04 ふたつの色

 宮殿。

 城のことがそう表現されるたびに、エイルの心に浮かぶものがあった。

(いつかお前は――翡翠の宮殿ヴィエル・エクスに)

 予言、占いの類など信じはしなかった。

 それは何も彼が、生活に追われる現実的な少年であるためだけではない。

 母がよく話してくれた予言。彼は――双生児であろうとの予言を受けていたという。

 金のないふた親はその予言に困惑し、父は金のために無理な仕事に手を出して、事故で死んだ。そしていざ産まれてみれば、赤子に相方などおらず、母は安堵と――やりきれない思いを覚えたという。もちろん、そのような妙な予言がなければ、彼女の夫は生きていたはずなのだから。

 そんな話を聞いて育ったひとり息子が、占い師ルクリードに敵意を抱かなかったのは奇跡のようなものだが、よい感情などかけらも持つことができなくとも何の不思議があろう?

(お待ち――そこの子供)

 与えられた部屋は相変わらず広く見えた。他の者と話すうち、彼は使用人のなかでは高待遇を与えられていることを知る。彼らの多くはエイルのものより小さい部屋で過ごしており、それもふたり部屋だ。だがエイルは別に感謝する気にはならない。広いだけの場所などもてあますし、話し相手ならばいた方がいい。

 だがいまはそのことを考えていたのではなかった。やはり広い寝台に転がりながらエイルが思い出していたのは、あの日の「予言」だ。

(お前は変わった色を持っているね)

 ごろりと寝返りを打つ。寝台はきしむ音ひとつ、たてなかった。

「ちょっとお待ち、そこの子供」

 あの日の彼は、しわがれた老人の声に思わず足を止めた。いつもと変わらぬ路地裏で、見慣れぬ店が開いていたのだ。

 昼間とは言え小路がどこか怪しげなのは、建物の陰で日が差さないせいもあっただろう。だがところ狭しと数ラクトごとにテントを張っている裏商人トラオン情報屋ラーター占い師ルクリード呪術使いコーリードたちが醸し出す雰囲気は独特なものだ。

 もっとも、彼ら自身が日が入らないような暗い場所を選んで集まってきたのだろうから、この手の小路の空気の形成は〈木々が種を落とすのか、種が木々に育つのか〉という話になる。

「そう、お前だよ子供。お前は変わった色を、持っているね」

「色だって? 何だよ、それ」

 そうやって通りすがりのものの気をひくのが占い師の、特に新参者の手だとは知っているものの、ラルが目当てならば彼のような成人もしていない子供に声をかけるはずもない。むしろこの街のことを聞きたくて彼を手懐けようとしているのかもしれない──そんなことまで瞬時に考え、エイルは足を止めたのだ。占い師など好かないが、うまくすれば逆に小銭稼ぎになるかもしれない。

「じいちゃん、見ない顔だね」

「ほ……占い師に詳しいと見える」

「そういう訳でもないけどさ、じいちゃんみたいな『いかにも』って占い師はいそうでいないんだよね」

「ほほほ……面白い子じゃ」

 フードの奥に小さな目をのぞかせて、老占い師は笑った。

「どうやら賢い子じゃの。わしの言葉に足を止めたこと、後悔はさせんぞ」

「言っとくけど、俺みたいな子供から金とろうったって無駄だよ。今日の飯にありつけるかどうかも判んない、なんだから」

「まさか。曾孫ほどのお前から儲けようとは思わないよ、安心おし。ただね、あまりに奇妙な色を持っているから気になったのさ」

「だから、何だよ、それ」

 エイルは行儀悪くも、占い爺の水晶球がおかれている卓の上に半ばよりかかるように腰をかけた。

「こう見えても暇をもてあましてるって訳じゃないんだ。言いたいことがあるんならとっとと言ってくれよ」

 言葉とは裏腹に、話が長くなりそうな予感は初めからしていた。それでも足を止めた。興味を引かれたことは事実だ。

「わしはね、子供。ひとに色を見て取ることができるんじゃ」

 その台詞があまり芝居めいていなかったことが、エイルには意外だった。この手の、いわば「必殺技」に演出を加えない占い師も珍しい。

「その色で、ひとの心が見て取れる。喜怒哀楽、大小さまざま、あるもんだけれどね」

「……ふうん。それで?」

 演出の有無はともかく、それほど独創性のあるネタでもないな──などと考えながらエイルは続きを促した。

「もちろん、色はみな違う。似通ってはいても、全く同じ感情を持つものがいないようにな。ただ、人は誰しも基本の色──と言うものを持っているんじゃ。基本のふた色……男と、女」

 ぴくり、とエイルの指が動いた。

「男の心、女の心。いや、必ずしも決まっているというのではないよ。たいていの男はこの色、女はその色を持っているだけ。少し混ざってしまっている者は、珍しくはない。稀には、それが多くの同性とは異なる者もいる。しかし」

 エイルは迷った。このまま続きを聞いていいものか、それとも逃げ出してしまおうか。だがその結論を出すより早く、老人の声が続いた。

「お前さんのように、ものは初めて見たよ。綺麗なもんだよ、少しも混じり合わず、かと言って矛盾もない。お前はひとりの人間であるのに、間違いなくなくお前一人の心が男と女の……とは言いきれぬが、全く違うふたつの色を別々に持っておるな」

 意味が、判らなかった。

 言葉の意味は判る。彼のなかにふたり分の心があるとでも言うのだろう。

 だが判らない。そんなものは、ないからだ。

 しかし同時に、どきりとした。薄ら寒いものを覚える。

 ――双生児とされていた、生まれる前の予言。

「どういう……意味だよ」

 声がかすれてしまったことなど、彼は認めたくなかっただろう。

「どうもこうも、お前さんも気づいていたろう。全く異なる感情が、何の違和感もなしにお前さんのなかに存在できることに。怒りと哀しみが矛盾なく、混じり合わずに感じられたことがあるだろう。女を想い、同じように男を想ったことがあるだろう……いや、これはいささか早いかな」

 老人はひっひっと笑うが、エイルには聞こえない。まさか──。

「お前さんは実に特殊だよ。わしも長いこと水晶球をのぞいておるが、お前さんのような運命の持ち主は初めてだ。いいかい、よくお聞き」

 最初に足を止めたときの気持ちとは裏腹に、いつの間にかエイルは真剣に耳を傾けていた。

「お前さんはいつか、翡翠の宮殿ヴィエル・エクスに行くことになるだろう。望むと望まずに関わりなくね」

「ひすいの……宮殿だって?」

 少年は動悸を感じながら聞き返した。

「唐突じゃんか、色がどうとかよりそんなのいきなり――『お話』みたいだぜ」

「さて。わしにはわからんよ。占い師は見えるものを伝えるだけ。その定めはお前のもので、それはお前が生まれる前から決まっていたこと」

「馬鹿にすんない」

 少年は息巻いた。

「決まってること、なんかあるもんか。俺の定めなんて俺が決めるのさ。フィディアルだって導き手だって、勝手に決められるもんか」

「そうさ、選ぶのはお前だ。だがその選んだ道は、定め。そして」

 老人は言った。

「そして、いいかい、お前の道には常に碧玉ヴィエルが輝いているだろう。お前はその色のために大切なものを捨てなければならない日がくるかもしれん」

「大切なものを捨てる?……そりゃあんまりいい話じゃ、ないな」

 どきりとした。少年は軽くいなそうとしたが、思いに外れて声はかすれた。

「そう。それはお前の運命さ、子供。どんなに抗っても、お前の道はそこに通じるよ。だが安心おし。お前は決して、ひとりではないから」

 対して爺は、これまでで初めて暖かい表情を──それこそ、実の曾孫に向けるかのような瞳で、言葉を継いだ。

「お前の進む道はつらいかもしれぬが、常に光がともにある。光と出会えば、宮殿エクスへの旅路は楽になろう」

「……へっ……そうかい」

 エイルはふるえる手を押し隠しながら声を出した。

「だんだん、ありきたりになってきたみたいだな。つらい道に光があるだの、その程度のことなら俺にだって言えるし、誰にだって当てはまるだろうぜ」

 興味を失った、とばかりに少年は卓から離れる。しかしその内では、あくまで冷静に、取り乱さないように──叫んでしまわないように、逃げ出さないように、必死で何かを押さえていた。片手をあげて老占い師のもとから歩き出し、小路を曲がり──そこではじめて足を早めた。

 自身が他者と違うなどとは思っていなかった。双生児の予言だって、ただの外れた予言だとしか思ったことはなかった。

 なのに突然、不気味に思えた。

 もしかしたら、本当に、彼には双子の片割れがいたのではないか?――ふと、そんなことを。

(まさか)

 母親が嘘をついたとも思えない。彼は首を振って、その妖しい思いを振り払おうとした。

 「ふたつの色」。「運命」。それに、「翡翠の宮殿」。占い師の発した言葉が、形を取って追いかけてくるような気がした。

 そんなことがあるはずないと思いながらも、彼は逃げ出すようにその小路から離れていったのだ――。

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