07 遊び

 エイルにいいも悪いもあるはずがないし、第一、何か思ったとしても声は出せない。差し出された腕をまた渋々と取って、いくばくかの好奇の視線を受けながら、エイルとキドは貴壇へと向かった。

陛下ダナン殿下ラナン

 正式の礼は宴の始まる前に済ませているから、伯爵がしたのは簡略式の礼である。エイルもそれを真似ようとし、だが男女では礼の仕方も違うことを思い出して混乱に陥りかける。女性の礼などしたくはないが、ここで男の礼をしては台無しだ。

「いいのよ」

 だがそこに、何とも寛大なシュアラの声がした。

「まだよく、作法がお判りにならないのでしょう。かまわないわ。気にされないでね」

 もちろんこれは「エイラ」の正体を知った上での発言だが、エイルとしては目が丸くなりそうだ。シュアラが「無礼」を許すとは!

「ねえお父様、わたくし彼女とお話しをしていてもよくて? 同じ年頃の姫君なんて、珍しいんですもの」

 うまい言い方だ、とエイルは思った。シュアラが自分で思いついたのなら上等だが、おそらくはファドックが助言したに違いない。

 愛娘のささやかなわがままは、客人の前であってもどうやら許された。王はキドとエイルに目をやると、いいだろうとうなずく。キドは再びそれに礼をし、エイラの手を取ったままで壇上へ上がると姫君の横に「遠縁の娘」を置いた。

 レイジュの言った通りだった。

 王女は、エイル――エイラの姿にほんの一リアだけ目をみはったが、しとやかな表情を崩さないままで「キド伯爵の遠縁の姫」に挨拶をした。

「宮廷にいらしたばかりで、戸惑うでしょう。今日はわたくしの傍にいるといいわ」

 何とも有難い王女様の仰せである。エイルはうつむきがちに王女の近くに寄ると――少女としては長身だが、仕方あるまい――呪いの文句を吐きたくなるのを堪えた。

「そちらもまた、お美しい方ですな」

 若い張りのある声が――エイルの耳に届く。見ると、先の入場の際は「絵に描いたような異国情緒と神秘」をまとっていたリャカラーダ王子が、打って変わった砕けた態度で――と言っても、王族の気品は損なわれぬままだが――こちらを向いていた。

 エイルはどきりとする。

 まっすぐ彼に投げかけられる暗く濃い色の瞳。黒と言ってもいいくらいだが、彼らの国では、もしかしたら明るい色の瞳だと表現されるのかもしれない。それはまるで魔術の光矢のように、少年を突き刺した。

 慣れない服装に慣れない細い靴――少年の大きさに合うものを捜すのは困難だった――で、ふらつく足元を踏みしめるには、かなりの努力が要った。

「エイ――セリ」

 素早くファドックがエイルに寄って、彼を支える。このときばかりは、有難い。

「どうされた、セリ? 私が何か無調法でも?」

 それに気づいたリャカラーダが、首をひねってそんなことを言う。シュアラが取りなすように声を出した。

「まあ、王子殿下、お戯れを。この娘は宮廷に慣れていないのです。このような場所は初めてですし、まして、殿下に直接お言葉をいただくなんて。緊張して足が震えているのですわ、可哀想に」

「ああ、それは失礼した。しかし姫君、ご安心あれ。この宮廷が初めてなのは何も貴女だけではない。アーレイドの礼儀を知らぬ異国の野蛮な王子がひとりここで、いつ陛下や殿下の不興を買うかと不安に打ち震えているのですから」

「殿下が本気でそう申されておるとは思わぬが」

 マザドは笑ってそう言うとリャカラーダを見やる。

「シュアラは、そこな姫と話をしたくてうずうずしておるようだし、そなたも我々ふたりばかりが相手では面白くなかろう」

「断じて、そのような」

「そなたはアーレイドの街を見たがったと聞くが。どうであった、我が街は?」

「豊かな人々の暮らし、陛下の市民たちはみな陽気でかつ礼儀を知っておりますな。ご威光が忍ばれます。人々は皆、見知らぬ異国の者にも優しく」

(よく言うな、この王子)

 エイルは内心でこっそり思った。

(ぬけぬけと、ってやつだ。ジェッツが喧嘩をふっかけたのがあんたの臣下じゃなかったら俺は驚くね)

(それとも、そんな気に入らない報告は受けないのかね、王子様ってのは)

 エイルがそう考えたのはリャカラーダ「王子」を馬鹿にしてではない。むしろ逆だ。エイルはそんなふうに思っていなかった。何故かエイルは、この男はあの酒場での騒ぎをきっと知っているはずだ、と――思っていたのだ。

 リャカラーダの話しぶりは少し聞き慣れないアクセントを伴い、肌の色や容貌を別にしても、「この男は『違う』存在だ」と声高に語っていた。いや、エイルが感じたそれは話し方のせいだったのだろうか――?

「気に入っていただけたのなら重畳だ。街などを見たがるそなたならやはり、王と退屈な話を続けるよりも、ほかの諸侯らに興味があろう」

 王は皮肉や嫌味ではなく、そんなことを言った。リャカラーダもそれ以上はマザドの言葉に謙ることはせず、ただ頭を下げる。

「彼らもまた、そなたの話を聞きたくてたまらんことだろう。気が向くようなら、我が臣下たちの好奇心を満たしてやってはくれまいか」

「御意にございます。わたしごときのつまらぬ日常が、この街の貴い方々の刺激になると言うのなら、喜んで語り部となりましょう」

 応じたリャカラーダはすっと立ち上がると、王と王女と――エイルにまで礼をして壇を降りてゆく。それに目をとめた人々が、我先に――と言うような「はしたない」真似はもちろんせず、ゆるゆると、少しだけ興味をそそられるのだ、と言ったような調子で集まってくる。

 エイルの視線は王子に釘付けになったままだったが、彼が人々の間に隠れるとようやくそれから解放された。

「――エイラ、と言うのだったわね」

 シュアラの声がかかる。その声は完璧な王女様そのままで、少年の化けっぷりをからかう様子も感心する様子もない。

「お前も、せっかくこうして宮廷へ来たのだから、壇上でじっとしていてはつまらないでしょう」

 エイルは慌てて首を横に振った。彼の目的はシュアラを守ることなのだから、王女がこうして壇上でファドックとアルドゥイスの近くにいるのなら、彼は何も肝を冷やさずに済むのだ。

「まあ、おかしな子ね。気後れしているの? 大丈夫よ、お前は」

 きらり、と悪戯そうな光がその目に宿った。

「きれいですもの」


 シュアラを止めてくれ、とファドックに視線で助けを求めたところで、姫の望みを第一とする護衛騎士が手を差し伸べるはずもない。王女は優雅に立ち上がると「エイラ」についてくるよう促し、しとやかに壇を下りていく。エイルはその後ろから、慣れないドレスで不格好に続いた。ちらりと背後を見ると、ファドックがマザドに礼をして広間まで降りてくるのが見えた。

「これで、お父様には聞こえないわね」

 シュアラはついに堪えきれなくなってくすりと笑った。

「すてきよ、エイラ」

「や」

 言いかけて自制し、口の形だけで「やめろよ」と言う。

「カリアの思いつきだと言うけれど、いったいどうしてこんなことを思いついたものかしら? ファドックまでこの遊びに参加しているのだと言うから驚いたわね」

(遊び)

(――それじゃシュアラは、判ってないのか)

 彼らが警戒していることを。

 能天気なものだ、と怒ることはしない。

 彼女は王女なのだから、それでいいのだ。

 それは甘やかされていると言うことではなく、王女は純粋に異国の王子をもてなすべきで、その裏に警戒心などを持つべきではないからだ。

 王女ならばそのような影など隠してみせるべきで、これはやはりシュアラが甘やかされているのだと言うのならば――そうかもしれなかったが。

「王子殿下の話を聞いたわ。ビナレスのあちこちを旅されたのですって。王族でもそのようなことが許されるのだわ。少し羨ましいわね」

 それ外国故なのか男故なのか継承権が低い故なのかは判らないが、王子が街々を歩き回るなど、普通ではあまり考えられない。まるで吟遊詩人フィエテの歌物語のようだ。

 これもまた異国故なのかこの王子の気性なのかは判らなかったが、かの青年が少なくともアーレイドにとって型破りであることは確かだろう。

 文句ない気品と儀礼を兼ね備えてはいるものの、王子たるものが王城を訪れ、宴に出るのに供の一人もないとは!

 正確に言えば、城には一人、年若い従僕がついてきているとの話だったが、この場には連れてこなかったらしい。

 この時点で、彼らの警戒はほとんど意味がなかったように思われた。

 よからぬ企みごとをする者が、一人で乗り込んでくるなど考えられない。仮に、王や王女に危害を加えようとでも考えているのなら、ひとりでは無理だと言うこともあったし――そのように謀る者は自らも謀られるのではないかと考えるものだ。供と称する自身の警護さえ用意しないと言うのは、企みなどないだろうと思わせるだけではない。それをこそ型破りだと言ってよかった。

「今日のお前は話し相手にはならないのね。つまらないわ」

 少女は口を尖らせ、エイルは苛々と頭をかきむし――りたくなったが、堪えた。

(誰のためにこんな苦労して恥かいてると思ってんだっ)

「シュアラ王女殿下」

 女性の声に、エイルはぎくりと、シュアラは美しく、振り返った。

「あら、パリシア夫人」

「ご機嫌麗しゅう」

 夫人は王女への挨拶をし、王女もそれを返す。

「異国の殿下は、殿方に取られたままですわ」

「まあ。みな、気が利かないのね。王子殿下だって、女性に囲まれる方が嬉しいでしょうに」

「シュアラ様ったら」

 夫人は手を口元に添えて上品に笑い、そのまま視線をエイルに向けた。

「こちらの姫君はどなたですの?」

 きた、と思う。

「キド伯爵の遠縁の姫君ですのよ。エイラと言いますの。エイラ、こちらはパリシア夫人よ」

 エイラは慌てて頭を下げた。

「初めての宮廷にすっかり気後れているようですの。声も出せないくらいに。気の毒だから、今日はわたしの傍におきますわ」

「お優しいですこと、殿下」

 普通なら、「王女殿下」の隣にいる方がよっぽど気後れしそうなものだが、エイルも夫人もそのようなことは言わない。

「それならばひとつだけ、よろしいかしら。これをお聞きしたら、わたくしは退散いたしますから」

 夫人は声を潜めた。

「何ですの?」

 シュアラは首をかしげる。

「そちらの姫君が……殿下の護衛騎士の花嫁候補だというのは本当なのかしら?」

「まあ!」

 シュアラはこれ以上ないほど目をまん丸くし、エイルも口をぱくぱくさせて――冗談はやめてくれ、と叫ばなかったのは奇跡的だった――必死で首を振る。

「まあ、そんな話がどこから?」

「キド伯爵が彼を養子にしたくて仕方がないことはご存知でしょう。遠縁の娘を呼び寄せて結びつけ、彼を平民から貴族の名簿の端に加えようとしているのではないかと、噂になってますわ」

 宮廷雀はお喋り鳥の仮の姿、とはよく言ったものだ。「エイラ」がキドの隣に姿を見せたのは数十分カイも前ではないのに、ご婦人方の間ではもうそんな物語ができあがっている。

「伯爵は、そんな策士ではいらっしゃらなくてよ」

 シュアラはくすくすと笑った。

「その話をしてご覧なさい、キド伯爵もファドックも――大笑いするわ」

 大笑いの原因は、ほかにあるだろうけどな、と少年はげんなりと思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る