03 そんなうまい話があるもんか
仕事ならば、ほしいに決まっている。
彼はくる日もくる日も、仕事を探して奔走しているのだ。
朝は市場で荷運び。夜明け前から朝市のために野菜や果実を運ぶこともあれば、着いた
市場に限らず、建築用の木材や土木資材運びやら、便所のさらいやらを入れれば、朝から夜まで仕事にあぶれることはほとんどない。もっとも普通は、同じ時間帯の似た仕事を繰り返す。慣れればそれだけやりやすくなり、うまくすれば何度も同じ隊商に当たって顔見知りになる。そうなれば心づけをもらえることもある。
エイルも昼に着く隊商を狙うことは多かったが、今日はそう言う訳にはいかなさそうだ。何か夜の仕事を探そう。いや――うまくすればもう仕事をもらいに行列する必要もなくなるかもしれないのだ。
(まさか)
(そんなうまい話があるもんか。〈
誘惑の禍い星神、赤きミールを思い起こしてエイルは自身を律した。
「さて、何から話そうか」
路地に止められた馬車に乗せられたエイルは居心地悪そうに身体を動かした。飾り気のない地味な車のように見えるが、使われている材質は一等品ばかりだ。こんなものに乗ることはもちろん、手を触れたことすらない。
目前に座った初老の男は改めてセラー侯爵と名乗り、「貴族」との推測を裏付けた。侯爵ともなれば、エイルにとってはアーレイドの王たるマザド・アーレイド三世と変わらぬ天上の存在だ。
事実だと言う保証はない。とは言え、この男が平民である方が驚きだ。その声の響きには他者に命令をすることに慣れているもの特有の威厳があった。しょっちゅうエイルが怒鳴られている荷扱い
そして、その脇に控える剣士。
王女付の者、としか言わなかったが、ただの護衛兵士にしては侯爵閣下の隣にいても堂々としていた。この青年もまた貴族だと言われたところで、エイルは不思議には思わなかっただろう。品や知性といったものが感じられ、ただ剣を振り回すだけしか能がないような、力自慢とは明らかに違う。
エイルはそのようにつぶさに観察をした訳でもなければ、冷静な判断をした訳でもない。ただ彼は「この剣士は何者だろう」とだけ思っていた。客観的に見れば、侯爵とかの方が余程存在感がある。と言うより、剣士は実に控えめにしている。なのに――エイルが気にかかるのはそちらなのだ。
何者だろう。
もしかしたらそれは「仕事」への疑問よりも大きく少年の内を占めていたかもしれない。
「シュアラ王女殿下のことは、無論、知っておろうな」
「そりゃ、な。アーレイドの第一王女サマ。唯一のお世継ぎってやつだろ。確か、俺と同い年だ」
「ほう、君は十七か」
「十八、になったとこ。そっか、しばらく俺のが上だな。誕生祭は夏の終わり頃だろ」
乱暴な物言いにもセラーは怒るようなことはなく――と言っても、エイルにしてみれば普通の語り口であって、丁寧にしろと言われてもどうすればいいか判らないだろうが――
「その準備も進めねばならぬな……いやいや、いまはその話をしても仕方がない。
「はあ」
「ご学友はおいでだが、いちばん年の近い姫君でも五つほど離れておってな。それに加え、殿下は街の暮らしというものをご存知ない。以前に街の娘を城へ上げたことがあったが、王女殿下相手と言うことで萎縮してしまうのか、話し相手にすらならなかったご様子だ」
「……ちょっと、それって、つまり」
「
侯爵はまた言った。
「エイル、君にはシュアラ殿下に街の暮らしをお教え差し上げてもらいたい。何、お話し相手になればよいだけのこと。そのほかにも仕事をしてもらうことにはなるが、大きくはそういうことだ」
何の冗談だろう、とエイルが思ったとしても無理はないどころか、当たり前であった。
彼らの言うことが本当ならば、たいへんなことだ。
確かに、彼はアーレイドの市民である。物を買えば、そのうちの幾ばくかが税金として城に納められ、その代わりに城壁の中で庇護を受ける。そう、何も名簿に明記される訳ではなくとも、彼は間違いなく、アーレイド王の治めるこの都市の市民である。
だが、王など、王女など、侯爵など――ただの市民にどんな縁がある?
城が主催する祭りや行事の類には彼も参加するし、祝い酒の樽などを運ぶ仕事を引き受けたりもするから、末端の末端とは言え、城の仕事を受けたことがないとは言わない。
だが、王女など、何百ラクトの向うからしか眺めたことのない存在だ。いきなり、話し相手になれとなどと突拍子もないことを言われたところでぴんとくるはずもなかった。
だが――その報酬、給金と言うのか。月に、一千ラルがまるまる残るというのか?
王様だの姫様だのより、その方がよほど現実的で、同時に現実離れしていた。
それでも、いや、だからこそだろうか。エイルはそれを――請けた。
話を全て信用した訳ではない。彼を騙しても何の意味もないだろうとは思うものの、城下にごまんといる「王女と同年代の少年」などのなかから何故か彼がそんな話を持ちかけられる意味も判らない。
だが、これは好機だ。
日がな一日仕事を探して街をうろうろする暮らしを一生続けるつもりなどなかった。誰でも思うように、いつか大きなことをやってやる、一角の人物になってやる、という――言ってしまえば、曖昧な――夢は彼もまた抱いていた。
宮仕えなどはその想像の内にはなかったが、たとえこの「仕事」がどんな結末を迎えるとしても、アーレイドの宮廷に上がって働いたことがある、と言う事実が悪い作用をほどこすとは思えない。
好機なのだ。
どんなことになるのかは予測もつかないが、どうしても嫌になればとっとと逃げてしまえばいい、という思いもなくはない。
リターに話をしようかとも思った。
だが酒場の少女にこんな話をすれば笑い飛ばされるか、それとも根掘り葉掘り聞かれた上についていくなどと言い出されるかもしれない。侯爵やあの剣士の前で「自分も行く」などと言い出すリターを思い浮かべたエイルは、冗談ではないと首を振った。
「荷は、それだけか?」
侯爵が驚いたように言う。
「宿にまだおいてるのなら、あとで運ばせてやろう」
「あのさ、俺がその日暮らしだって判ってるんでしょ、侯爵閣下。当然、これが俺の全財産さ」
エイルは肩をすくめて言い、セラーはふむ、と呟いた。
「お偉いお貴族様は知らないのさ、俺らがどんなに」
「エイル」
剣士の声が飛んだ。エイルはびくりとする。
「城に雇われる以上、口の利き方には気をつけることだ。本来であればセラー閣下は、城勤めをしていたところで滅多にお目にかかることのできぬ重鎮であらせられるのだぞ」
「んな、こと」
判ってる、とも、関係ない、とも続けられず、エイルは黙り込んだ。侯爵は苦笑する。
「私はかまわぬ、その辺りにしておけ。彼がやはり行かぬと駄々をこねたら困るのはお前だろうに」
「殿下の御前に上がる前に、
彼らはエイルの頭上でそんなやりとりを交わした。それを聞くともなしに聞きながら、エイルは自分の選んだ道はいったいどこへ行くのだろうか、などと考えた。
もちろんと言おうか――道の先が見えることは、なかった。
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