05 行きたいところ

 魔術師の塔。隠者の塔。それには幾つかの呼ばれ方があるらしい。

 舞台が大砂漠であると言うことを除けば、その伝説は吟遊詩人フィエテがその場で適当にでっち上げそうな物語と大差なかった。

 なのに、エイラの心に衝撃を走らせたのは、その魔術師のことだった。

「何だって……何を持ってるって、言った……?」

 声が掠れそうになって、酒杯を持つ。だがハルガーディは馬鹿な話をしたときに

からかって聞き返されたのだと思ったようだ。肩をすくめる。

「守護者にして、ふたつの心を持つ魔術師、だそうだ」

「何だそりゃ。二心があるなんて言うが、そんな意味じゃなさそうだな」

 ヒースリーが首を傾げる。

「まあ、腹に一物含むとか、下心があるってな話じゃないだろう。何でも、塔には魔術師ひとりしかいないはずなのに、時折ふたりの声がするらしい。それは魔術師がもうひとり分の心だか魂だかを持ってるからだという話だが」

 それならば違う、とエイラは思った。彼女はふたつの心を持つと言われたが、持ったのは名前と身体だけで心は同じだ──少なくともそう思っている。「エイラ」が「エイル」に話しかけたりなどはしない。

 だが。

 その表現に行き合ったのは、はじめてだった。それに〈守護者〉という言葉は彼女の心を騒がす。いや、その存在は彼女を落ち着かせるものなのだが、突然降って湧いたその言葉には、動揺を禁じ得ない。

「奇妙な言い方だなあ、それは何だ、人形芝居か?」

「いや、吟遊詩人の歌だった。妙に小難しい言葉を使う詩人でな、俺にはよく判らなかったが評判はいいらしい。魔術の言葉を使って、歌を神秘的にするとか何とか」

「何だって」

 エイラははっとなる。そんな詩人の名を彼女は知っていないだろうか?

「……クラーナ、じゃないだろうな」

「何が」

「その、詩人の名前」

「さあな。俺は名前まで聞かなかった」

 聞いたけど忘れたのかもな、と戦士は気のないように言った。

「探し人か、エイラ?」

 ヒースリーが問う。

「どうしてお前が旅に出ようとしてるのかは聞いていなかったが、そのクラーナとかいう詩人を捜してるのか?」

 エイラは迷った。それもある。だがそれだけではない。

 迷った。説明するのか、〈翡翠の宮殿〉を探しているなどという話を。リ・ガンだのエイルの話をするつもりはなかったが──それは最大の秘密であり、禁忌だ──予言の話はどうだ?

「まあ、言いたくないならいいさ」

 彼女の沈黙を躊躇いと取ったか拒絶と取ったか、ヒースリーは言う。

「人には事情ってもんがあるからな」

「いや、そういうんじゃ」

 エイラは考えた。

「その……私には行きたいところがあって」

 何となく、行くべき場所、などという強い言い方を避けていた。

「そこへ行く手がかりを持ってる……いや、持ってる『かもしれない』男なんだ、そのクラーナってのが」

 無難な言い方にしたつもりだったがいささかおかしなところがあった。ヒースリーが笑ってそれを指摘する。

「行きたいところがどこなのか判らんってのか?」

 エイラは赤面した。彼女のやることはどうにも完璧とはいかない。

「夢の宣託でも受けたのかね、我がにわか弟子にして師匠殿セル・キアン?」

「そのようなもんだ」

 皮肉のつもりはなく、彼女はそう言った。本当に「そのようなもの」だと思うのだ。夢のように曖昧な言葉。自らの内から発する分、夢の方がよほど、信頼がおけるかもしれない。

「ふうん」

 ハルガーディが言った。

「何だか知らんが、確かに神秘的なことなら得意そうな詩人だったように思ったが」

「……東の、どこにいたって?」

「おい」

「まさか行こうってのか」

 二人の男は心配そうにエイラを見た。

「やめとけよ、旅なら中心部を出なくたってたいていのもんには出会える」

「東は遠いし、きついぞ。嬢ちゃんには勧められん」

「ガディ、教えてくれないか」

 エイラはその忠告など聞こえなかったように――殊、ハルガーディの呼びかけは聞かなかったことにしたくもあった――言葉を続ける。

「それが私の」

 逡巡したが、続けた。

「行くべき道なのかもしれないから」

「……ミエット」

 仕方なさそうに、ハルガーディは言った。

「アイメアからほぼ真東に行ったあたりになる。大河の脇だ。しかし、吟遊詩人フィエテなんて輩がいつまでも同じ街にいるとは思えないぞ」

「判ってる。もう、いないかも。いないだろうな。でも」

 もし、その吟遊詩人がクラーナならば。

(彼はお前を気にしている)

(いずれ顔を見せるかもしれないが)

(その気配すら見せぬかもしれん)

(お前のためには、彼の導きがあるとよいのだが)

 リックの言葉を思い出していた。クラーナはエイラの前に姿を見せないかもしれない。でも、これが導きのひとつなのだと、したら?

 クラーナと名乗る吟遊詩人――の姿をしているとは限らない、ともリックは言った――が何者なのかは知らない。リックもそれに明確には答えず、師が本当に知らぬのか伝えたくないのかは判らなかった。

 ともあれ、彼女がクラーナに対して知っていることは少ない。魔術の言葉を詩に織り込む評判の詩人だと言うことと、彼女の〈翡翠の宮殿〉に、どんな形でなのか、関わりがあることだ。アーレイドを翡翠の宮殿と歌い、エイル少年の肩に雷神の子ガラシアの衝撃を残した青年。

(縁があったらまた会おう)

 あの詩人はそんなことを言った。〈守護者〉。「ふたつの心」。ならばこれこそはその「縁」かもしれないのだ。

「いなくても、違ってもいいんだ。私は……どこかに行かなくちゃならない。ここが私の目的地でない以上、行き先が見えたら動く。そうしようと、思っていたんだ」

魔術師リートってやつぁ」

 ハルガーディが首を振った。

「こっちが馬鹿だと思って小難しいことばかり言いやがる。おっと、もちろんあんたのことを言ったんじゃないぜ、エイラ」

 慌てて言い直すが、「彼女も含めて」であることは間違いない。だがいまのエイラはその「差別的発言」に傷つくようなことはなかった。

「いいさ、ガディ。私はあんたに感謝してるよ、こうして行き先を教えてくれたんだからね」

「ミエットか……」

 ヒースリーが腕を組んだ。

「長旅になるな。よし、ガディ、貸してたラルを返してもらおう。全額、耳を揃えてな」

 薬草師の台詞に、戦士と魔術師はそれぞれの理由できょとんとし、理解が行くと目を丸くした。

「んな金、すぐに出せる訳が」

「別に、あんたについてきてもらわなくても」

「じゃあ有り金全部だ、ガディ。エイラ、実を言えば俺も東には興味があるのさ。俺の知らない薬草がある」

「馬鹿言うなラジー、俺を飢え死にさせる気か」

「そうだ、馬鹿言うな。奥さんはどうするんだ」

「その気になりゃすぐ稼げるだろう、お前は。それから俺がふらふらしてんのは彼女の薬を作るためなんだ」

 ヒースリーは忙しく両者に対応しながら、エイラをはっとさせるようなことをさらりと言った。

「病気、なのか、奥さん」

「まあね」

「ついててあげなくて、いいのか」

「重病っていうんじゃないんだが。ただ、身体が弱くてね、いろんな薬を飲み続けないと体力が保たない」

 軽い調子でヒースリーは続けた。

「アレシアーナはここから北に数日ほど行ったヌーイって村にいる。アイメアは薬を買うには便利だが、彼女にはちょっと賑やかすぎるんでね。俺はヌーイにいるときは、薬師って訳だ。彼女だけじゃない、村のほかの病人も診る。でもな、対症療法だけじゃ永遠に治らない。伝説の虹花や魔法の薬を探してる訳じゃあないが、まあ、何て言うか、何かないかと思ってはあちこち探し回ってるのさ」

「……それで、魔術薬について知りたかったのか」

 エイラが呟くように言うと、ヒースリーは照れたように視線を逸らした。

「まあ、な。魔法でぱっとよくなるなんて思っちゃいないが。お前の話はいい勉強になったよ、魔術はやっぱり、俺の領分とは違う」

 正直、彼女の役に立つとは思わないが有難く思っている、などと言う。

「とにかくそんな訳さ。俺はいつも、新しい薬効を求めて知らない草を探しながら歩いてる。いずれ東方にも、と思ってはいたが、こりゃいい機会だ」

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