03 聞いてもらえますか

「だが、盾は何も、攻撃を真っ向から受け止めるためだけのものじゃない」

「……どういう意味です」

「受け流すこともできる、ということだ。命懸けで姫様を守ろうと言う心がけは立派だが」

 この言い方にはいささか冗談めいた響きがあった。だがそれはすぐに消える。

「命懸けになると言う心情と、本当に生死を賭すという境を間違えるな。戦っても、生き延びねば意味はない」

「──ファドック様って」

 ふと、エイルは口にした。

「どっかの戦場にいたことでも、あるんですか」

「私が?」

 だがファドックは驚いたように眉を上げた。

「いや。……戦い手キエスとしてそのような場に立ったことはないな」

 遠くを見るように細められた目に、もしかすると、それ以外の何か違う形ではあるのだろうのか、と思った。

 だが、その問いは発さなかった。何故か、尋ねてはならないような気がしたのだ。

「んじゃ」

 エイルは再び深呼吸を――今度はあまり、あからさまにならないようにしながら――すると、再び剣をかまえた。

「いまの、もっかい、頼んますぜ」

 こんな日が数日続いた。

 少年は、しかし安堵していた。騎士と会えば何が起きるか、戦々恐々としていた割には、目に見えて不可思議な出来事というのは起きなかったのだ。

 ときどき覚える動悸を除けば激烈な啓示は彼を訪れず、代わりに予想していなかったものが表れた。変化を怖れて近寄るまいとしていたはずなのに、彼がファドックの横にいて得たものは――安定感、だったのだ。

 欠けていたものが補われ、あるべく姿になっていく。それは回帰のようでもあり、再生のようでもあったが、少年にはそのような言葉は浮かばない。何だかしっくりくるな、という程度のものだ。

 稽古の内容が厳しくなれば肉体的疲労は増していき、さすがの若き回復力もをそれを存分に発揮するためにはいつもより多い睡眠を必要とした。しかし逆に言えば「寝れば治る」という健康な若者特有の特権がこれ以上ない程に少年を手助けしたとも言える。

 手助けは、ほかにもあった。シュアラの身を案じてなのかエイルの苦労を面白がってなのか、いつもは厨房第一のトルスでさえ「ここはもういいから、ファドックのところへ行け」などと言い出す始末。

 好奇の視線は、多々。いったい少年がわずか数日でどれだけ成長するのか、年嵩の兵士たちは興味深く、師匠を「取られた」と思っている若手の兵士たちは少し不満そうに、彼に視線を送ってくる。侍女たちの反応も様々だが、レイジュなどは「ファドック様を独占するなんてずるい」ときたものである。

「あのなあっ、俺だって好きでやってる訳じゃ」

「贅沢言うんじゃないわよ! ファドック様がつきっきりで剣の指導……これほど、自分が女であることを恨めしく思ったことはないわ!」

 いまのエイルには、茶でも飲みながら雑談をする時間はなかったから、これはたまたま城の廊下で行き合ったときのやりとりである。

「そうだレイジュ。シュアラ――姫はどうしてる?」

 城を行き交うほかの使用人に一応考慮して、エイルはシュアラに敬称を付ける。

「どうって……相変わらずでいらっしゃるわよ。もちろん、王子殿下のことは気になられるようだけれど……あ、判った。エイルはが気になるんでしょ」

「馬鹿言ってんじゃねえよ」

 シュアラとエイルが仲がよくなったと言っても、それをからかうのはレイジュくらいであったが、エイルにしてみれば言うまでもなく、嬉しい話ではない。

「ただ、こんな話になったら俺に話したくてうずうずしてるんじゃないかと思ってさ。呼び出しがないから、変に思ってんだ。まあ、助かるけどな」

「ああ、そのこと、ね」

 レイジュは奇妙な表情をした。エイルから目を逸らし、どこか笑いを堪えるかのような。

「何だよ。あいつに何か吹き込んだのか」

「やあだ、勘がいい……じゃない、あのね、ファドック様よ」

「何だって?」

「しばらくはエイルを放っておくようにって。――面白いものが見られるからってね」

「はあ?」

 エイルの訓練は警護のためである。その成果が見られるというのは、即ちシュアラが危ない目に遭うということで、それを騎士が面白いと表現するはずもない。

「何が面白いってんだ? おい、レイジュ」

「駄目、楽しみはあとにとっておかなきゃ」

 ついに娘は堪えきれなくなったというように笑うが、エイルの追及はあくまでもかわした。

「言っておくけど、私の発案じゃありませんから。恨むのならカリアを恨んでね。じゃ、頑張って。ファドック様のことは特別に貸しにしておいてあげる」

 どうしてそこで貸しを作らなければならないのかは納得いかなかったが、それに文句を言う前に侍女は素早くエイルの前から立ち去った。

「何だ、ありゃあ」

 そんなレイジュに彼が首をかしげたのは、その日まであと三日を切った夕方だった。

「少しは格好が付くようになったか」

 少年としてはだいぶ自信がついてきたのに、そんなことを言われては少し不満だ。それが顔に出たのだろうか、ファドックはにやりと笑う。

「大したものだ、と言ってるんだ。よく頑張ったな」

 王子の来訪を二日後に控えた宵、護衛騎士は初めて少年を褒めた。

「まだまだ、でしょ」

「当然だ。だが、いまのお前なら不意を打たれても……そうだな、十トーアは保つ」

「そりゃ、褒めすぎです」

 少年に自信過剰の気質はない。戦いにおける十秒がどれだけ長いかは、何となくだが判っているつもりだ。

「嘘じゃない。お前が狙われて直接対峙をするのならば別だが、相手がお前のことを警戒していなければ」

「ファドック様が隣に立ってるよりは警戒されないでしょうけどね」

 エイルは肩をすくめた。

「あの……これだけやっておいて今更なんすけど、どうすんです」

「どう、とは」

「だって」

 少年は言葉を探した。

「護衛騎士が張り付いてる訳にはいかないから、って理由でしょ。わざわざ俺をこんなふうに仕立て上げたのは。じゃあ俺はどういう名目でシュアラの横にいるんです。姫君専門の給仕ですかね?」

 それだって充分、不自然だろう。王女に専属の給仕がいてもおかしくないかもしれないが、ずっと隣にいても許されそうなのは侍女くらいだろうし、舞踏やら客人との語らいやらにまではついていくまい。

「そのことだが」

 ファドックは顔をしかめた。

「明日は、稽古はなしだ。身体は動かした方がいいが、ここで怪我でもしたら馬鹿を見るからな」

「えっ、それじゃ今日で終わりですか。何だ、それならもうちょっと」

「休め。英気を養うのも兵の任務のひとつだ」

「俺は、兵士じゃないっすよ」

「じゃあ」

 ファドックは澄ました顔で言った。

「騎士見習い、とでもするか?」

「あんまり嬉しくないです。あっ、すいません」

「いいさ」

 ファドックは笑う。話題を逸らされたことには、少年は気づかない。続いた台詞は、少年の「任務」についての心配など簡単に吹き飛ばしたからだ。

「肩書きなどお前には不要だ。お前はお前の方法で、この城の――翡翠ヴィエルを護れ」

 ファドックのこの言葉にエイルははっとなった。

 見ると、護衛騎士の方でも少し困惑したような表情をしている。

 アーレイドという単語が翡翠を表すことは、もちろんファドックも知っているのだろう。シュアラを翡翠の姫と歌った詩人のことは記憶にも新しい。だがこの護衛騎士はそのような――言うなれば、詩的な――物言いをすることは滅多にない。

 だがエイルには、ファドックの奇妙な表情の理由が判る。

 原因が判ると言うのではない。彼の内に浮かんだ思いが判る。

?)

「ファドック様」

 エイルの口から知らず、言葉が漏れ出た。

「あなたは何故、ここにいるんですか」

「何故ここに――だと?」

殿

 エイルが何を言おうとしているのか、ファドックには判るまい。――エイル自身も判らない。

「この――〈変異〉の年を迎える時期。あなたがこの城にいるのは、何故ですか」

「エイル?」

「呼んでいるんですよ。〈時〉を待つ――あれが。目覚める支度をしているんです。六十年の間に増え、淀んだ穢れを祓うために」

「何の話だ。何かの……伝承か?」

「伝承。そうかもしれない」

 少年の声は呟くようだった。男はそれを聞き返しも笑い飛ばしもせずに、じっと見ている。

「まさしく、伝承そのものだ。翡翠の力を感じて、集まってくる。呼ばれたものも、呼ばれていないものも」

 目眩を覚えた。

「あなたは、知っているはずなんです。俺も――」

 世界が回る。少年は懸命に足を踏ん張った。

「俺は知っていなければならないはずなのに」

(何故)

(何があった?)

(狂ったのだ――周期が)

(六十年前)

「六十年前、翡翠は目覚めなかった。だから、狂ったんです。だから、俺は何も知らないんだ。何故なら」

(護れなかったから)

(何だって? 俺は何を)

「俺は何を――言っているんです……?」

「お前に判らないのなら、私に判るはずもない」

 ファドックは静かに言った。

「エイル。お前には、御巫の血筋でも混ざっているのか?」

「何ですって?」

「まるで神託のように聞こえたぞ。何かが乗り移ってでも、いるような」

「んな……こと。俺は俺です、ただ、判らない。なんで、こんな」

 浮遊感は去った。残るのは、怖れていた変化が近づいてきた、その確信。

「奇妙だな……」

「俺がいちばん、奇妙に思ってるんですよ」

「私も、同様だ」

 エイルは自嘲するように言ったが、ファドックの声の調子の変化に気づいて顔を上げた。

「何と言えばいいのか。私はお前の様子が変わったことを不思議に思わないのだ。それが――奇妙だ」

 ファドックにしては珍しく歯切れの悪い物言い。エイルは曖昧にうなずいた。

「あの、ファドック様。明後日に重要なことを控えていて、こんな話をするのもどうかとは思うんですけど、聞いてもらえますか」

「何だ」

 言ってみろ、と男は言った。

「俺、予言を受けたことがあるんです」

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