとき、兵は声を発そうとして――何とも正直に、目をまん丸く見開いた。

「王子殿下じゃありませんか!」

「何だ、死んだとでも思ったか?」

 シーヴがにやりとしてそんなことを言うと、兵は滅相もないと首を振り、慌てて門を開ける。

「お帰りなさいませ! ずいぶんと長旅でいらっしゃいましたね」

「変わりないか」

「変わりですって?」

 兵士は王子を迎え入れながら繰り返す。

「お見せしたいですよ、殿下のいらっしゃらない宮廷がどんなに平和で――退屈かをね」

 兵はにっと笑ってそう言うと、彼を出迎える。それに同じような笑みを返しながら、しかし彼は複雑だった。

 呑気に「シーヴ」をっていられるのはここまでで、王宮に足を踏み入れれば彼はリャカラーダなのだ。前夜に分かれたウーレたちの世界が早くも懐かしい。

 だが泣き言を言ってもはじまらない。

 本当に嫌ならば帰ってこなければよいのだ。特権階級の恩恵など、街の東を流れる聖なる大河に投げ捨てて、彼が常々言うようにただのシーヴとしてウーレたちの暮らせばよい。

 シーヴが――リャカラーダがそれをしないのは、ミンが言ったように、本当は彼には「王子」の位を退く気などないせい、なのだろうか。

リャカラーダ殿下カナン・リャカラーダ!?」

 無造作に城内へと歩いていけば、あちらこちらから驚愕の声が飛んでくる。多くは慌てて敬礼をし、久しぶりかつ唐突な第三王子の帰還を歓迎した。

 彼はそれに、ほとんど条件反射となっている返礼をしながら、懐かしく見慣れた廊下を進んでいった。

「おや。これは第三王子殿下」

 角を曲がると、よく聞き慣れた声がした。彼は軽く目を見開く。

「……どうしてお前が、こんなところにいる?」

 そこにいたのは、艶やかな黒髪を編み上げ、男のような下衣を履いた若い娘だった。小脇に抱えた書は聞いたこともない土地の歴史書らしく、いかめしい装丁は小柄な若い娘にあまり似合わなかった。

「それはこちらの台詞です」

 娘はすぐにそう返した。

「お戻りになるならちゃんとそう言って下さらないと。こちらにも準備というものが要るでしょう。あらかじめ触れを出すとか使いを送るとか、旅の間にそう言った基本的な常識も忘れてしまったのですか?」

「奴らは砂漠の民だぞ。そのような、召使いの真似事などさせられるか」

 西方でそれを散々させてきたことなどおくびにも出さず、リャカラーダは顔をしかめてみせる。

 と言っても実際のところ、ウーレたちは遠い地での遊戯と思ってあのような役割を楽しんで果たすのであって、彼らの砂漠に近しいシャムレイで「召使いの真似」はしたがるまい。

「だから、ヴォイドの部下をひとりふたり、連れて行くべきだったんですよ。次はそうされるとよろしいです。どうしてもまた、旅に出たいなんて言われるなら、ですけれどね」

「エムレイデル、お前な。『お帰りなさい』も『ご無事で何より』も何もなく、いきなり説教なのか」

 リャカラーダは嘆息して言った。

「だって今更、兄上に何を言えばいいんです」

 彼よりふたつ年下のエムレイデル第二王女は、その細い顎をつんとそらして言った。

「ラーダ兄上の身を案じるあまり夜も眠れませんでしたと言えばいいですか? それが本当なら今ごろ私は眠りが足りなくて死んでいます。だいたい」

「何だ」

「言うべきことがあるのなら、兄上の方でしょう」

「……あー……」

 リャカラーダは頭をかいた。

「長いあいだ留守にして、すまん」

「上等です」

 妹姫に満足そうに言われ、リャカラーダは嘆息した。

「それで、どうしてこんなところにいるんです」

「たったいま、その裏から入ってきたばかりだからだ」

「また、そうやってこっそり戻ってきて。兄上は王子の自覚があるんですか。子供でもあるまいし。みっともない」

「……お前は、ヴォイドと結婚でもしろ」

 似合いだろうよ、と言う兄王子にエムレイデルはきゅと眉をひそめた。

「馬鹿な冗談を言わないで下さい。兄上こそ、早く結婚したらいいんです。そうしたらそのおかしな放浪癖もなくなるでしょう」

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