09 負けねえぞ
「何かって」
エイルは目をしばたたいた。
「何でもいいわ。それがお前の役目でしょう」
「俺、
「馬鹿ね。物語を話しなさいなんて言ってないでしょう。街の話をするのよ」
「街の話ぃ?」
エイルは頓狂な声を上げた。
「何が聞きたいんですか? 何を期待してんだか知らないけど、朝の市場で俺が仕事もらうのに苦労する話なんか、王女様が喜ぶとは思えないけどね。街の話だって? そんな曖昧なこと言われたって、俺にゃさっぱり」
エイルは顔をしかめてそんなことを言い、シュアラの目が再び見開かれるのを見た。まずったかな――と思った瞬間、扉が叩かれる。
エイルは言葉をとめて入口を振り返った。数
「何をしてるの」
「はっ?」
「早く開けなさい」
「俺が?」
「カリアがいないんだから、お前が開けるに決まっているでしょう。必要なら私に取り次いで、そうでなかったらお前が用事を聞くの。こんなことを教えなければならないの?」
「なっ」
何でそんなことを教わらなければならないのか、と言い返すのはやめた。普通、部屋の扉が叩かれればそれを開けるのは部屋の主の仕事だ、などと言ってやるのも。
何しろ、彼女は王女様なのだ。少年は素直に――内心は違ったが――その言葉に従うべく扉に向かった。
「エイルか。侍女はいないのか」
「――ファドック様。侍女の姉ちゃんはお茶を淹れさせられにいきましたよ」
扉の外にいたのは、先とはまた違う兵服を身につけたファドックだった。彼はエイルの台詞の「侍女の姉ちゃん」にか「淹れさせられに」にか、ふっと笑いをもらす。
「快調のようだな?」
「そう見えます?」
「――ちょっと、何してるのよ。ファドックなんでしょう、早く入れなさい!」
「……姫さんのが、快調ですよ」
そう呟いてエイルは扉を大きく開ける。ファドックは一歩部屋に入ると略式の敬礼をした。
「シュアラ姫」
「遅かったじゃないの。護衛騎士(コーレス)でしょう、私を得体の知れない町の男とふたりきりになんかさせて、いいと思ってるの?」
エイルを呼んだのもシュアラなら、カリアを追い払ったのもシュアラである。だが少年は賢明にも、口を挟むのを控えた。
「畏れながら、姫君。エイルを選ばれたのは姫君ご自身と思いましたが?」
「そうよ、そんなの判ってるわ」
だがファドックはエイルが口をつぐんだ部分を簡単に口にし、シュアラも言葉の調子こそ変わらないものの、その声にはエイルに見せていたような挑戦的な感じはない。「得体の知れない」少年はどうしていいのか――と言うより、物事がどうなろうとしているのかよく判らず、馬鹿みたいにつくねんと戸の側に立ちつくすことになる。
シュアラは何やら少年の知らない話をファドックに尋ね、返ってきた言葉に不満の声をもらした。
「それじゃ話が違うわ! 緑色のものが用意できると言うからあの仕立屋を選んだんじゃないの。青じゃ駄目よ、私には似合わないわ。できないならあの男はクビよ」
「仰せのままに」
どうやらこの王女様はなかなかに我が儘娘のようだ、ということがエイルにも判ってくる。それに従うファドックの姿にも少し驚いたが、話の内容を考えればもっと奇妙だ。先に階段で出会った侍女ではないが、それこそ騎士の仕事ではあるまい。
「エイルは、どうです」
急に名前を呼ばれ、少年は少しどきりとした。シュアラはちらりと少年を見ると、まるで彼の存在を忘れていたかのように、ああ、と小さく呟いた。
「話にならないわ。快活な子だと思ったのに何だかはっきりしないことばかり。見た目をきれいにしたって、どうやら野蛮なのは隠せないし、口の利き方も知らないわ」
いくつかエイルの知らない単語があったが、それでも気に入られなかったことは判った。それは、そうだろう。エイルの方こそ言い返してやりたい気持ちである。
「街の人間に貴族のような物言いを求めても仕方のないことでしょう。それに、彼は突然ここへ連れてこられてまだ右も左も判らないのですよ。姫が望まれるような対話はおいおいに叶いましょう。わずかなやりとりで即断はされない方がよろしいかと」
予想通りの反応だったのだろう、ファドックは驚きもせずにゆっくりと返した。エイルは、てっきりシュアラが怒るかと思ったが、王女はそうせずにうなずいた。
「……そう。ファドックがそう言うならいいわ。エイル、このまま城に滞在なさい。次はもう少し礼儀を覚えてくるのよ」
「礼……おまっ……」
彼自身のままでいい、と確かファドックはそう言った。とは言え、さすがに王女殿下相手に「お前」はないだろうと変なところで冷静に考えたエイルは、しかしいい二人称を思い浮かべられず、絶句することになる。
「何をしているの。早く退出なさい。そんなことも言われなければ判らないの?」
判るもんか、この自己中心女――と叫ぶのは、やはりぐっと堪えた。
「俺が出ていくときは俺が決めます。俺は殿下に雇われたかもしれないけど、剣を捧げたつもりはないですからね」
「まあっ」
青い瞳はこれまででいちばん丸く見開かれ、その口も驚愕に開かれた。仕立屋同様、簡単にクビかな、と思わなくもなかったが、これくらいのことは言ってやりたいと思ったのだ。彼は彼なりの礼儀でもって一礼すると――全くの礼儀知らずだと思われるのも悔しかった――踵を返して扉を開けた。
「何……なんて言い方なの! ファドック、いまの言葉を聞いた? まあ、何て――」
それ以上は聞かずに部屋を出ると後ろ手で扉を閉める。「何て生意気な」「何て勝手な」「失礼な」「口の利き方を知らない」どう続いたのだろうと、要するに意味は同じだ。
「……何だよ、ありゃあ」
彼の方も、呟かずにはいられなかった。
「あれが、アーレイドの王女様だって? ちょっとばかり見た目は可愛いけど、ただのわがまま娘じゃねえか。別に、俺は幻想なんて持っちゃいなかったけど、それにしたってもう少し」
エイルには独り言の癖などはなかったが、このときばかりは思いが声に出た。
「ああ……いいや。どうせクビだ」
そう結論づけて首を振ると、ため息をつく。怒濤の半日だったが、リターにいい土産話ができたと思えばいい。
「あら」
顔を上げると、銀の盆を手にした侍女が歩いてくるのが見える。
「もう退出ですの、エイル殿? 上等の香茶を持ってきましたのに」
「ええと、カリア、って言ったっけ?」
「はい」
「殿(セル)、ってのはこそばゆいからやめてくんないかな。それに俺はたぶん、お払い箱だよ。王女様を怒らせちまったみたいだからね」
「あら」
カリアはまた言った。
「シュアラ様を怒らせてクビなら、侍女は全員クビだわ、エイル。クビだと宣告されたんじゃないのなら大丈夫。すぐにまたお召しがあるわよ」
女はすぐに彼をセル扱いするのはやめて、砕けた口調で言った。
「そういう、もん?」
「そうよ、他にも仕事を割り当てられてるんでしょう? と言うことは、シュアラ様にはあなたをクビにする権利はないってこと。あなたは城に雇われてるのよ、エイル」
「でも俺、まだ何もしてないよ。この」
扉を指さす。
「仕事も、他のもさ」
「これからやればいいでしょう。しばらくやってみても失敗続きなら、クビかもしれないわ。でもせっかくきたんだから、頑張りなさい」
「そうだな、そうすっかなあ」
何だか気が抜けたエイルは、また大きくため息をついた。
「それじゃ、杯がひとつ無駄だったかしら。あなたに怒ったシュアラ様のもとに二つの器を持っていったら、またお怒りのもとね」
「ああ、それなら平気だよ。ファドック様がきてる」
「あらそう。それじゃますます安心よ、エイル。ファドック様なら間違いなく、シュアラ様に巧くとりなしてくれますからね。それじゃ、行きなさい。仕事があるんだから……あなたにも、私にもね」
カリアはきれいに片目をつむると、再び澄ました侍女の顔に戻って装飾のある扉を叩いた。それににやりとさせられたエイルは、カリアに手を振ると王女の部屋を離れることにする。
少し気分が回復した。カリアの言う通りだ。せっかくきたのだから、頑張ってみればいい。
待遇だけを言えばこれは夢のような話なのだ。駄目なら駄目でやはり首を切られたとしても――或いは、彼がお姫様に耐えきれなくなってここを飛びだすとしても――町の暮らしに戻ることに、文句などない。どうせなら面白い体験をして、役に立つことを覚えて、それで帰されれば御の字ではないか。
(よし)
軽快に階段を降りながら、エイルは考えた。
(負けねえぞ……姫さん)
それこそが――まさしくシュアラに「負けない」ことこそがエイル少年に求められていることだとは、彼はまだ気づいていなかった。
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