03 薬草師

 魔術師協会に頼りたくないと思いはじめていたことは、確かである。

 だが彼女にはほかに仕事の当てがない。荷運びをするには力は弱く、だいたい、あの仕事で得られるラルでは日々の暮らしには足りても、旅を続けるだけの資金は得られない。

 何か手段はないものかと、アイメアの昼市場をうろついていたときだった。彼女の目にそれが飛び込んできたのは。

「な、何だよ」

 道端でささやかな店を広げていた若い男は、彼女の注視にたじろぐ。

「言っとくが、偽もんじゃないぞ。それに、ちゃんと正規の手段で手に入れたもんだ。咎められる謂われはないからな」

「……ああ、そうじゃない」

 彼女は、自身が魔術師のローブを羽織っていたことを思い出した。

「俺……私は何も、魔術の品が不正に出回っていないか点検してる訳じゃない」

「そうか? ならいいが、それじゃ何で俺の店なんか見てる? 魔術師さんセル・リートに面白いもんなんか置いてないだろ」

「それは、魔術薬だろう?」

 エイラは男の拡げた敷布の前にしゃがみ込んだ。彼の「商品」には干した草葉の様々な束やたくさんの小袋、それといくつかの小瓶があり、その小瓶のうちのひとつには見覚えがある印が入っている。

「そうさ。知り合いに作ってもらったんだ。ちゃんと許可証もある」

「だから、点検にきた訳じゃないって言ってるだろう」

 ごそごそと荷を漁って許可証とやらを出そうとする男を留めた。

「……馬鹿なことを訊くと思わないでほしいんだが」

「何だ? 魔術師さんセル・リートなんかに俺が教えられることがあるなら、教えてやるけど?」

 エイラは逡巡したが、思い切って続けた。

「……売っていいのか?」

「何を」

「魔術薬」

「は?」

 この魔術師は何を戯けたことを言いだしたのか、それとも自分はその意味を勘違いしたのか、と男が考えるのが判った。当然だろう。魔術師が、魔術師協会の規範を知らないなどとは思うまい。

「その……新米なんでね。よく知らないんだ」

「……へえ?」

 男はじろじろとエイラを見た。幸か不幸か、目の前の男は黒ローブ姿を見たからと言って怖れをなすという性格ではなさそうだが、「魔術師だから胡散臭い」と思われるのではなく「魔術師のくせに胡散臭い」と思われているのは明らかだった。

「許可証があればな」

 男は胡乱そうに彼女を見ながらそう答えた。何か試されているのではないか、などと思っているのかもしれない。

「それと、協会よりも安く売らないこと。協会の利益を侵害しちゃならんということだな」

「売れるか?」

「滅多に。欲しい奴は、協会へ行く。その方が安い上に本物だって確証がある。俺がこれを置いてるのは、まあ、箔をつけるためみたいなもんだ」

「そうか」

 エイラは肩を落とした。もしかしたら協会に行かずとも、魔術の技を磨きつつ日銭が稼げるかもしれないと思ったのに、売れないのでは話にならない。

「何だ、『新米』のくせに協会を出し抜こうってのか? 大した姉さんだな」

 どうやらエイラが本気で問うていることを理解したらしい男は、面白そうな口調で言った。

「そんなつもりじゃない」

 首を振った。

「ただ……街の外でも稼げる手段がないかと思っただけだ」

「旅にでも出るのか? 魔術薬を作れるくらいの能力があるなら、協会で稼いでから出ていけばいいじゃないか。まさかその若さでどっかの森の奥で隠棲しようってんでもないんだろ?」

 男の言いようにエイラは笑った。

「協会に頼りたくない魔術師もいるってことさ」

 言いながら、少し妙な気分だった。自らを魔術師だと言うこと。そうではないと思い、判っているのに。

「私がいたら商売の邪魔だな。話を有難う、薬師クラックス

 そう言ってエイラが立ち上がると、男の言葉が追いかけてきた。

薬草師クラトリアだ、間違えてもらっちゃ困る」

「……どう違う」

「薬師は医者の親戚みたいなもんだろ。薬草師は学者の親戚だ。覚えといてくれ」

 それは男のこだわりであるかもしれなかったが、立ち去ろうとしたエイラの足をとどめようとしたようにも、とれた。彼女は改めて露店の主を見る。

 年の頃はエイラ自身より十近く上だろうか。濃い茶の髪は黒に近く、同じ色合いの瞳はまじめな顔をすればまるで誠実な薬売り――などと言うものがこの世界にいるとして――に見え、エイラを小さく手招きしているいまは、面白そうにきらりと光っていた。

「いいか。薬師はなかなか、自分の住む街から出ない。彼の薬を必要とする患者がいるからな。旅してるのもいなかないが、とにかく病人あっての職業だ」

「薬草師だって、同じだろ」

 男の思惑がどうあれ、彼女もまた面白くなってきて再び地面にしゃがみ込んだ。これで客が寄りつかなくても、それは露店主の選んだことである。

違うデレス。薬草師は、ひとが病にかからないための薬を売る。或いは魔除けや恋のまじないに使う香草。気分転換に茶に入れる香葉だってある」

 男は目前の商品を指し示しながら話した。

「判るか? これなら、旅をしながら稼げるんだ」

 にっと笑った顔を見て、エイラは目をぱちくりさせた。

「興味があるなら、これらを二、三教えてやろうか?」

 警戒しなかった訳ではない。エイラの形を取るときに親切面を見せる男を言葉通りに信用などできるはずはないのだ。これは、何もエイラとなってから学んだ知識ではなく、下町の少年としてよく知っていることである。

 とは言え、そう言った警戒は無意味かもしれない。「エイル」自身、下心の有無は別として、男よりは女に親切にしたものだ。そもそも、いまの彼女を見れば誰でもまず「魔術師だ」と誰でも思う。ローブを着ていない、ひとり旅の若い女とは違うのだ。

 もとも、そうあれば、違う意味での警戒をしなくてはならない。

「もちろん、ただとは言わない」

「だろうね」

 そう返した。無償だと言い出す方がより怪しい。それにしても、見ず知らずの魔術師を相手に取り引きを持ちかけるとはなかなかの度胸というところか。

「私が、本をちょっと読めば判るような薬草学の基礎を少しだけ教わって、それであんたが得るものは? 世界創生の秘密?」

 エイラの冗談めかした言葉に男はきょとんとし、それから笑い出した。そうして馬鹿笑いをするとぐっと若く見え、エイラと少ししか変わらないように見えた。

「面白いこと言う姉ちゃんだな。薬草師に魔法の奥義なんて必要あるもんか。もちろん、旅のために銭を稼ぐことを考えてる魔術師が金持ちだとも思わない。俺が知りたいのは、ちょっとした魔術薬の基礎さ」

 これなら薬草学の基礎と等価の交換だろう、と男は言った。

 エイラは正直に言って、奇妙に思った。魔力を持たぬ者が魔術薬の基本など知ったところで何の役にも立たない。だがその不審そうな表情が通じたのだろう、男は肩をすくめた。

薬草師クラトリアは学者の親戚だって言ったろ。興味があるんだ」

 作れる作れないは関係ない、と薬草師は言う。

「何を原料に、どんな呪文を……呪文については俺が聞いても判らないだろうが、どういう流れで何と何を混ぜて、熱するとか煎じるとか、そういう俺たちに近いこともするのか、そんなのは全く見当外れで、ちょいと杖を振ればできちまうもんなのか」

 そういう、簡単な話でいいのさ、などと続いた。エイラは腕を組む。彼女は魔術薬作りの達人にはほど遠かったが、理屈だけなら最低限のものを理解しているし、おそらくこの男が求めるのはその最低限のものなのだ。

 それを教えるのは魔術師協会リート・ディルの禁忌に触れるだろうか? 少し考えて、答えを出した。少なくとも師は、町で術を使って人を傷つけることだけが協会の罰則の対象だと言っていた。リックは慎重だったから、ほかにもやってはならないことがあれば告げたはずだ。

「判った。それじゃ、取引完了だな」

 エイラは契約の印とばかりに手を差し出した。男は一リア躊躇ったのち――それが、エイラが若き女性であったためか、魔術師であったためかは判らない――手を握り返してくる。

「俺はヒースリーと言う」

「エイラ、だ」

 この名を名乗ることにももう、抵抗を覚えなくなっていた。

「よし、エイラ。いつからはじめる? 俺はこの店を畳めばいつだって準備完了だが」

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