04 なるべくして、なったこと

 少年は、何も包み隠さなかった。全てを話した。

 「翡翠の宮殿」へ行くという啓示はもちろんのこと、ふたつに分かれた心を持っていると言われたことも。奇妙な運命のために、大切なものを捨てなければならぬかもしれぬと言われたことも全て。

「俺、アーレイドが翡翠ヴィエルの意味を持つ名前だなんて知らなくて」

「それで、あの詩人の歌に驚いたのか」

 ファドック・ソレスは、エイルの話を一リアたりとも馬鹿にしたような様子は見せず、真剣に聞いた。予言だの心の色だのと言えば、真面目に聞こうとした者ほど、鼻で笑ったり怒り出したりしそうなものだが、男はそうしなかった。

予言ルクリエ――か」

「……信じてくれますか」

「お前の話をか? お前が私にそんな作り話をして何になる。その占者ルクリードの言葉の真偽はともかく、お前はそれを聞き、ずっと心に留めてきたのだろう。それを疑ったりはしない」

 当然だとばかりに答えられた声にほっと安堵する。正体不明の王族の来訪を控えているときにお伽話などはじめてどうする――と叱責されても仕方がないのに。

「馬鹿げてると思ってた。占い師の言葉自体も、それを気にすることも。でも、ここへきてからおかしなことが多いんです。俺が考えたこともない言葉が浮かんだり、ある――人が近づいてくると目にしなくても判ったり、その人に触れられるとガラシアに触れられたみたいになったり」

 雷神ガラサーンの子である精霊の名前を口にして、エイルは自身の右手を見た。

「そのある人物とは――私か」

「な、何で」

 ずばり言い当てられるとは思っていなかったエイルは、動じて目を白黒させる。

「何で、判るんですか」

「それならばここ数月のお前の態度も納得がいく。それ以上奇妙なことが起こるのを避けたかったのだろう。だがそれだけではなく……」

 ファドックも同じように、自身の右手を見つめた。

「エイル。シュアラ姫がお前に目をとめられた原因は……私なのだ」

「な、何すか、それ」

「殿下のお望みで城下を訪れたとき、私はお前を見て、知っているような気がした。だが気のせいだろうと思った。実際、面識はなかったのだしな。だが殿下は私がお前を見ていたことにお気づきになった」

「それで、俺が選ばれたって訳ですが。シュアラのお友だちに」

「契機に過ぎなかったが、契機を作ったことは事実だ」

 ファドックは言った。

「日常の暮らしから突然お前を引き離して、悪いことをしたな」

「いや、いいんです。だって、それじゃこれは」

(なるべくしてなったことだ)

「これは……なるべくして、なったこと、ってことになります」

 脳裏に浮かんだ言葉をそのまま口にした。

「ファドック様がどうとかじゃない。俺は呼ばれたんだ。シュアラにでもなくて」

(翡翠に)

 口に出さなかった言葉は、不思議と男にも伝わったように思えた。ファドックは数トーア沈黙し、そうかもしれんな、と言ったのだ。

「判って、もらえるんですか」

「判ったのは、お前がただの下町の少年ではないと言うことだけだ」

「俺は、ただの」

 言いかけて、口をつぐんだ。自分ではそのつもりでいても、運命が――翡翠がそれを許さない。

「俺は、ただの下町の若造です」

 だがもう一度口を開き直すと、そう言った。運命などに負けてたまるか、という思いがある。

「翡翠の宮殿が俺の運命だとしても、運命なんてのは俺が選ぶんです。運命だからこうなったんじゃなくて、俺が選ぶからこうなるんです」

「――よし」

 ファドックは、エイルが難問に正確に答えたかのように、うなずいた。

「お前がそう思うのなら、それでいい。――クラーナと言ったな、あの吟遊詩人フィエテの居場所を探しておこう。それと、必要ならば魔術師協会リート・ディルで何か調べるか。手伝うぞ」

「んな。ファドック様は忙しいんだから、そんな迷惑は」

「馬鹿げた気を回すな。私も気になるんだ。お前の運命とやらが片鱗でも私に関わりがあるのなら、私もそれを知りたいと思う」

「……本気、なんすか」

「もちろんだ。だが」

 護衛騎士はふっと城の方へ目をやった。

「何事も、明後日が無事に過ぎてから――ということになるが、な」


 そう、重大事は目の前に迫っていた。

 もしかしたら、重大事などではないのかもしれない。噂の東国の王子は全くもって噂通りの存在で、彼らの警戒など馬鹿げているのかもしれない。その日が過ぎれば、ただエイル少年の剣の腕が多少よくなったくらいで、日々は何も変わらずに過ぎるのかもしれない。

 だがそれは過ぎてみなければ判らぬことだ。

 何があるのか。何かが、あるのか。

 護衛騎士や近衛隊長をはじめ、最悪の事態を想定して準備する者もいれば、この騒ぎは誕生式典前のちょっとした楽しみごとと思っている者もいる。

 その明くる朝、彼は最低限の下拵えをしただけで、厨房から追い出された。

 しかしファドックの訓練は昨夜で打ち止めのはずだ。エイルはそう主張したのだが、そんなはずはない、騎士をとっ捕まえて聞いてこいなどと料理長と仲間たちに蹴り出されたのだ。

 手がひとり減れば彼らはいつもに増して忙しくなるが――エイルの方でも、いっぱしの働き手になっていた――それに文句や皮肉を言う者は、少なくとも表面的にはおらず、それどころがみな快く、或いは面白がって少年を行かせる。

 実際のところ、少年が言ったように今日はファドックの指導の予定はない。エイルの身体を休める目的もあるだろうが、護衛騎士には近衛たちとの警備の打ち合わせやら何やらで、時間がないのだ。

 その代わり、エイル少年は別な方面から呼び出しを受ける。

 時間が出来たらすぐにくるように、と告げられた先のは、通ったことはあっても入ったことのなかった城内の一室だった。彼がレイジュと話をするときのような、侍女の控えの間のひとつであるらしい。

「きたわね、エイル」

 にっこりと優しい笑みで少年を出迎えるのは、レイジュの次に仲のいい年上の侍女カリアだ。

「あれ、カリア? それに……メイ=リス。珍しいな、レイジュがいないなんて」

 彼より少し年下の、やはり可愛い侍女の姿を認めて少年は挨拶する。彼女ら三人は仲がいいらしく、仕事が空いていれば一緒にいるところをよく見かけるのだが。

「あの子はいま、殿下のところよ。自分がくるまで待っててほしいってごねてたけれど」

「私たちだってエイルだって、忙しいものね。用事はさっさと済ませなくちゃ」

 ふたりはにこにことしながら言って、カリアがエイルの手を取った。年上の美人にそうされれば誰でもなるように、エイルは少しどきりとして、この役得に思わずにやりとする。

 同時に、これは至極普通の反応だ、とそんな馬鹿げた安心感も感じていた。

「明日のことは、何か聞いた?」

「何かって」

 今更何を言い出すのか、と眉をひそめる少年に、ああ、違うわ、と年嵩の侍女は言った。

「明日この城で舞踏会があると知っているか、なんて問いかけをしたんじゃないのよ。知らなかったら驚くわ。私が言っているのは、あなたが自分の役割をどう聞いているのかしら、と言うこと」

「それこそ知ってんだろ、俺がこの数日ファドック様にいたぶられてること。護衛騎士コーレスが姫君についていられないところに、ついてるのが役割さ」

そうよねアレイス

「でも」

「どうやって?」

 女たちは――くすくすと笑った。

「ファドック様みたいに明らかな護衛の者じゃなくたって、王女殿下の隣に身分も職務も判らない男がついていたりしたら、やっぱりおかしいでしょう」

「姫君専属の給仕、ってのがぎりぎりの線だろうなあ」

 少年は自身の考えを口にした。だがメイ=リスはその可愛らしい顔をふるふると横に振る。

「それだって変よ。ノンザに取り憑かれている訳でもあるまいし、四六時中、給仕を必要とはしないわ」

 少女は食を司る神の名を使ってそんなふうに言った。エイル自身もそれは考えたのだ。だから昨夜ファドックに問おうとし――いつの間にか、話は変わっていた。

「それじゃ何だよ、いまさらこの話はなしだなんて言うんじゃないだろうな?」

 人をその気にさせておいて、それはない。エイルはカリアの手を振り払った。

「違うわよ、エイルにはちゃんと、姫様の警護に当たってもらわなきゃ」

「だろ? そうだよな。でも」

 彼女らは何を――楽しそうにしているのだろう?

「エイル」

 カリアは再び、少年の手を取った。

「なっ、何だよ」

 そのまま、きれいで上品な女性に身体を寄せられて肩を抱かれ、ほんのり香水の匂いでもさせられれば、さすがの下町の少年も顔が赤くなりそうである。

「……思ったとおりね」

 だが囁かれたのは甘い言葉などではなく、この状況――女が年下の少年に身を寄せている――には似合わぬ、それはまるで、トルスがいつもの素材で全く新しい料理を思いついたかのような――。

「小姓の制服を着られるくらいだもの。線が細いわ。こうして触ると、見た目よりもっと華奢なのね」

「ちょいっ、そりゃないだろカリア!」

 内心で少し気にしていることをずばりと言われ、エイルは抗議の声をあげた。

「あら、気にすることないのよエイル。だってこの場合、全く以って、最適でしょう?」

「……何が」

 不穏なものを感じ取ってエイルは一歩引こうとするが、メイ=リスがそれをとどめる。

「姫様の隣に黙って立っていたかったら、エイル。侍女になるのがいちばん簡単だって――思わなかった?」

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