02 今度こそ

 軽やかな足取りで現れたのは、二十歳前ほどの少女だった。長い黒髪をきっちりと三つに編み、背中に垂らしている。大人の女になりつつある少女特有の、あどけなさと色気を兼ね備えた笑顔を浮かべながら、ミンはシーヴの傍による。

「馬鹿ね、スル。シーヴ様はふざけてるの。ほら、泣きそうな顔をするのはやめなさい。あんたもシーヴ様について長いんだから、そろそろこの王子様の気性を知るといいわ」

「言ってくれるじゃないか、俺のラッチィ」

 そう言いながらシーヴはミンに手を差し伸べた。

「そうよ、あたしはシーヴ様のラッチィだもの。言いたいことを言うわ」

 少女はその手を取って、抱き寄せられるに任せる。

「やっぱりあたしはシーヴ様が好き。王子なんてやめちゃえばいいのに」

「俺だってやめたい、と言ってるだろう。ただのシーヴのままでいられればどんなに楽か」

「嘘ばっかり」

 言うと少女は「王子」の手の甲をつねった。

「何するんだ、痛いじゃないか」

「だって、嘘つきだもの。王子様であることが嫌なら、どうして行く先々でリャカラーダ王子を名乗るの」

「そりゃ」

 シーヴは肩をすくめた。

「その方が話が早いことが多いからだ」

「ほら」

 ミンは得意げに言う。

「シーヴ様は、王子をやめる気なんかない」

「まあ、何だ」

 シーヴは嘆息した。

「今日でやめますと言ってやめられるものでもないからな。それならせいぜい、この立場を使って楽しんでやるさ」

「あたしたちは喜んでついていくけど、今頃ヴォイド様なんて泣いてるよ」

「あの鉄面皮が泣くか。あれが泣くとしたら、俺が酷い死に方でもしたときだろう。もちろん、喜んで泣くのさ」

「泣くって言うのはもののたとえ。それに、その言い方はないよ。あんなにシーヴ様を大切に思ってる人はいないんだから」

 ミンは叱るように言い、シーヴは面白がった。

「へえ? お前より?」

「女のなかじゃ、誰にも負けない。でもヴォイド様の忠誠にはかなわないもの。シーヴ様がシャムレイのことを忘れてても、あたしはヴォイド様が心配してることを心配するよ。シーヴ様の代わりにね」

「悪かった悪かった、そうとんがるな」

 言ってシーヴはミンの頬に口づけた。娘は笑みを見せて機嫌を直す。

「それで? これからどうするの? この船だったら北方線までだって行けるってリュ=シュが言ってたよ」

「馬鹿。そんなとこまでバルックたちを放っておいたら可哀想だろう」

「あは、貧乏籤の連中ね」

「そうでもないぞ。船に乗るのなんてご免だって奴も多かった」

「船なんて好きじゃないよ。でもシーヴ様についてきたのに、シーヴ様から離れなきゃならないのは貧乏籤。そうよね、スル?」

「そうですよ」

 涙を引っ込めた少年は大きくうなずいた。

「僕らはシーヴ様が行くっていったら、魔の山ダラ・ザラスだって登ります。あの、でも、言わないでくれる方が嬉しいですけど」

「安心しろ、そんなとこには多分、探しものはないだろう」

「例の予言、ね」

 ミンは呟くように言った。

「シーヴ様はいずれ、その娘のものになっちゃうのね」

「馬鹿言うな。俺は誰のものにもならんよ」

「でも探してる。予言の――〈翡翠の娘〉を」

 少女が言えば、男はすっと水平線の彼方を見るようにした。

「運命の女なんてのがいるんだったら見てみたいじゃないか。さっさと知っておいて、その運命とやらに納得いかなかったら戦わなきゃならん。醜女だったりしたら、運命の女神を蹴り飛ばしてやるがな」

「予言を信じていないの?」

「信じているから探している、と思わないのか?」

 シーヴは意外そうに言った。

「あの占い師ルクリードが本物だと言ったのは、お前たちの長じゃないか」

「そうよ。あのときウーレの集落にやってきたお婆さんとその予言は、間違いなく本物。だから、シーヴ様には運命の女がいて、シーヴ様はその女と結ばれるの」

「おいおい、予言は、俺が〈翡翠の娘〉に出会うことで運命が変わる、と言ってるんだ。何も結ばれるとは」

「そういう予言よ。ミンには判るの。それが」

 美人だろうとそうでなかろうとね、と少女は言った。

「どうせならふた目と見られないほどの不美人で、シーヴ様が泣くといいわ」

「何だ、妬いてるのか」

「そうよ」

 ミンはあっさりと認めた。

「シーヴ様は王子様だからミンのものにならないってことは最初から判ってるけど、王子様としての縁組じゃなくて運命の女なんて腹が立つわ」

 ミンは王子の頬を両手で挟むと、背伸びをして口づけた。次第に熱烈になっていくそれを見ていられず、スルは目をそらす。

「――アーレイド、だ」

 長い口づけを終えると、シーヴは囁いた。

「何?」

「次の目的地だ。ファイ=フーで聞いた。このまま北上すると、もう少しで東に大きな湾がある。その先にコトスという港町があって、それを越えると」

「アーレイド」

 ミンが繰り返す。シーヴはうなずいた。

「何があるの?」

「いろいろ――伝説を聞いて、いくつかその大本を探ってきたが、今度こそ当たりかもしれん」

「……どうして?」

翡翠ヴィエルって意味なのさ、アーレイドって街の名は。ファイ=フーの魔術師リートに聞いて仰天したよ。以前にも近くを通ったことはあるのに、立ち寄ろうともしなかった」

「何も感じなかったのなら、予言とは関係がないかもしれないよ」

「そうかもな。運命だなんて劇的な言葉を使うなら、神の啓示でもあってほしいところだ」

 そう言いながらシーヴは北東へと目を向けた。

「問題は、どうやってアーレイドに入るか……この船をどうするか、だが」

 王子は呟く。ミンとスルは顔を見合わせた。これはどうやら――よからぬことを企んでいる顔だ。

「いいことを思いついた。コトスに寄って、細工をしよう」

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