04 砂漠に関する伝説

 ヒースリーは翌早朝、アイメアの北大門に来るように言った。動きやすい格好で、との言葉にエイラはローブを置き、彼女には少し大きい「エイル」の衣服をきつめに縛って――安物の服は寸法などいい加減なものが多いから、慣れていれば調節は簡単だった――少年のような服装をする。

 すらりとした身体にそれはよく似合い、本人が知ればぞっとするであろうことに、下手に女物の衣服を着るよりも却って色気を感じさせる格好になっていた。門の近くで彼女の姿を認めたヒースリーは口笛など吹いたが、エイラはそれを少年の服をからかわれたくらいにしか思わない。まさか、自分がに見えるなど、考えてみるはずもない!

「どこに行くんだ? 街の外へ出るのか?」

「まずは簡単なお勉強だな。街なかで充分だ」

 ヒースリーはそう言うと歩き出す。

「植物に関して、どれくらい知識がある?」

「基本的な魔術に使うものや……調理に使う香草なんかなら知ってる」

「調理!」

 上がった叫び声に、まずかったかなと思った。魔術師と調理など、なかなか結びつきそうにない。

「そりゃいい。上等だ。博学なほどだよ」

 だがヒースリーは彼女の職業遍歴などを詮索する気はないらしく、楽しそうにそう言っただけだ。それもどうやら本当に褒め言葉であり、皮肉のつもりはないらしい。

「教えるのが楽に済みそうだな。カラン茶葉とギーン瓏葉の区別も付かないような奴に植物の見分け方を教えるのは面倒だからなあ」

 肩をすくめると先に立って歩き続ける。

「香草を摘んだことは?」

「ない」

 城には、それを売りに来る商人やそれこそ薬草師がいたし、万一切らしてしまっても城下で買えばいいだけだから、厨房の人間がわざわざ街を出て香草や葉を探しに行く必要はなかった。

「そりゃ残念。まあいいさ、基礎知識があるなら簡単だ」

 ヒースリーは街壁沿いに何かを見つけ、足を止めた。

「お、早速あったぞ、幸先がいい」

 しゃがみこむと、白い花を指さす。

「トーリシャスだ。驚いたな、もうとっくに種を散らしてなきゃならないのに」

 男は壊れものを扱うかのように小さな花をそっと摘む。

「〈早咲きは占いに、遅咲きは病に、狂い咲きはまじないに〉なんて言葉は魔術師も使うか?」

「いや……少なくとも私は知らない」

「そうか『新米』だったな」

 言って、笑う。彼女の言葉を信じているのかどうかは判らない。

「薬草師の間じゃ、そう言う。まあ、迷信だがな。売り口上にゃ、使える」

「で、それは何に効くんだ?」

「いまので言うなら『病に』ってとこだが、こいつの薬効は身体より心でね。ほら」

 ぬっと顔面に向けてその花を差し出されたエイラは少し驚いたが、ヒースリーの意図を理解してそれを嗅いだ。何とも甘い香りがする。

「油に漬けて香油にする。季節は本来ならもう少し前で、片手分もあれば五、六瓶は作れるぞ」

 これひとつじゃあまり売り物にはならんがね、と薬草師は言いながらそれをエイラに渡した。

「香油なんて、何に使うんだ?」

「主には、風呂ウォルスだろうな。浴場なんて使うか?」

「……いや」

 アーレイド城にいた頃は毎日のように風呂に入った――入らされたが、エイラの姿ならば女湯に行かなくてはならないし、「エイル」はそれを幸運と思うような性格ではなかった。

「寒いところにでも行かない限り、水浴びで充分だ」

「そうか? 湯もいいもんだぞ」

「行ったことがない訳じゃないけど」

「苦手か?」

 男はにやりと笑った。熱い湯に浸かるというのを馬鹿げた悪癖だと思う人間も少なくなく、エイラはそうなのだと思われたのだろう。彼女はただ肩をすくめ、男の思うに任せた。

「まあ、香油は作るのに時間がかかるし、旅向きじゃないな」

 そう言うとヒースリーはまた歩き出した。

「もうちょっと、実際的なやつを探そう」

 そんなふうにして朝の「散歩」は続き、エイラは頭痛に効くハーマ草や止血に使えるガルン、炎症止めの〈羽衣花〉、火傷に効くビョーヤ木などを教わった。

「ざっと歩いてみただけでもこれくらいは簡単に見つかる。いま話したのはどれも乾燥させても薬効がほとんど減らないから、旅路には好適だ」

「あんたも売ってるのか?」

「ああ。干し草の状態で売ることもあるが、たいていは粉にしておいたり、塗り薬に加工する。その方が売れる」

「どうやるんだ」

「焦るなよ」

 エイラの問いに男は笑った。

「次は朝飯と行こう。俺は腹ぺこだ。今度はそっちが、教えてくれよ」

 そう言って〈契約〉を思い出させると男は賑わいだした朝の街の方へ足を向け、エイラも笑ってそれに続いた。

 ヒースリーはよい師匠キアンだった。言葉で説明するのも巧みだったし、植物を加工する器具については実際にやり方を見せてくれた上、彼女が器具を購入するのにもつき合ってくれた。おそらく、口下手な――そのように見える――彼女が商人トラオンにぼったくられないように、という親切心だったのだろうが、値切りの交渉は「エイル」ならばお得意である。すっかり「下町の少年」状態で商人を言い負かすエイラを男は目を丸くして見ていた。

「……何だよ」

「いや、意外だったもんで」

「大人しくて世間知らずの魔術師見習いとでも思ってたか? そりゃ悪かったな」

 こうして話していると、だんだん、エイラとエイルの境界が薄くなる。少年の姿ならば違和感のないぞんざいな口調は十八の娘の口から出てくるといささか奇妙だったが、ヒースリーはそれにも慣れてきたようだった。

「人見知りするってとこか?」

「別にお――私は気取ってた訳でもないし、びくついてた訳でもないよ。ただ、植物の話をするときはあんたの独壇場だろ。私が魔術薬について説明したってぽんぽん質問をしては勝手にひとりで納得するじゃないか。話す暇がなかっただけだ」

「俺はそんなにお喋りかね」

 傷ついたようにヒースリーは言った。

「男は寡黙な方が格好いいだろうと、常々思ってるんだが」

「精進しろよ、ヒースリー」

 にやりとして言えば、もう完全に「エイル」だ。これは、何というか、「楽」だった。

「何だ、あんた、もしかしたらどっかの酒場に気になる女でも」

「――よう、ラジー!」

 不意に近くで出された大きな声に、ふたりは思わず同時に振り返った。

「ガディか! 何だ、アイメアにいたのか!」

「そりゃこっちの台詞だぜ、この放浪薬草師め」

 ヒースリーとがっちりと握手をしたその相方は見るからに戦士キエスで、長身のヒースリーも小さく見えるほど大柄だった。

「おお、何だそっちの美人は。浮気か? アレシアーナに言いつけるぞ」

「馬鹿、これは俺のにわか弟子だ。エイラって言ってな……エイラ、こっちはガディ・ボーン」

「紹介するときくらいちゃんと呼べ。ハルガーディ・ボーンだ、よろしく、お嬢さんセラ

 手を差し出されて反射的に応じるが、嬉しくない呼びかけられ方である。

「そっちこそ。誰がラジーだ」

「いいだろうが。ラザムスなんて言いづらくてかなわん」

「ならヒースリーと呼べよ」

「いまさら呼び替えるなんて面倒くさい」

「ラザムスだって?」

 エイラが問うと、ヒースリーは肩をすくめる。

「そう名乗ってた時期があるんだ。生まれてつけられた名はセイゲル・ヒースリー。まあ、話せば長くなるんでいまはたいていヒースリーと名乗ってる」

 突然現れた男と突然現れたヒースリーの名前にエイラは混乱しかけたが、うなずいて気にしないことにした。彼女も「本当はエイル」であるし、「ややこしい」ことなら負けない自信だってあるのだから。

「それじゃ、アレシアーナってのは?」

 その代わりとばかりにそう尋ねると、ヒースリーはうなった。

「あー……それはな」

「何だ、黙って女を引っかけるなんて男の風上にも置けないぞ、ラジー」

「引っかけてねえって。アレシアーナってのはな」

 こほん、とヒースリー。

「俺の奥さんです」

「結婚! してるのか!」

 それこそ、意外だった。旅の薬草師と家庭など、魔術師と調理ほども結びつかない。

「エイラ、可哀想に。騙されたんだな。酷い男だ。その痛手は俺が癒してや」

「いい加減にしろよ」

 ヒースリーはハルガーディの厚い胸板をぐいっと押して暑苦しい顔を遠ざけ、エイラに謝罪の仕草をする。彼女は笑った。

「再会の場に私は邪魔だろう。もう帰るよ。今日も有難う、ヒースリー」

「ああ、エイラそれじゃまた」

「何だ何だ、行くなよエイラ。邪魔なのはラジーくらいのもんで、俺としちゃお前さんと是非夕飯でもご一緒に」

「あのな、ガディ。言っておくが、彼女は魔術師リートだぞ」

 その言葉にエイラは少しがっかりした。ヒースリーとの間に、〈魔術師〉とそうでない人間との間にできる壁はないと思っていたのに。

「それがどうし……何。魔術師リート?」

 これで敬遠されるに違いない、と思ったエイラは安心する反面、やはり少し気落ちした。友人として楽しい時間を過ごせていたと思ったのは、錯覚だったのか。

「何だ……異性より魔術書の方を好むってやつか……」

 だが、ハルガーディは魔術師を忌むのではなく、「魔術師ならば陥とせない」という方向に思いが行ったらしい。肩を落としてため息をついている。

「そう。諦めろ」

 ヒースリーはにやりとして言い、エイラにも笑ってみせる。

「それでもよければ、飯につきあうか? エイラさえ時間があればだが」

 やりとりの意味が判ったエイラは、今度は安堵した。ヒースリーはやはり彼女との間に壁など持っていない。魔術師が概して異性やら恋愛やらに興味がない、というのは定説であって、彼はそれを口にすることで戦士の希望を打ち砕いただけであり、「魔術師などと言う厄介な存在に近づくな」と言ったのでは、ないのだ。

「……それで」

 予想に反してと言うか、それとも予想通りと言おうか、ヒースリーが提案した食卓にエイラはもちろんのこと、ハルガーディもついてきた。〈虹色の魚〉亭で三人は簡素な定食をつつく。

「今度はどこまで行ってきたって?」

「東」

 戦士は簡単に答えた。

「東だ? 大砂漠ロン・ディバルンか」

「馬鹿。んなとこに足を踏み入れる阿呆がいるか」

「それじゃ何処まで?」

 エイラが問うと、戦士は友人にはする気がなかったらしい説明を陽気に開始する。

「砂漠との境界に大河が流れてることは知ってるか?」

「聞いたことはあるよ」

「そこまで行ってきた。ヨアだのシャムレイだのミエットだの」

 シャムレイ、という名にエイラは聞き覚えがあった。では本当に東国の都市だったのか、などと今更のように思っただけだったが。

「ずいぶん遠くまで行ったんだな。それでどうだった、東はだいぶ文化が違うと言うが」

「違うも違うね」

 汁物をすすりながら、ハルガーディ。

「大河沿いの街はどれも変わってる。砂漠から熱やら嵐やらがくるってんで、建物の造りは奇妙だし、奴らが着てる服も奇妙だ」

「白くて長い衣か。あと、頭に何か巻いたりするって」

「知ってるのか」

 エイラの言葉にハルガーディは驚いた顔をする。

「一度、見たことがあるんだ。東国からの旅人ってやつを」

 そんなふうに説明した。詳細を省いたところで嘘ではない。

「そうさ。白とは限らなかったがね、引きずりそうな長い服を着てる人間が多い。それと、そう、頭布ソルゥって言ったかな。陽射しを避けるのにいいそうだが、俺みたいにちょいと訪れる客人には必要ない」

「そんなところまで行って土産はないのか、土産は」

「熱砂の国だって言ってるだろう、草木なんかろくに生えないさ」

 ヒースリーの希望する土産は植物と決まっているらしい。薬草師は目に見えて落胆したようだった。

「俺だって冒険を探して街を旅してきた訳じゃないんだ、単なる護衛さ。大して面白い話はなかったよ。砂漠に関する伝説の知識をひとつ増やしたくらいだ」

「へえ?」

 ヒースリーは興味がないように酒杯に口をつけたが、エイラは気になった。

「砂漠の話は伝説も物語もほとんど知らないんだ。よかったら話してくれないか」

 エイラにそう言われると、ハルガーディは嬉しそうに、よしきた、と言う。

「何でも、大砂漠ロン・ディバルンのどこかにな、魔術師が住んでいる〈砂漠の塔〉があると言うんだ――」

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