02 お前の運命

「それで、俺は『いずれ』どうなるって? それを言いたくて、俺に声をかけたんだろう?」

「お前は、いずれ」

 少年の皮肉は歯牙にも掛けず、占い師は繰り返した。

「〈翡翠の娘〉に出会う」

「へえ?」

 話が少し、面白そうになってきた。

 聞くだけ聞いてみよう、と彼は思った。前金も要求せずに語り出したのは相手であるのだ。言いたいだけ言わせてもこちらに損はない。

 彼が自由にできるラルは、その年にして十二分にあったが、無駄に使うのは愚かなことだと知っていた。

「翡翠の娘? 全身緑色の化け物か? それとも、宝玉で飾り立てたお姫様かな。どっちもあんまり、俺の好みじゃないけど」

「〈翡翠の娘〉はお前の運命だ、子供」

 彼の茶化した言い方もやはり気に留めないようで、占い師は言う。

「翡翠が目覚める年に、お前たちは出会う。それは古くからの定め。本来ならば娘がお前を見つける。だが、流れは狂っている。お前のときは、逆になるやもしれない」

「ふうん?」

 彼は話半分に聞いた。意味の判らない思わせぶりなことを言うのは、占い師の常套手段である。

「それじゃ、俺がその女のケツを追っかけるって訳。いい女だといいけどな」

「そうなるかもしれない、と言っただけさ、子供。歯車の狂いは大きすぎて、六十年では直らないのだよ」

「歯車だって?」

 ますます意味が判らない。

「狂った歯車を放っておいたら、どんどん狂っていくだろ。六十年もたったんなら、もう壊れちまってるさ」

「壊れはしない。眠っているだけ」

「何だよ」

 少年は肩をすくめた。

「話が全く見えないぜ、婆さん」

「翡翠の呼び声に耳を塞いではならぬ」

「――何だって?」

ぎょくは必ずお前を導き、娘の元に連れてゆく。呼び声に逆らってはならぬ。お前の言う通り、狂った歯車はますます狂い続けている。娘の手を放してはならぬ。お前がそれを逃せば、また六十年――かかるかもしれぬのだ」

「六十年……何に、かかるんだ? その歯車とやらの修復に?」

 茶化す気持ちは、何故だか減っていた。

「判らぬ」

「……何だよ。占いなんて曖昧な言葉ばっかだけど、それにしたっていい加減すぎねえか」

「見えぬことは言わぬ」

「そりゃ都合がいいなあ」

 思わず呟いた。やはりそれは気にせず、老婆は続ける。

「言えることは、ひとつだけ。〈翡翠の娘〉に出会えば、お前の運命は変わる――正しい方向に。そして歯車は戻る。翡翠は目覚め、眠る。全てはその年にはじまり、終わる」

 抽象的な言葉ばかりだ。占い師のいつものやり口だ。なのに彼は――いつの間にか、真剣に聴き入っていた。

「どこにいるんだ、その〈翡翠の娘〉は」

「それを探すのだ」

 老婆の嗄れた声が、不意にはっきりとした。

「〈翡翠の娘〉はお前の運命。道標を見落としてはならぬ。その糸は必ず娘に通ずる。娘に出会えば、お前の全てが変わる。それを怖れるな」

 ほかにも何か――老婆は語ったように思う。

 だが〈翡翠の娘〉という言葉は少年の心にまるで小刀で刻みつけられたように、はっきりとその痕を残したのだ。

 思い出してみれば、奇妙な老婆だった。

 連れも持たずに砂漠の民の天幕などにきて、金も受け取らずに占いをする。

 シーヴは「若い魔術師が化けていた」との可能性を考えたが、ウーレの長はそう言わなかった。

 運命の化身だったのかもしれぬ、というのが長の言葉だ。

 長が比喩的な意味で言ったのか、本当にそう信じたのかは判らなかったが、長は受けた予言を忘れぬように、と少年に告げた。

 彼がミンを知ったのはその少しあとである。少女の方では彼を知っていたようだが、彼が王子である──王子になる──ということを理解したのはもっとあとのことだったようだ。それでも少女は彼のラッチィになることを躊躇わず、彼が望めばどこまでもついていくことを誓った。

(シーヴ様が予言を受けたときから)

(ずっと心配しているよ)

 不意に少女の言葉が耳に甦った。

 そこで彼は初めて気づく。ずっとひとりで考え込んでいたこと。彼につくウーレたちが、それに文句も言わず、邪魔もせず、ただじっと待っていたこと。もう何日も娘に触れていないこと。

「──ミン」

「なあに、シーヴ様」

 何事もないように、少女は彼の隣にケルクを進めてきた。

「済まなかったな。もう大丈夫だ」

 そう言うと、ぱっと顔を輝かせる。自らの馬をとめぬまま、青年に抱かれようとシーヴの差し伸べたの腕に飛び込んだ。

「シーヴ様、シーヴ様が運命の女に出会っても、その女がいない間はあたしのものよ。その女がいるときでも、あたしはシーヴ様のもの」

「そんなものにはまだ出会ってない。心配するな」

 そう、出会ってはいない。真に目覚めた〈それ〉とは、まだ。

 シーヴの心によぎるものがあった。だが彼はそれを追うことをしない。

 怖れて目を逸らすのではない。いまは――追っても仕方がないと知っているだけ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る