06 シュアラ王女
アーレイド王マザド三世との謁見は、何の問題もなく終わった。もちろん、ことを荒立てるつもりなどないのだから、王子として仕込まれた儀礼を持って完璧なる応対をした。ただの表敬訪問で、政の話も貿易の話も皆無であれば、平和裡に終わるのは当たり前とも言えた。
平和な街にあるように、ここの王はどちらかというと人が好く、「東方の王子」を物珍しさからだけではなく、真剣に歓待しようと言う心意気らしい。シーヴはそれに安堵をした。いくら街町を旅していても、王宮に王子として乗り込むことは稀だ。反感を買えばそれは「リャカラーダ」のみならずシャムレイの問題となる。
こうなれば、あとは宴だ。そこで王女の姿が見られるだろう。
〈翡翠の娘〉ならば、ヴィエルの意味を持つアーレイドの娘、即ち王女だろうと言ったものの、単純に信じ込んでいる訳ではなかった。ただ、これまで追ってきた伝承では、〈翡翠の娘〉と言われていたのは人形であったり、場所であったり、歌であったりしたのだ。現実の人間の「娘」が対象であるという考えは、なかなかに心楽しく、どうせなら王女殿下だと考えておこう、というような辺りだった。
「お願いだからこの部屋に放っておいて下さい」と懇願するスルを宴に無理矢理連れていきたい悪戯心にも駆られたが、実際問題として、スル少年は宮廷作法など知らない。「シーヴ」の遊びならともかく、今日のリャカラーダは、変わらぬ軽口を叩く割には、真剣だった。
シュアラという名のその王女が、彼の〈翡翠の娘〉なのか。
王子の運命の相手が王女というのはずいぶんと出来過ぎである。子供向けのお伽話のようだ。
それとも逆に、現実的すぎると言ってもいい。王族の相手が王族か貴族なのは、もっともすぎるくらいもっともだ。
案内された大広間の豪華な扉の前で、彼の名が呼ばれるのを待ちながらリャカラーダはそんなことを考えていた。喇叭が吹き鳴らされ、彼の入場を告げる。王子はそっと息をつくと、まっすぐに前を向いて歩き出した。
「異国めいた」印象など、彼が与えようとしなくてもその衣装が勝手にアーレイドの諸侯に提供してくれる。彼は、王の脇にいるであろう王女の姿を見上げてしまわないように気をつけた。と言うのも、王女の誕生祭の近いいま、「それ」が目当てであると思われても面倒だからだ。リャカラーダは、無粋な音ひとつ立てぬ歩き方で赤い絨毯を踏みしめていった。
(──何だか奇妙な気分だ)
(緊張でもしているのか? 馬鹿な)
(いや、そうなのかもしれんな。今度は……本物だという気がする)
(だが――)
(判らぬな)
しかしこのとき、この瞬間だった。
この星巡りの一期に生まれついたリ・ガンとその〈鍵〉は、初めてその距離を近しくしていた。
本来ならば、
だが、彼らは自身のうちに浮かんだものの解釈と対象をそれぞれ、見誤った。
本来ならば、有り得ぬ――。
それは、翡翠が星がひと巡りする前の、不幸な出来事が原因だった。翡翠は目覚めず、歯車が狂った。それは次代の彼らにまで、影響を及ぼす。
だが無論、ふたりはいまだ斯様なことは知らぬ。
ひとりは、感じる謂われのないはずの奇妙な緊張感を壇上の王女への期待感と考え、ひとりは身に走る衝撃を目前の王子への警戒と考えた。
歯車は、狂ったままなのだ。
リャカラーダは目立たぬように深く息を吸って心を落ち着かせようとする。壇の下までくると、自らの身分と相手の身分に適した礼と挨拶をした。
白い長衣が空気をはらんで膨らむ。自身に慕わしいそれが、どんなに「異国的」に見えるかは承知だ。街ではどうやら不都合だったが、ここでは都合がいい。王女がもし、王子と言ったところで遠方の旅人など野蛮だ――などと考えていても、誰もが彼に興味を持てば必ず気にするだろうからだ。
狡いと言ったウーレの民の言葉が耳に蘇り、シーヴは苦笑を抑えて、
リャカラーダがアーレイド王マザドの隣につくと、一際大きな――と言っても、屋内のことであるから抑えられていたが――楽器の音が鳴り響き、王が宴の開始を告げる。整然と並んでいた貴族たちは、軽い礼をしながらその列から離れてゆき、まるで踊るように悠然と広間の全体に散っていった。
(優雅なものだな)
(シャムレイの宮殿やウーレの間じゃ、間違っても見られない世界だ)
大河を越えて大砂漠からやってくる熱風は、このような優雅さとは相容れない。
シーヴは東方にある自身の街を好いており、異なる世界に優越も劣等も覚えることなかったが、ただ興味深くは感じていた。
(アーレイド、か)
「リャカラーダ殿、とお呼びしてかまわぬかな」
少しの間、段下の臣下たちを見ていたマザド・アーレイド三世は、ふと彼の方を向くと温厚な表情でゆっくりそう言った。
「光栄にございます、
「シャムレイと言ったな、そなたの街は? ファランシアとの境界たる大河に程近いとか」
「ご存知いただけておりましたとは、驚きにございます」
「何の、このたびのことがあって慌てて賢者どもに訊いたのよ」
リャカラーダはもちろん、王が東方の町のことなど知っていたはずはないと思った上で言ったのだが、それをあっさり認めて笑うアーレイドの支配者に、それこそ少し驚いた。彼の父王ならばいかめしい顔をして「王たるもの、それしきを知るは当然のこと」くらい言いそうである。
「東方のそちが、何故船でここへ?」
「お聞き及びやもしれませんが、わたくしは不出来な王子でございまして。大人しく自らの城に座して学ぶべきことが数多くあると言うのに、ふらふらと旅をしては父王から叱責を拝するのです」
少し冗談めかしてリャカラーダは言ったが、これはかなり真実に近かった。
「高貴なる旅人、という訳だな」
「北方陸線を訪れて海を旅したこともございますが、このたびは陸路でビナレスの中央を渡りました。とある都市で御厚意から船をいただき、その性能を隅々まで知るべく航海をはじめたのですが、不幸なことに嵐に遭遇を」
ウーレたちが聞いたら爆笑しそうな口調で、やはり大受けしそうな台詞をしらっと言ってのけ、リャカラーダは神妙な顔をした。
「東国のお話を聞かせて下さいな、王子殿下」
「これは――シュアラ王女殿下」
リャカラーダは、無礼に当たらぬ程度にアーレイドの第一王女をじっくりと検分した。
可愛らしい顔立ちをしている。十八歳ということはミンと同じくらいだが、彼の〈ラッチィ〉に見られるような艶やかさは目の前の少女には微塵も感じられなかった。人形のように綺麗で、大切に磨き込まれた――
彼が話をすれば、シュアラは驚いたり笑ったり、表情をよく変えた。打てば響く反応は、語り手にもっと話してやろう、喜ばさせてやろう、と言う気を起こさせる。それがシュアラが意図して導いているものか天性のものなのか、少女に出会ったばかりのリャカラーダには判定の仕様がなかった。
軽く目を見開いて口元に手を当てる仕草などはいささかわざとらしくも見えたが、姫君というのは西も東もこういう「人種」だ。シュアラが芝居がかっているという感じはしない。
「
壇の下からかけられた声に、高貴なる三名は視線を落とした。初老の貴族が彼らに丁寧な礼をしている。隣に控えた娘は、どうしていいのか判らぬように視線をさまよわせていた。彼ははっとなり――だがその理由は判らない。
「いいのよ。……まだよく、作法がお判りにならないのでしょう。かまわないわ。気にされないでね」
シュアラの声がして、リャカラーダはその目を王女にと戻す。シュアラはにっこりと優しく笑って、戸惑う娘に声をかけたようだ。
「――お父様、キド伯爵の遠縁の姫ですわ」
「ほう、そちの隣に女性を見るのは久しぶりだが、そういう理由か」
年若い花嫁でも得たのかと思ったぞ、と王は言って笑った。
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