04 兄上よりましです

「お前こそ馬鹿を言うな。腰を落ち着けるどころか、大砂漠ロン・ディバルンにでも逃げて二度と戻ってこないかもしれないぞ」

「そうやって、責任を放棄するようなことばかり言っていると、いまにレイダン兄上に斬られますよ」

「そんな馬鹿なことになるものか」

 リャカラーダは肩をすくめた。エムレイデルは何を呑気な、とばかりに眉をひそめる。

「兄上のお手を煩わせる前に、ヴォイドが手を下すさ」

 にやりとして言った兄を見て、エムレイデルはため息をつく。

「ラーダ兄上の言葉はどこまで本気なのかさっぱりです。とにかく、ここで……その部屋ででも大人しくしていてください」

「何だ、兄に命令するのか?」

「気に入らないのならお願いにいたしましょうか? ヴォイドを呼びにやらせます。父上への触れも出しましょう。ヴォイドがきたら兄上の部屋へお戻りになって、身をきれいに整えてから父上にお会いするんですね」

 まったく、子供じゃないんですから、とエムレイデルはまた言った。

 エムレイデルの言うことは反論の余地がないくらいもっともだったので、兄は素直にそれに従うことにした。

「どうだ、シャムレイは変わりないか」

 妹が、自らの言った通りに父王とヴォイドに使いを送って彼と同じ部屋に入ってくると、リャカラーダはそんなことを尋ねた。

「すちゃらか第三王子がいないところで、何の変わりがありますか」

「結構だ。今日もシャムレイの上に太陽リィキアは輝き、恵みをもたらす」

「と言うと思ったら大間違いです」

「……何だって?」

 エムレイデルが全く表情を変えずに言ったものだから、リャカラーダはその意味を汲むのに一リア余計にかかった。

「面白くもない騒ぎがありましたよ。ヴォイドが来たら直接聞いて下さい。彼は言わないかもしれませんけれど」

「思わせぶりだな。何があった」

 リャカラーダは身を乗り出すが、エムレイデルは重い本をどんと卓に置いただけでそれには答えなかった。

「……それは何だ。今度は歴史に凝ってるのか」

 仕方なく、王子は話題を変える。

「ええ。自宅にあるものは読み尽くしてしまったので、王宮まで取りに来たんです」

「相変わらずおかしな女だな。こんな第二王女と第三王子を持って、父上もご苦労なことだ」

「兄上と一緒にしないで下さい」

 エムレイデルは顔をしかめて言うが、リャカラーダは何故だ、と問う。

知識神メジーディスに取り憑かれて化粧のひとつも覚えないお前と、放浪癖のある俺と、街を出て後ろ指を指される機会が少ないだけ、俺の方がましではないか」

「私は陰でどんな口を叩かれても堂々としています。逃げ出す兄上よりましです」

 エムレイデルはむっとしたように言った。

「そうか、お前から見たら旅も逃亡も同じか。まあいい、そんな話をしても仕方がない」

 妹姫の機嫌がこれ以上悪くならない内に、リャカラーダは話題を戻すことにした。

「また何か、書の矛盾点を見つけたか?」

「ええ、まあ」

 その口元が少しほころぶ。

「シャムレイそのものの歴史書は、長年研究され尽くしているだけあって、隙がありません。けれど、大河や砂漠との関わり、河の魔物や蛮族との戦、そのあたりになると神話も同然で真実味がほとんどないのです。論文をひとつ書き上げて研究会に送りました。エムレイデルの名は使いませんでしたから、先入観なく読んでもらえるはずです」

 それはどうかな、とは王子は口にしなかった。

 妹の博学はその辺の学者も舌を巻くが、その分、世間には疎い。署名を偽ったところで王女の書いたものであることが隠し通せるはずもなく、となれば当然、純粋に批評などしてもらえまい。

 だがそれはいずれ彼女自身が気づくべきことであって、兄王子が説教して聞かせることではなかった。少なくともリャカラーダはそう思っていた。

「相変わらずで安心した。お前がしとやかにドレスでも着るようになって父上の興を買っていたら、変わらぬ俺は立場がない」

「私はラーダ兄上の盾ではありませんよ。ドレスなど、冗談ではありません」

 自身の飾り立てた姿を想像でもしたのか、エムレイデルは身を震わせてそう言った。

「全く、私は姉上を尊敬します。よくあんな、きらきらしたものを着てにこやかに笑っていられるものだと」

「俺もだ。兄上方の威風堂々振りには呆れる――いや、感動するね」

「一緒にしないで下さいと言っているでしょう。私は本当に姉上を尊敬しています。兄上のように馬鹿にして言っているのではありません」

「邪推をするな、馬鹿になどしていない。俺にはできないと言ってるんだ」

「情けないですね」

 妹姫はきっぱりと言った。その通りアレイス、と王子は降参するように両手を上げる。

「ヴォイドは遅いな。二ティムで飛んでくると思ったのに」

「……ああ」

 エムレイデルはすいと立ち上がると部屋の棚に寄った。

「飲み物でも如何です、兄上」

「ああ、気づかなくてすまん」

 第二王女と第三王子では身分的には同位だが、年長である分、それに気づくのはリャカラーダであるべきだった。

「かまいませんよ。私は兄上には何の期待もしていませんから」

「酷いな。――それで、エムレイデル。何をごまかすつもりだ」

「そのようなつもりは、ありませんが」

 珍しく、エムレイデルの声に困ったような色が浮かんだ。

「ヴォイドはいま、城内におりませんから。もう少し、時間がかかるでしょう」

「――ヴォイドがいない? 何故だ」

「直接訊いて下さい、と申し上げたでしょう」

「あいつは言わんかもしれんと言ったじゃないか」

「私から話すことでもありませんから」

「話せ」

 リャカラーダは言うと立ち上がった。そのままエムレイデルの脇によると、彼女が取ろうとしていた上質の杯を横取りする。

「兄の命令だ」

「……都合のよいときばかり、そうやって」

 王女は何度目になるか顔をしかめたが、首を振ると謝罪の仕草をした。

「この言い方は公正ではありませんね。ラーダ兄上がそんなふうに言うことは滅多にないこと、判っています。権威を振りかざしたがるのは、レイダン兄上やパース兄上だ」

「何だ、含みのある言い方だな」

「茶化さないで下さい、よく判っているはずでしょう」

「まあ、な」

 リャカラーダはそれ以上は言わず、マリ・レイ花酒を妹姫に注ぎ、自らは強めのアスト酒を注いだ。

「それで、ヴォイドはどうしてここにいない」

「ラーダ兄上のせいですよ」

「何だって?」

「忘れたんですか。忘れたんでしょうね。以前、もし今度兄上が勝手に城を出ていったらヴォイドが責任を取ると言ったこと」

「何だって?」

 リャカラーダは繰り返した。

「そんなことは……いや、あったな。あった。忘れてなどいないぞ」

「いまのいままで、忘れていたんじゃないですか」

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