05 どこかに行っちゃうんじゃないかって

 シャムレイの衣装を身につけなければ、シーヴもそう目立つと言うことはない。

 はっきりとした目鼻立ちだの、印象的な黒い目だの、ミィのようなしなやかな動きだの、そういった「容姿」は人目を引くが、そういう目立ち方ならば問題はない。

 彼の民のなかから同年代の連れをひとり選んで、いかにも船旅を終えてきたばかりの船員といった調子で街をふらつけば、様々な噂も聞こえてきた。

「ふん、半月後は王女殿下の誕生祭か。惜しかったな、それに合わせられれば姫君への祝いと称して贈り物のひとつもできただろうに」

「そうすりゃ、深窓の令嬢でも顔を出さない訳にはいかない、とそういう目論見ですか」

「そうだ」

「何だかんだ言いつつ、シーヴ様はやることがこすいですよね」

「テ=リ、お前なあ、仮にも自分のミ=サスと認めた相手に対して何て言い方だ。長が怒るぞ。兄上あたりなら、手討ちだ手討ち」

「シーヴ様だから言うんです、だいたい、兄上様方は俺らと話なんてしないじゃないですか。それに」

 テ=リは澄まして言った。

「リャカラーダ様に対しても言いませんよ、そんなふうには」

「そうか? よく言うな。お前は、俺がリャカラーダをってるときは、近くにいないだろうに」

「そりゃそうです。そつのないリャカラーダ様でいるときのシーヴ様を見て、吹き出したり呆れたりしないのはスルとミンくらいのもんですよ」

「そうか?」

 シーヴはまた言った。

「そうか、なら決まりだ」

 にやりとして王子は言う。

「城には、スルを連れて行こう」


 アーレイド側としては、王子が五日後に行くと言ったからにはそのための準備に追われていることはもちろんだろうが、そんなことは彼らには関係ない。問題だったのは、王子が何と言おうと当日には迎えを寄越す気でいることだ。

 シーヴは仕方なく、前日にだけ中心街区クェントルの「ご立派な」宿に居を定めた。連れがいないのも不自然であるから、王子としての最低限に少しだけ足した形ばかりの「リャカラーダ王子殿下ご一行」を作り上げて最上階を占領する。

「シーヴ様」

「ミン。どうしかしたか」

 扉の影からちょこんと顔を出す少女を認めて、シーヴは手招きする。

「済まないが、明日はお前は留守番だ」

「いいよ、王宮に女を連れてく訳にいかないもんね」

「いい子だな」

 歩み寄ってくるミンに手を伸ばし、その腕が触れる距離になると引き寄せて抱き締めた。

「でもねシーヴ様。王女様に手を出したら駄目よ」

「馬鹿、お前なんでそんな」

 王子は娘の髪を撫でた。

「だって、ここの王女様、きれいだって噂だもの」

「たいていの王女は、その都市じゃ絶世の美女さ。お前が気にするこたない。お前よりいい女なんて、そうそういないからな」

「そこで『絶対』いない、とは言わないところがシーヴ様らしいね」

「そこまで言ったら、ただのご機嫌取りだろう」

 気軽く言う王子に口を尖らせて、少女は彼の尻を叩く。が、本当に怒っている訳ではない。

「あたし、心配なのよ」

「何がだ。俺が〈翡翠の娘〉に出会って、たちまち恋に落ちるとでも?」

「そんな心配は、シーヴ様が予言を受けたときからずっとしてるよ」

 ミンの言葉にシーヴは一リア、返答に窮した。

「あたしの心配はね。シーヴ様がどこかに行っちゃうんじゃないかってこと」

「何を馬鹿な」

 シーヴは少女を抱き上げると、ふかふかの布団が敷かれている寝台へと運ぶ。

「俺が、お前たちを――お前を置いて、どこかへ行くって? 馬鹿なことを言うな」

「いまは、そう。シーヴ様は、決してそんなことはしないって本気で誓ってくれる。でも、予言の力は強いよ。シーヴ様の気持ちは、いまにきっと、あたしたちから離れて遠くへ行ってしまう」

「……どうしたんだ、ミン。何か、あったのか」

「ほらね」

 少女は寝台に横たわったままで首をかしげた。

「シーヴ様は、判ってない。あたしがずっと、それを心配してること。でも、行かないでって言えないこと。だって、シーヴ様の運命はシーヴ様のものなんだから」

「もうよせ、ミン。俺は、絶対に」

「しいっ」

 少女は片手の指を一本立てて、恋人の唇に当てた。

「言っては、駄目。それを誓ったら、誓いが破られなければならないときに、哀しい思いをするもの。シーヴ様も、あたしも」

「――ミン」

 ミンの言葉を尊重した訳ではなかった。だがシーヴはそれ以上何も言わなかった。言えなかった。彼はそのまま娘に覆い被さると、よく知る若い唇に熱く口づけた。

 それは、不安を打ち消し、塗り込めてしまおうとするかのようだった。それが彼女の不安なのか、彼自身の不安だったのかは──判らぬまま。


 少年は、顔を青くした。

「あのっ……え、ええーっ!? いま、何て言いましたシーヴ様っ!?」

「それじゃ、もう一度言おうか? スル。第一侍従役は、お前だ。そして、城についてくるのは、お前、だけ」

 王子は一言一言はっきり区切ってそう言い、少年の反応を見守った。

「むっ、無茶ですよシーヴ様っ」

 今度は一気に赤くなって、少年はわめく。

「何言ってる。ヴォイドのやってることは幾度か見たことがあるだろう。あれの真似をすればいいだけだ」

「あのっ、僕じゃ子供すぎるって言ってるんですっ。ターヴェあたりが適任なのに」

「あいつはこの前、書状の使いに出しちまったじゃないか」

 シーヴは肩をすくめた。

「ぐだぐだ言うな、お前が適任だと俺が判断したんだ。黙ってついてこい」

 スルはがっくりと肩を落とし、そのやりとりを聞いていた砂漠の民ウーレたちは堪えきれずに大爆笑をした。またシーヴ様がスルを苛めている、と笑うのだが、シーヴがこの純朴な砂漠の少年を相当気に入っていることが、実は彼らには嬉しいのだ。

「こら、そう馬鹿笑いをするな。王子殿下の連れに相応しくないぞ」

 シーヴはぱん、と手を叩いてそれを制する。さざめきは一リアで静まった。

 彼ら〈砂漠の民〉は必ずしも王を崇めぬが、自身のミ=サス――魂の主人と認めた者には、絶対の掟である長と同じだけの敬意を払い、その命令を聞く。

「城の使いがきている間は大人しくしていろ。俺とスルがここを出たら、街の外へ戻れ。ただし、この宿から完全に離れるまでは、できうる限り上品に、な」

 シーヴが面白そうにそう言えば、彼らはその「任務」を面白がって果たすだろう。

 派手なことは好まぬ、とリャカラーダが再三言っておいたおかげか、アーレイド城からの迎えは喇叭など吹き鳴らすこともなければぐだぐだと口上を述べることもなく、ただ、お迎えに参上いたしました、とだけ言った。

 それはリャカラーダの気に召し、王子はシャムレイの第三正装を以て――第一正装はその飾りが多すぎて、第二はしわの寄りやすい素材で造られていて、どちらも旅路に持って歩くのは不可能だ――堂々と迎えの馬車に乗り込む。

 王子の供が一人だけ、それも年端もいかぬ少年だけだというのに迎えの人間が驚いたとしても、彼らはそれをおくびにも出さず、完璧に使者の役を勤め上げた。

 アーレイド城。

 シャムレイのそれとは、全く雰囲気が違った。

 建物の様式が違うことはもちろん、緑と水に溢れる中庭など、砂漠に近いシャムレイでは、如何な王侯貴族と言えども用意できるものではない。

 内部は白を基調とし、一枚一枚まで磨き抜かれた壁の薄板は、砂の都であるシャムレイの王子を感心させるより呆れさせた。

 とは言え、そんな物珍しがっている様子は見せない。

 シーヴは、余裕たっぷりだ。

 王子リャカラーダとして振舞うからには、どんな気を引くものがあったとしても、うろうろとそちらに目を走らせることはない。

 彼の衣装と、やはり供の少なさに城の使用人たちも驚いただろうが、彼らもまた、そんな様子は見せない。礼儀という名の遊戯だな、などと王子はあとで侍従の少年に笑って言った。

 アーレイド城で最も上等な客室に案内されたシーヴ――リャカラーダは、アーレイド王への謝意を案内役の侍従に伝えるとそれを下がらせた。

「やれやれ、第一段階終了だな」

「き、緊張して倒れるかと思いました」

「馬鹿言うな、第一侍従くん。胸を張って堂々としてろよ、お前はリャカラーダ殿下がいちばん信頼して唯一連れてきた臣下なんだからな」

「どうしてそうやって苛めるんですかっ」

「そりゃ」

 リャカラーダは肩をすくめる。

「面白いからだ」

「酷いです、シーヴ様」

「こら」

 リャカラーダは少年をはたいた。

「今日はそう呼ぶな、リャカラーダと呼べ。言いにくければ殿下カナンだけでもいい」

「リャ……リャカ、リャカラーダ殿下」

「こっちの連中の前でどもるなよ。ま、言いにくい名前なのは、承知だがな」

「僕たちがいまでもシーヴ様って呼んでるって知られたら、ヴォイド様に怒られますよ」

「あいつは法典の塊みたいなもんだからな。そうだ、ヴォイドが隣にいると思え。そうすれば、失敗しないだろ」

「無茶苦茶ですよう……」

「気にするな、俺は身分を騙ってる訳じゃないんだから」

 リャカラーダはけろりとしたものだ。

「はああ、全く面倒ですねえ。成人すると名前が変わるなんて」

「伝統ってやつさ。こっちの方じゃ、王家に生まれたときから王子は王子、王女は王女らしいな。名替えの儀式もないってんだから、楽だ」

 リャカラーダ・シーヴはそんなふうに言うと、窓の外を見やった。

「のんびり喋ってる時間はないぞ。湯浴みをしたらシャムレイの完璧な王子としてアーレイド王陛下に謁見。それから歓迎の宴にご出席だ。さて、王女殿下のご尊顔を拝見できるのはいつになるかな」

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