04 王子の書状

「やれやれ、だな」

「何なんですか、もう。こんな馬鹿騒ぎを引き起こして」

「俺が起こした訳じゃない、向こうからきたんじゃないか」

「避ける方法はあったと思いますけどっ」

「やるなあ、坊ずたち」

 主人が少し呆れた顔をしながら、彼らに声をかけた。

「悪かったな、こんなにしちまって。金は払うよ」

「何を馬鹿なことを。悪いのはあの盗賊ガーラどもだろう。流血沙汰にならなくて安心してるくらいさ。あんたも」

 主人はちらりとシーヴの左腰を見た。そこに剣を認めて指さす。

「応戦しても咎められないのに」

「ああ」

 剣を抜けば罰せられるが、抜かれた側が呆然と待っていたのではもちろん斬られるだけである。身を守るために剣を抜くのは、さすがに大目に見られる。

「あの程度の相手に剣なんか抜くのは、自尊心が許さないんでね」

「そりゃいい」

 主人は笑った。

「町憲兵を呼びにやったと言うのは奴らを追い払う口実じゃなくて本当だ。『すぐにくる』かは怪しいもんだがね。どうだ、もう一杯いっとくか? さっきのはほとんど飲んでいないだろうから」

 少し考えるようにしてから主人は、半額にしておいてやる、と言った。

「そりゃまた嬉しい話だな」

 シーヴは皮肉を抑えてそう言うと腰の袋からラル銀貨を取り出した。

「ふたり分、と行こう」

「よしきた、それじゃいま持って」

「行くぞ」

 スルに声をかけると、少年は素早く主のもとに寄る。

「それは迷惑料だ、主人セラス。とっといてくれ。俺がまたきても、邪険にしないでくれよ」

「ほう、そうかい。判ったよ、旅の人。気をつけてな」

 思案してから主人は、酒代にしてはいささか多いそれを受け取った。

「それから、余計なことかもしれないが」

 こほん、と咳払いをする。

「その格好は……やめた方がいいと思うぞ」

「ご忠告、有難うよ」

 シーヴは笑うと主人に手を振り、店を出る。慌ててスルが続いた。

「何なんですかっ、何の真似なんです」

「別に。目立つなら、目立っておこうと思っただけだ」

「何で町憲兵から逃げるんです?」

「お、鋭いな」

「判りますよ、それくらい」

「それなら判れ、リャカラーダ様が町憲兵なんぞにとっ捕まったら外聞が悪いだろう」

「捕まらないって言ってたじゃないですか」

「そうかもしれないけどな、その町憲兵様セラス・レドキア盗賊ガーラの仕返しを怖れて余所者に罪をひっかぶせるような奴だったら面倒だ」

「……成程」

「しかし、こう早々と喧嘩をふっかけられるとは思わなかった。もう少し、考えるか」

「……そうして下さい」

 王子殿下は「考え」た結果、手近な店を見つけてごく普通の服を購入し、手早く着替えた。頭布ソルゥも外してしまうと、もう普通の青年にしか見えない。浅黒い肌は船員マックルにはそれほど珍しくなかった。

「あいつらはいつものように街壁の外で天幕を張るだろう。これだけの規模を持つ街ならば隊商が街の外で夜営するのは珍しくないから、そう目立つこともないはずだ」

 そんなことを言いながらシーヴは指折り数える。

「一、二……五日もすれば、バルックたち地上隊も追いついてくるな。俺は王女様のお噂でも聞くために街に残るが、お前はどうする」

「シーヴ様が僕を必要とするなら、お傍にいます。でも、ミンの方がいいんじゃないですか」

「判ってるなあ、お前。だがミンも屋根の下は嫌いだからな。俺の方でそっちに会いに行くとしよう」

「と言うことは、シーヴ様は街に泊まるんですね」

「その方が都合がいい」

「浮気にですか」

「馬鹿、ミンみたいないい女がいるのにわざわざ春女なんか買うか」

「前歴があるじゃないですか」

「あれは……その……お前なっ」

「わあっ、すみませんっ」

 はたかれそうになって少年は頭をかばい、それを見たシーヴは空いている首筋をぴしりとやった。と言ってもこれは王子から臣下への仕置きと言うより、ただのじゃれ合いだ。

「何か問題があったら、タルヴァを寄越せ。あいつなら、街も慣れてるからな」

「伝えます。ほかには?」

「特にない。いつもと同じだ。好きに騒げ、ただし騒ぎすぎて城門の兵から矢を射かけられるようなことはするなよ」

 シーヴは適当な宿を見つけて──仮にも王子たるものが宿泊するには、世辞にも上等とは言えない、ごく普通の宿だった──二泊分ほどの代金を先払いすると、その、やはり冗談にも王子殿下には相応しくない小さな部屋に座り込み、街なかで買い求めた品々を取り出した。

 上質な紙に羽根ペンにインクに蝋。アーレイド王の方から東国の旅人を呼び出すようにし向けようかとも思ったが、噂が伝わるのにはいくらか時間がかかるだろうし、興味深い旅人がいるという噂よりも先の喧嘩の話などが伝わっては、城に招かれるどころか厄介者扱いされて放り出されかねない。いささか軽率だったかな、と思いながらシーヴはペン先をインクにつけた。

 どこまで信じてもらえるか怪しいところだが、品のよい筆跡で王子を名乗って滞在の許可を求める書を用意し、正式な使者を遣わせば、何らかの反応をしない訳にもいくまい。アーレイドでは知る者もいないだろうが、蝋で封をした上に押すのはシャムレイの正規の印だった。こうすれば、たとえ安宿の床で寝転がって書かれようと、それは正式な王子の書状となるのだ。


 書状の返答は、予測よりもずっと早かった。

 使いにはいちばん見目のよいターヴェ青年を出した。おそらく、その場はにこやかに使者を返して後日ご返答を、とでもくるだろうと思っていたのに――見知らぬ東方の第三王子など、名乗ろうと思えば誰でも名乗れる――ターヴェは丁寧なもてなしを受けながら一刻ばかり待たされたのち、城への招待の言葉を受けとって帰ってきた。

 正式な招待状は改めて、とのことだったから、招かれたといっても口約束だ。東国の王子などどうにも怪しいという話になれば、そんな招待などしていないと突っぱねればいい、というところなのだろう。

(まあ、悪くない)

 シーヴはアーレイドの返答に満足した。

(いや、上々だな)

 アーレイド側に、その王子とやらがどこにいるのか突き止めようなどと考えられては厄介だと思ったシーヴは、くれぐれもあとをつけられないようにとターヴェに言い含めていた。

 もちろん、どんな宿に泊まろうと彼は「本物」だが、王子ならば豪奢な旅籠屋を利用しているはずだと思われるのは当然だし、こんな平民のための宿など使っていては疑われても仕方のないことは判っているからだ。

「それならなんで、中心街区クェントルの高級なとこに行かないんですか。金ならあるでしょうに」

 王子の正式の使者などを演じてきたターヴェ青年は、自身の体験を語ったあとでそんなふうに言った。

「好みじゃないんだよ、知ってるだろう」

「贅沢には飽き飽きって訳っすね」

「王宮へ帰れば嫌でもそういうところに押し込められるんだからな。余所へ出ているときくらい、好きにさせろ」

「よく言いますよ、どうせシャムレイでも大人しくしてないでしょう。しょっちゅう俺らのところに逃げ出してくるくせに」

 言うと若者は、安宿のきしむ床から立ち上がった。

「あとは待機、ですか」

「そうだな。思ったより向こうの反応は早そうだが、バルックたちが追いつくまで動かないでおこう。合流したあとなら、何かあってもすぐに退散できる」

「何をやらかす気ですか」

「あのなあ、どうしてお前らはそうやって俺が」

「企むじゃないですか、シーヴ様は」

 けろりと言われて、だがシーヴは顔をしかめたり怒ったりはせず、笑う。

「そう言ってついてくるお前らにゃ、敵わん。少し待て、五日後に城を訪れたいとの書状を書こう。明日の朝――そうだな、今度はレ=ダンに行かせるか」

「そんなことしてたら、俺らをみんな使い果たしちまいますよ」

「正規の使者がふたりくらいいたっていいさ。実際に城へ上がるときに必要なのは、正式の訪問ならば最低でも身の回りの世話に数人、護衛に数人は必要だが」

 シーヴが考えるように言うと男は笑った。

「王子殿下のお付きに相応しい奴らなんていませんぜ。ファイ=フーじゃ怪しまれませんでしたがね」

「あの領主は東国と通商を持ちたがるだけあって、知識があったからな。お前たちみたいな砂漠の民のことも知っていた。だがたいてい、西方では東国なんて大砂漠ロン・ディバルンと同じだ。俺たちには身近でも――ここじゃ、吟遊詩人フィエテの歌う幻想にすぎないのさ」

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