04 正式な魔術師

 アーレイドの街は、いつもと変わらぬ顔を見せていた。

 王女の華々しき誕生式典はとっくに終わっており、人々はとうに日常の暮らしに戻っていた。

 祭りの機会を逃したことは残念であり、シュアラの十八の誕生日を祝えなかったこともまた、悔しかった。これまで祭列の類に参加したことのない彼女が初めて市民の身近に姿を現したという話も、彼はリックから聞いただけだ。

 もっともそのとき、師は、行きたいかと問うた。

「祭りに行きたいというのならば、半日ほど休んでもよいぞ」

「そりゃ、行きたくないってこたないですけど」

 エイルは戸惑って答えた。

「それより……こっちのが重要です。だいたい、こんな格好で、どの面下げて街に行けるっていうんですか」

「そうだな、いまのままでは不安定すぎる。誰かに見られでもしたら、騒ぎだ」

「俺だって化け物扱いはご免です」

 エイルは肩をすくめた。

「いいから続けましょう、導師セラス。俺、こんなにやる気になってるのなんて、人生で二度目ですよ」

 一度目はシュアラに意趣返しをしようとレイジュに礼儀作法を教わったときだったな、とエイルは思い返した。

 いくら学んでも魔力の基礎などちんぷんかんぷんだったが、少なくとも文字を読めるようになったのは嬉しかった。

 街をゆっくり歩くエイルは、フードの下から、初めて見るようにアーレイドの街並みを見ていた。

(こんなところに……こんなことが書いてあったのか)

 どの店が何を扱っているのかは看板に描かれた絵を見れば判ったものだが、聞きかじって覚えていた店の名がこんなふうに掲げられていたり、商品や特売品の情報がこんなふうに記されていたとは。

 文字など読めなくても生活に支障はないと思っていたし、それまでの生活では間違いなくそうだったが、おそらくこれからは違う。

 すれ違う人々は黒いローブをまとった彼らを避け、その視線を合わせることはない。別に驚くことではない。彼だって、こんなことになりさえしなければ同じ反応をしたはずだ。

 幾人か知人を見かけたが、彼らはまさかそこにいるのがエイル少年だとは思いもしない。見つかって驚かれるのも面倒だと思っていたエイルは、少し安心する。

 協会から城へ行くのに西区を通らずに済むのも安心材料だった。巡回中のザック青年にでも出会えば、きっとややこしいことになる。ザックなら、友人が黒ローブをまとっていようと気軽に話しかけてくるだろうし、そうなれば事情を尋ねられるに決まっているからだ。

「どうだ、エイル?」

「ん? 大丈夫ですよ。人混みは久しぶりだけど……『あれ』がくる感じはないです」

「ひと安心だな」

 リックは、本当に安心したというように息をひとつ吐くと、中心街区クェントルを歩き続ける。ここまでくればアーレイド城はもうすぐだ。

「――どこへ行く?」

「え? だって……こっちですよ、裏口」

「今日は協会の使者だぞ、エイル。表から堂々と入ればいい」

「ああ……そうか」

 いまやエイルは厨房の下働きではない。王女の話し相手でもなく、魔術師リートなのだ。彼は少し可笑しくなった。

「似合いませんよ、俺には」

「その格好がか?」

「まあ、それもありますけど。魔術師なんて」

「真実には違うのだから、似合わなくても無理はないな」

 そう、登録上の名義はどうあれ、正確に言えば魔術師でもない。ならば彼は――「何」だろう?

 門に近づくと、何となく懐かしくさえ思える制服を着た門番がふたりにさっと敬礼をする。彼らの訪問は告げられていたことであり、時刻もまた、ぴったりだった。

 エイルはそっと兵士を見やる。ひとりは見覚えがなかったが、もうひとりはファドックの訓練を受けていた若者だ。エイルと同じくらいだろう。だがまさか、使用人の少年が魔術師になって戻ってくるとは思うまい。若者はエイルをちらりと見たが、その顔にエイルを認めたというような変化は訪れなかった。

(俺は、俺なのにな)

(でもどうだろう。違うのかもしれない)

 初めてこの城を訪れたときは、セラー侯爵の馬車でファドックとともにこの門をくぐった。正門を通るのはそのとき以来だ。城内のあまりの広さ、整然と調えられた美に呆然としたことは遠い記憶ではない。この城にいる間中、彼はずっと驚かされ続けた。彼が過ごしてきた世界とかけ離れたものが現実に存在することに。

 だが、それすらも身近な、日常のものであると言える世界に、彼はもしかしたら出向かなければならないのだ。

 手入れの行き届いた中庭と庭園を越えて城へと入れば、護衛のための兵士と案内のための侍女がつく。

(――メイ=リス)

 見知った少女の姿に息を呑んだが、やはり少女はエイルに気づかず――いや、気づいたとしても表情を隠すのが得意な侍女たちのことであるから、驚愕もそうやって隠しているのかもしれない。

 だがエイルは、気づいたのなら気づいたのだと示してほしかった。それが再会の喜びでなくてもかまわない。魔術師に向ける怖れや嫌悪だとしても。

 誰も彼を見ない。彼と目を合わせない。見知ったつもりでいた城内が、酷く冷たく思える。

「落ち着け」

 リックの声が届いた。エイルはこくこくとうなずく。こんなことで動じていては駄目だ。この先へ行かなければ。

 いくつもの階段を上り、無駄なのではないかと思えるほど豪華に飾り立てた、やたらと大きな扉を抜けていけば城の中心――王室へとたどり着く。

 ここへは一度だけ、新年の儀のときに足を踏み入れただけだ。

 あのときもいささか緊張したが、今日はまた違う緊張感が彼を襲っている。

「マザド王陛下」

 リックが礼をした。エイルも倣う。これならば――リックよりも上手いのではないかと思った。

「時間通りだな、正確なことだ」

 感心したように王は言い、リックは何やら言葉を返したが、エイルには聞こえなかった。

 顔を上げた彼の視線は釘付けとなる。

 高い壇上の王の隣、彼が薄闇に籠もっているうちに十八を迎えたシュアラと、変わらずその後ろに控えるファドック。彼らもまた――エイルを見ている。

 心臓が大きな音を立てた。

(大丈夫――大丈夫だ。『あれ』はこない)

 ふたりは見ていた。ふたりの魔術師をではなく、エイルだけを。シュアラは目を見開いた。ファドックの表情は変わらない。だが、ふたりは「エイル」を見ていた。

「――寛大なご処置に協会は感謝しております」

 リックが再び頭を下げ、エイルは慌ててまた倣った。どうやら、使用人を勝手に連れ去ったにも関わらず王が咎めなかったことを感謝していたらしい。本音と言うよりは儀礼であり、おそらくはマザドもそれを知っていることだろう。

 魔術師協会はというのは普段、「王には仕えない」と言ってはばからない組織だ。この場合、エイルを協会で保護し、彼が最低限の術を覚えるまでそこに閉じこめるのが魔術師協会の常識に基づく判断であり、彼らはそれに王の許可など必要とはしない。

 ただ、協会も無駄な争いをするつもりもない。最低限の敬意は示すし、礼儀くらいはわきまえているという辺りだ。

「では、それがかの少年なのだな。エイルと言ったか」

「陛下」

 エイルは思い出したようにフードを取って、一歩進むと三度みたび礼をした。魔術師ならば顔を隠したままでも無礼だとは言われないが、それでもこれは「『失礼』に当たる」と――レイジュの、或いはシュアラの教育が行き届いてしまっている。

「我が城に術師はおらぬが、どうだ。修行を積んだら、宮廷付きの魔術師になるか」

「お戯れを」

 王の冗談――であることは間違いない――に恐縮したように言って、エイルは先に出した一歩を退く。

「それでリック導師とやら。用向きは何なのだ」

「は。これなエイルはいまや正式な魔術師となりましたが、陛下へのご挨拶を済ませぬままで旅立たせることを協会は心苦しく思っております」

「そのようなことか。余はこれまでそちの協会とつきあいはあまりなかったが、なかなか礼儀正しいことだな」

「畏れながら陛下。魔術師個人個人は礼儀よりも自身の術や研究を重んじることは確かです。ですが組織という形になればそれは自然、異なるもの」

「よかろう。それではここに、エイルの任を正式に解く。協会がそこに属する術師をどこへ行かせようと自由だ」

「有難きお言葉」

 王への「用向き」はそれだけだった。少なくともエイルが聞かされているのはそれだけだ。協会から何やら書状もあるようだが、それは従僕に手渡され、王がその中身を読むのはあとのことになるだろう。協会の用は協会の用、エイルには別の用件が――あった。

「――お父様」

 シュアラの、声。どきりとした。

「わたくし……エイルと話をしてもよろしいかしら」

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