03 度胸、あんなあ

「そ、その言い方は何だと言うのっ」

 だがその呪文は遅かったようだ。

「語り口だけは大目に見てやることにしたけれど、そこまで礼を欠いていいと思ったら大間違いなのよ!」

 エイルとしては「そんなに」礼を欠いたつもりなどない。ちょっと声を荒らげてしまったことは確かだが、この程度では子供だって泣かないだろう。

「姫様、どうされましたか」

 戸の外から、慌てて駆けつけてきたらしい侍女の声がする。

「――エイルが退出よ」

「はいよ、そうしましょ」

 そんなふうに返すとまたシュアラの表情が険しくなるが、謝ったりするのも――癪ではないか。

 王女様とのやりとりは、概ねそんな感じだった。

 少しは話が弾むか、もうちょっとでシュアラが楽しそうに笑うか、と思えば、ちょっとした一言で機嫌を悪くし、退出を求められる。最初に言ったように、命令されたから部屋を出るというのは気に入らなかったが、そんな状況になって居座りたいとも思わない。彼は腹を立てた姫君を背後に残して部屋を出て、もうお呼びがかからないだろうと思うのだが、不思議と数日の間に次の召し出しがある。こんな調子でこの「仕事」は続くのだろうか。

 水を飲みながらぼんやりと考えていると、不意に休憩室の扉が開いた。誰もやってこないだろうと思っていたエイルはどきりとする。

「ああ、エイル。休憩かい」

「えっと」

 エイルは考えた。厨房で顔を合わせている人物だが、個人的に話をしたことはない。

「ユファスだよ。たいてい、焼き方をやってる」

「判ってるよ、名前を知らなかっただけ」

 そう言ってエイルは差し出された手を取り、不思議に思って少し年上の若い男を見た。

「珍しいじゃんか、こんな時間に。寝坊?」

「そうじゃないよ」

 柔和な顔のユファス青年は、エイルの言葉に笑った。

「医者のところへ行ってきたんだ」

「どっか悪いのか?」

「そうじゃないよ」

 ユファスは繰り返す。

「いや、悪いと言えば悪いのかな……数年前にちょっと、怪我をしてね。月に一度、治療を受けないといけないんだ」

「数年前なのに、いまでも? ずいぶん、大けがしたんだな?」

「まあね」

 男は肩をすくめながら奥の戸棚へ向かうと調理着を取り出した。

「どう? 厨房は慣れた?」

「慣れてきてるとこ」

 エイルは答えた。

「トルスに言わせれば、慌て者の新米だけどね」

「そりゃ、料理長は厳しいもの」

 手早く白い制服を身につけながら、ユファス。

「厳しいってことは優しいってことだよ。『新米』をこき使って怪我をさせでもしたら、トルスは怒るだろうね。自分をだよ」

「……もしかしてユファス、厨房で怪我したのか?」

 ユファスの口調にふと感じ取ってエイルは尋ねた。ユファスは一リアきょとんとし、違うよと笑う。

「僕は、トルスに拾われたんだ。こう見えても、僕は兵士だったんだよ」

「へえっ」

 意外だ。

「でも怪我のせいで剣を持てなくなって、いまでは代わりに包丁を持ってるってとこさ。それじゃ、先に戦場に戻ってるよ」

 厨房を戦場、と思うのはエイルだけではないようだ。

「俺ももう行くよ、ユファス」

「大丈夫かい? 料理長に、休むよう言われたんだろ?」

「ちょっと焦っちまっただけさ、もう大丈夫」

「そう。それじゃ行こうか」

 昼の戦はまだ続く。


 第一の陣が終わると、夕の陣までは間がある。

 彼は下男ではなかったから、その間は空き時間だ。

 はじめの数日は部屋でぐったりとしていたものだが、日々を過ごす内に余裕が出てきた。少年は許される範囲で城内を見回ったり、初日のように兵士の訓練を眺めたり、行き合った使用人たちと話をしたりして、次第に新しい生活に慣れていった。

 時間が合えば、ファドックは約束通り剣の手ほどきをしてくれた。これが予想以上に面白く、ファドックが他の仕事で忙しいときはイージェンに教わることもあったくらいだ。剣で人を傷つけたくないという思いに変わりはないが、こうして武器を振るうことを気持ちよく思う自分もいる。だが彼のなかに矛盾レドウはなく、矛盾かもしれないとも思わない。

「なかなか、筋がいいぞ」

 兵士はそう言って少年をいい気分にさせる。

「打つとき、引くときの判断が素早いんだな、城下で培ってるだけある。兵士なんて言っても城にくるのはいいとこの坊ちゃんが多いからなあ、甘ったれにはそういう瞬時の判断ができないもんなんだよ」

「いいのかよ、そんなこと言って?」

 イージェンの言い草にエイルは口をひん曲げた。

「あんただって、兵士だろ。坊ちゃんなんじゃねえの?」

「言うねえ、坊ず」

 イージェンは笑う。

「うちはまあ、中級の下、ってとこかな。金がない訳じゃないが、食い扶持のガキをひとり城に放り込んで生活費を節約しよう、あわよくば俺から給金を巻き上げよう、ってなとこさ。おかげでこちとら、毎月ぴーぴー言うことになってるよ」

 そう言うイージェンの台詞にはしかし苦々しいところはなく、彼が本当に家から追い出されたのではなく、おそらくは自身の意志で給金を実家に入れているのであろう推測が付いた。

「そう言うお前はどうなんだ、エイル」

「俺? 俺はたぶん、この城の誰よりど貧乏だよ。父は既に亡く、母は女手ひとつで息子を育てました、ってやつ」

「貧乏なのは判ってるがな」

 酷いことをあっさりと言われるが、嫌な気分にはならない。

「そうか、母ひとり子ひとりか。母さんはお前の突然の城勤めをどう思ってるんだ?」

「んー?」

 エイルは返答に窮した。まだ、母には何も連絡していない。

「どうだろうね? 嫌がりゃしないと、思うけど」

「何だ、話してないのか?」

「家まで帰る体力的余裕がなくてね」

「手紙でも書けよ。知らないのか? 毎日、郵便屋バイリーンがきてること」

「それって、俺を買いかぶってんの、それとも馬鹿にしてんの?」

 エイルは天を仰いだ。

「読み書きなんてもん、下町のガキがどうやって身につけると思ってんだ?」

「成程」

 イージェンは自らの過ちを認めるようにうなずいた。

「それも習いたきゃ、ファドック様に頼むといい」

「へえっ」

 エイルはわざとらしく驚いた顔をした。

「あの人は、何でも屋って訳」

「人にものを教えるのが、巧いんだな」

 少年の茶化した調子を特に受け止めることも打ち返すこともせずに、イージェンは言った。

「こっちが何をどれくらい理解できたのかできてないのか、それとも解ってはいるのに身体がついていかないのか、全部見て取って適切な助言をくれる。やろうと思ったってできることじゃない」

 確かに、ファドック・ソレスにはそのようなところがあった。一言で言うならば、察しがいいとでも言うのだろうか。だがそれが嫌味にはならない。受ける方が少し鈍ければ、ファドックが「察して」手を差し伸べてくれたとか一歩を引いてくれたとか、そうしたことには気づくまい。

「だから」

 イージェンはにやりとして言った。

「我らが王女様はファドック様を放さないのさ。実情を知らん貴族のなかには、王女殿下に気に入られているファドック・ソレスってのは余程口が巧いんだろう、何て思ってるのもいるみたいだけどな」

 エイルは吹き出した。ファドックは上手に言葉を選びはするが、その中身はいつも誠実であり、おべっかの類にはほど遠い。場合によってはこちらが気を落とすような、厳しい忠告のことも多いくらいだ。

「おっと、噂をすればファドック様だ」

 寄ってくる人影を認めたイージェンは、腰掛けていた石垣から立ち上がると敬礼などする。

「稽古か」

 それに礼を返しながら、ファドックはふたりに話しかけた。

「エイルがどうしてもって言いまして」

「言ってないだろ、そんなこと」

 青年の軽口にエイルは舌を出す。

「俺は仕事の合間に疲れた身体を休めたいのに、そっちが無理矢理連れだしたんじゃないか」

 もちろん、これも冗談だ。時間が合ったので、それを利用しているだけに過ぎない。

「どうしたんです? ファドック様はこんなとこ、通りかからないでしょう」

 イージェンが狭い中庭を指さした。

「私が通っていい場所が決まっているとは知らなかったな、イージェン?」

「とーんでもない。城中のどこを歩いたって叱責されたり奇妙に思われたりすることがないのは、ファドック様くらいじゃないですか」

 使用人にはそれこそ「通っていい場所」が定められているし、逆に使用人ばかりがいるところに貴族がやってきたりすれば――そんなことはまず有り得ないが――驚かれる。

「エイルに伝言があってな、探しにきた」

「俺?」

 今度は少年が座っていた場所からぴょんと飛び降りる。

「明日の午後、姫様にお時間がおありだ。お伺いするように。八刻の頃になるだろう」

「へえっ」

 エイルは面白そうに言った。

「驚いたな、お払い箱かと思ったのに。それとも直々にクビを宣告して下さるんかな?」

 エイルはおどけた口調で──少しは本気も混ざっていた──言う。

「今度は何をやらかしたんだ?」

 イージェンが面白そうに言う。

「別に、これまでと変わんないよ。シュアラが人を馬鹿にするから、なめんなって言ってやっただけさ」

 そこまでは言えていないが、それは自重しただけで、解雇を恐れたとか萎縮したとかでは全くない。

「度胸、あんなあ」

 イージェンは感心と言うより呆れたように言う。

「何がさ」

 エイルは鼻を鳴らした。王女と言っても、小娘ではないか。

「殿下のことじゃないぜ」

 少年の内心を見透かしたように、イージェン。

「私の前で、そのような口を利くことに対して──だろうな?」

 ファドックが口を挟んだ。イージェンは首をすくめてみせ、エイルは少しどきりとした。

 エイルはファドックからそのままでいいと言われたが、騎士本人はシュアラに見事な礼を尽くしている。たとえ王女に不満を抱いている者でも、ファドックの前でそれを明らかにはしたがらないだろう。言わずとも気づかれているかもしれないが。

「かまわんよ」

 だがファドックはあっさりと言った。

「私は騎士だが、エイルは違う。お前もだな、イージェン。城と王家を守ることがお前の仕事だが、それは必ずしも王女殿下に仕えることを意味しないだろう」

「ま、そういうことっすね。俺は城に雇われてる。兵士はみんなそうだし、エイルも、ほとんどの使用人もそうだ。でもファドック様は言うなれば、シュアラ様に雇われてるってとこですか」

「そんなところだな」

 ファドックは苦笑した。

「それじゃ」

 エイルは何となく声を出した。

「どうするんですか、もし……王様と姫さんの意見が違ったら」

「生憎と、そんな際に私の意見が求められることはないよ」

「たとえば、ですよ」

 エイルは食い下がった。

「姫の望むことを」

 ファドックは──即答した。

「それが私の役目だ」

「……そういう、もんすか」

 何だか納得がいかない。

「姫さんが望んだら、ファドック様は自分が望まなくても、そうするんですか」

 隣でイージェンが驚いたような顔をする。「度胸あるなあ」というところだろう。

「それが私の役目だと言った通りだ、エイル。ただ、私がそうするときは、全て私がそうしたいと思うからだ。内心を押し隠して嫌々ながら命令に従うのでは、下男と変わらない」

 そんなふうに言ってから、騎士は肩をすくめた。

「似たようなものでは、あるかもしれんがね」

「またそんなことを」

 イージェンは眉をひそめた。

「殿下が聞いたら、腰に手ぇ当てて怒りますぜ。ファドック様は特別な位置にいる。宮殿エクスの誰でも、知ってることです」

「お前はそうやっておだてるがな、私がいるのは特別な位置というより……特殊だ。私が分をわきまえなければ、イージェン。宮殿の誰もが、私を非難するようになるさ」


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