04 そういった間柄

 カーディル城は決して広くないが、エイル少年が知らなかった部屋もある。

 と言うのも、少年がこの城に滞在していた間には、当の少年以外に客人はなかったから、ゼレットが客をもてなすために食間を使うことはなかったのだ。

 カーディル城の規模を考えれば広めの、もちろん王城に比べればずっと狭いその部屋は、しかし魔術など使わなくても明るく暖かく保たれていた。蝋燭を上手に配置すれば暗さは覚えないし、気密の高い設計は南国の知恵である。換気のための煙突はあるが、冷気が逆流しないように作られているものだ。きらびやかさはなくとも、ここは立派な城だった。

 シーヴが戸惑っていた。

 と言うのは、彼がこういう席に出たことがないためであった。

 もちろん、リャカラーダが、ではなく、シーヴが、である。

 王子であれば貴族たちは彼の――父の――臣下となるし、砂漠の子であれば伯爵閣下になど会わない。階級ある人間に目下の立場で丁重に接するというのは、彼にとってはなかなか難しいのだ。

 しかしゼレットは、シーヴがときどき対応に躊躇うのを特に不思議には思わなかったようだった。突然、伯爵の城に連れてこられれば困惑しても当然だと思うのか、それとも彼なりの鷹揚さでもって、そんな些細なことは気にしないのか。

「ご気分はもう、よろしいのか。エイラ嬢セリ・エイラ

「ええ、はい。ご心配おかけしまして」

 「これくらい」に丁寧であればよい、と言うのなら「エイル」のお得意だ。ゼレットと最初に目を合わせたときはかなり緊張をしたエイラだが、幸いにしてゼレットの瞳に不審なものが浮かぶことはなく――当たり前と言えば、当たり前でもある――彼女は少し安心して、この城の料理長ディーグの皿に懐かしさを覚えることができた。

 食卓の話題は例によってシーヴの語る「東国」の話が主となり、時折、南方の冬の厳しさや、過日の冬祭りフィロンドの話などがあがった。

 ゼレットもさすがに「女連れ」であるシーヴにそう言った類の声がけをすることはなく、エイラの方でも懸命に伯爵の気を逸らしていたから――魔術も使ったが、シーヴの「連れ」であることも強調した――伯爵が彼女によからぬ思いを抱くこともなかっただろう。伯爵は女をその気にさせるのが巧いが、その気のない女を見抜くのもまた巧い。

 何も、こうして和やかに食卓を囲むためにこの城へやってきたのではなかったが、翡翠と〈守護者〉という言葉にゼレットが強い反応を示したことを思い出せば、すぐにそれを口にのぼせるのも躊躇われる。結局その日の夕餉は、彼らの親交を深めただけで終わってしまった。

 ――そして、新たな問題が立ち上がった。

 と言うのも、客間には寝台がひとつしかなかったからである。

 広めの寝台はふたりが休むのに充分な広さがあったし、男女がふたり旅などしていれば夫婦か恋人と思われるのも自然なことである上、ふたりはそれぞれの理由で殊更に、そういった間柄であるように見せていた。

 そうなれば当然、提供された部屋はひとつだけとなる。

 狭い天幕で密着するように眠ることも――エイラは眠らなかったが――あったことを思えば、ゆったりと手足を伸ばせる分、この寝台の方が広いくらいだ。だが寝台となると、どうしてもシーヴは、いわゆる〈ロウィルの結びつき〉を思い浮かべるらしかった。

 彼が砂漠の娘と愛を語ったのはそれこそ天幕や星の下であることがほとんどだったが、エイラに対してはどうにも異なるようだ。

「……まあ、俺は床で充分だ」

 しばしの沈黙のあとに、砂漠の青年はそんなことを言った。

「馬鹿なことを言うなよ、紳士的にも程があるだろ」

 エイラはそれをとめる。眠らない彼女が寝台を使って、眠りを必要とする「人間」が床で凍えるなど馬鹿げている。そう思っての発言だったが、シーヴの顔に奇妙な表情を見つけて――はたとなる。

 いまのは、と取れる台詞ではないか。

「あっ、いやっ、違うからな。私が言うのは、その」

「判ってるよ」

 シーヴは苦笑した。

「だがな、エイラ。やわらかい布団のなかで風呂上がりの女なんかに隣にいられてみろ。仮にも男なら相手が誰だろうがおかしな気分になるに決まってる。俺に襲われたくなかったら言うことを聞け」

 「エイル」も男であるからその気持ちは判る。だがこの青年がはっきりと――いや、いささかごまかそうとはしていたが――彼女に欲情するだろう、と告げたのは初めてであり、それがエイラを戸惑わせた。

「……じゃあ、風呂に入らなければいいのか」

 そんなことを言って彼女もまたごまかそうとする。

「馬鹿を言うな」

 今度はシーヴがそう返した。

「せっかくの風呂ウォルスを使わんことはない。温まるし、疲れも取れる」

「それならせっかくの寝台を使わないことも馬鹿げてるだろうが」

 エイラは言った。

「私に隣にいてほしくないのなら、あんたがひとりでこれを使えばいい。その……リ・ガンは一晩や二晩眠らなくたって、平気なんだから」

 エイラは少しだけ本当のことを言った。

「それで、お前に寝顔をじっと見つめられるのか? 嬉しくないぞ」

 シーヴは、それを信じたのか信じないのかエイラに判らない口調でそう言い、エイラは、そんなのは毎晩やっている、などとは言わずに唇を曲げる。

「素直じゃない王子様だな」

「素直にならないようにしてるんだ、と言ってるだろう」

 エイラは天を仰いだ。こうしてこの論争を続けていれば、却ってシーヴは意識しかねない。それでもきっと、この律儀な王子様は彼女に手を出さないだろう。だが、〈鍵〉の意志に引きずられるリ・ガンが――彼女の方からでもするんじゃないかと思うと、その方が余程「エイル」には怖ろしい。

「セル、よろしいですか」

 そのとき、不意に部屋の戸が叩かれ、彼らの戦はひとときの休戦を迎える。ふたりは互いに、ほっとした。

 シーヴが扉を開けると、そこにはきりっとした美しさを持つ女性の姿がある。ミレインだ。

「よろしければ、風呂ウォルスにご案内させていただきますが」

 ふたりは意外に思った。このような雑事は使用人がするべきことであり、ミレインは伯爵の執務官である。

 身に付けている衣服が格段に上等だとか言うことはなかったが、その身のこなしや発声、発音は、ある程度以上の位、品格、教養を示す。口調は丁寧ではあっても必要以上にへりくだる色を持たなかった。ふたりが「リャカラーダ王子とその連れ」ではない、ただの旅人である以上は、十二分に礼儀正しい態度である。

 そんな執務官が客人の風呂の世話などをするのは奇妙だったが、彼らは特に疑問を差し挟まなかった。ミレインがそうするのならそれはゼレットの命令なのだろうし、かの伯爵が何をしようとエイラはいまさら驚かず、シーヴもまた、ゼレットは変わった伯爵様であると気づきだしている。エイラがシーヴの思いを聞けば、自分のことは棚に上げるのか、などと言うかもしれなかったが。

 ゼレットのことであるから、ミレインを寄越したのはエイラへの配慮かもしれない。具合は平気か、女の立場で何か不自由していないか見てこい、とでも言ったのかもしれず――まさかシーヴの「正体」を見抜いて、一使用人をつけるだけでは沽券に関わると考えた訳でもないだろう。

「ああ」

 シーヴはうなずいた。

「それじゃエイラ、案内してもらってこい」

「セル」

 背後を振り向いて告げた青年に、ミレインはにっこりと言った。

「ご一緒できます程度の広さはございましてよ」

 シーヴは苦笑し、エイラはむせそうになった。

「いや……俺は少し、ひと眠りでもしようと思う」

 青年はそんな言い訳をするとエイラを促した。

 まさかミレインが一緒に入ってきたりしないだろうな、と「少年」は一リア心配したが、それは杞憂だった。執務官は優しい笑顔で素性の知れぬ旅人に接し、当たり障りのない会話をしただけだ。ミレインとこんなふうに話したことがなかったエイラは、これだけ有能そうで自立している女性でもやはりゼレットのなのだろうか、などと馬鹿なことを考えていた。

エイラ殿セル・エイラ

 風呂場の扉の前で、ミレインはそこに入ろうとする彼女を呼び止めるように声を出した。

「もしお望みでしたら、もう一部屋をご用意いたしましょうか?」

 何とも有難い申し出である。

「え、な……何で」

 だが、はい喜んでと即答もできない。まさか先の会話を聴かれていた訳でもあるまいとエイラが慌てると、ミレインは軽く肩をすくめた。

風呂ウォルスをご一緒されないのでしたら、お部屋もその方がよろしいのかと」

 「いい仲」と思わせたいのならばそれは不自然であったかもしれないが、降って湧いた幸運でもある。エイラはうなずき、まだ少し具合が悪いので、などと――まるでシーヴ青年が連れの体調など気にせずに求めてくる男であるかの如く――言った。

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