07 遠縁の姫

 リャカラーダはいささか不審に思った。伯爵程度の貴族が王族たちの談笑に入り込んでくるなどこのアーレイドの雰囲気にそぐわなかった。

 この伯爵とやらは、こうして王に突然声をかけても叱責されないほど買われているのかもしれなかったが、それにしてもその場に慣れない田舎娘を連れてくるなど、その親に余程の恩があるか――でもあるのだろうか。

 まさかその娘を遠国の王子に引き合わせようというのでもあるまいに、とリャカラーダは思った。その伯爵は穏やかそうで、そんな冒険家にも野心家にも見えぬ。

(見た目など、あてにはならないかな)

「しかし、そちの縁戚がきていたなど、初耳だな?」

「血筋としては遠いものですから、陛下のお耳に入れるお話でもなく。ただ、こうして宴の機会などそうそうございません故、陛下のご威光を見せてやれようかと支度をします内、王女殿下がぜひにと」

「ねえお父様、わたくし彼女とお話しをしていてもよくて? 同じ年頃の姫君なんて、珍しいんですもの」

 王女はねだるように言った。王の目が細められる。どうやら王陛下は王妃を失っていることもあって、娘を溺愛しているようだ。

「いいだろう。姫君に優しくしてやるのだぞ」

「もちろんですわ」

 王女は何が可笑しいのかくすくすと笑いかけ、軽く咳払いなどしてそれを収める。伯爵は感謝の礼をして娘の手を取ると壇上に歩を進め、王女の隣に娘を置いてその場を去った。

「宮廷にいらしたばかりで、戸惑うでしょう。今日はわたくしの傍にいるといいわ」

「そちらもまた、お美しい方ですな」

 リャカラーダは、その「遠縁の姫」とやらに向けてそんなことを言った。

 必ずしも世辞ではない。シュアラのような華はなく、ずいぶんとおどおどして見えるが、何と言おうか。ずいぶんと――印象的だ。

 彼がじっと娘を見つめると、娘はそれに驚いたのか足元をふらつかせる。と、シュアラの横からすっと人影が出てきてそれを支えた。リャカラーダはわずかに――見ていても判らぬほどわずかに、眉をひそめた。

(何者だ?)

 それは、黒髪の若い男だった。近衛のそれとは違う、濃紺の制服を着ている。

(王女専属の護衛、か)

 そう判断をすると、彼は娘に注意を戻した。

「どうされた、セリ? 私が何か無調法でも?」

 「異国の王子」に見つめられたことが娘を動揺させたのかもしれない。そう思うのであれば、わざわざ声をかけることは気の毒だ。

 だがリャカラーダは、何故だかその娘から目を離せなかった。

 広間には飾り立てた美しい娘たちが数え切れないほどいるのに。

「まあ、王子殿下、お戯れを」

 シュアラが笑った。

「この娘は宮廷に慣れていないのです。このような場所は初めてですし、まして、殿下に直接お言葉をいただくなんて。緊張して足が震えているのですわ、可哀想に」

「ああ、それは失礼した」

 リャカラーダは初めて気づいたと言うような顔をして、謝罪をする。だが――その視線はシュアラではなく、もうひとりの娘に向いたままだった。

「しかし姫君、ご安心あれ。この宮廷が初めてなのは何も貴女だけではない。アーレイドの礼儀を知らぬ異国の野蛮な王子がひとりここで、いつ陛下や殿下の不興を被るかと不安に打ち震えているのですから」

 娘は何も答えず、ただ大丈夫だというように首を振った。その相手はリャカラーダと言うより、護衛の男のようだったが。

「殿下が本気でそう申されておるとは思わぬが」

 アーレイド王が口を挟む。

「シュアラは、そこな姫と話をしたくてうずうずしておるようだし、そなたも我々ふたりばかりが相手では面白くなかろう」

「断じて、そのような」

 彼は――もちろん儀礼上だが、そんなふうには見せないように――否定した。

「そなたはアーレイドの街を見たがったと聞くが。どうであった、我が街は?」

「豊かな人々の暮らし、陛下の市民たちはみな陽気でかつ礼儀を知っておりますな。ご威光が忍ばれます。人々は皆、見知らぬ異国の者にも優しく」

 言いながら、内心で思いだしていたのは、突然喧嘩をふっかけてきたちんぴらである。王陛下の御前とは言え、自分でもよく言うな、と思った。

「気に入っていただけたのなら重畳だ。街などを見たがるそなたならやはり、王と退屈な話を続けるよりも、ほかの諸侯らに興味があろう」

 王はどうやら、彼を解放してくれるつもりらしい。リャカラーダは儀礼上、かついささか本音の入った感謝の気持ちを込めて頭を下げた。

「彼らもまた、そなたの話を聞きたくてたまらんことだろう。気が向くようなら、我が臣下たちの好奇心を満たしてやってはくれまいか」

 遠い街に行けば、好奇の視線やら質問やらを投げかけられることは必至である。それは名もなき街びとであろうと、大邸宅を持つ貴族だろうと変わらない。

「御意にございます」

 彼はすっと立ち上がった。

「わたしごときのつまらぬ日常が、この街の貴い方々の刺激になると言うのなら、喜んで語り部となりましょう」

 本当のところを言えば、見せ物扱いなど好きではない。だがこうして異国を訪れたのは彼の意志だ。こうして歓待される以上、それくらいの責務は果たさねば、というところだった。

 リャカラーダは王と王女に完璧なる宮廷の礼をし――いまひとりの姫にもそれを向けた。娘はまた驚いたようだったが、それに言葉をかける契機は逃した。

 だが王女の隣にいるというのならば、またあとで顔を見る機会もあるだろう。そう思いながら段を下り、不思議に思った。

 彼の目当ては、シュアラ王女ではなかったか?

(〈翡翠の娘〉――ヴィエル、アーレイドの王女)

(シュアラ、か)

 もう一度、彼の得た〈予言〉と背後の姫君について思い返しかけたが、広間まで降りれば待っていたとばかりに寄ってくる人々がある。

 しばらくは外交の時間だ。彼らの知らぬ〈東方〉の話を真偽取り混ぜ、尾ひれをつけて面白おかしく話せば、彼らは満足する。出鱈目であろうと彼らがそれを知る機会はないのだし、彼らも別に、真実を知りたい訳ではないのだ。


 貴族たちの興味は、主にシャムレイの――と言うよりは「見知らぬ異国」という大雑把な世界の、政治だの武術だのに終始した。

 シャムレイの政治制度を逐一丁寧に説明してやる義理もなければ、そんな親切心もない。リャカラーダは、父王や兄王子が聞いたら顔を赤くして怒鳴るような適当な説明をしては諸侯らの感心を受ける。

 武術に関してはそう変わるところがないように思えるが、遠い地に神秘性を求める彼らの夢を壊してはならぬと、彼はシャムレイの、ではなく、ウーレたちが狩りの前に行う儀式の話などを勝手に装飾して話した。長は顔をしかめるかもしれないが、彼についてきた連中は、聞けば大笑いするだろう。

「ところ違えばいろいろと違うものですなあ」

 知ったようにうなずく何とか男爵に真面目な顔をしてうなずき返しながら、第三王子はこの遊びにも飽きてきた。失礼、と言って給仕を呼び、酒でも求めるふりをすれば「礼儀正しい」貴族たちは王子を語らせすぎたと気づく。

(もっと早く気づいてほしいものだがな)

 慣れない香りの強めの酒を飲み干すと、リャカラーダは広間を見回した。

 見回す必要は――なかった。

 探したという意識もないのに、彼から少し離れたところにいるシュアラ王女の居所はすぐに判ったからだ。

 見つけたのではない。そこにいると、感じられた。

「――ふん」

 覚えのない感覚を興味深く思いながら、リャカラーダは足音も立てずに人々の間を抜け、何やら可笑しそうに笑っている少女の脇へと寄る。

「ずいぶんと、楽しそうですな王女殿下?」

 言うと、少女は雅やかに振り返った。

「ええ、人生でいちばん楽しい時間を過ごしておりますわ、リャカラーダ殿下」

 シュアラはこぼれんばかりの笑顔でそう答えた。純情な少年ならば――たとえば、スルあたりならば、それだけで顔を真っ赤にしてしまいそうだ。

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