03 敵になんか
その日のリャカラーダ殿下の衣装はシャムレイの正式なものではなく、東国風でさえなく、アーレイドの貴族がごく普通に着用している形式のものだった。だが、たとえでも何でもなく「異国の王子」である彼が着ればぐっと異郷のものめいて見える。
旅籠屋〈銀花玉〉に王子然として戻った彼は、しかし面倒くさそうにそれを脱ぎ捨てると、またも一瞬でシーヴ青年に変貌を遂げる。
「エイラ。何があった」
そして彼は簡潔に尋ねた。
「翡翠を――呼び起こした。アーレイドの翡翠は目を覚ましたよ、シーヴ」
エイラもやはり簡単に言うと、シーヴは驚いたように彼女を見やった。
「現物を見たり、手に取ったりしなくてもできるのか」
「必要なかった。〈守護者〉がいれば」
「ソレス、か」
シーヴの言葉にエイラはぎくりとしたが――また何か皮肉が出てくるのではないかと思ったのだ――青年は両腕を組んで考えるような姿勢を取った。
「認めるのは悔しいが、なかなか大した男だな」
意外な言葉に、今度はエイラが少し驚いた。
「敵に回したくは、ないもんだ」
「敵になんか、ならないよ」
エイラは驚いたままで言う。
「だといいが」
シーヴは腕を解くとエイラをじろりと見た。
「それで、お前は何をしてたんだ?」
「だから、翡翠を」
「あいつとふたりで。ドレスを乱して」
言われたエイラは、淑女らしからぬことに、ぶっと吹き出した。
「ばっ馬鹿かお前はっ、何考えて」
「冗談だよ」
〈砂漠の王子〉は唇を歪めるが、目は笑っているようには、見えなかった。
「そういう、そっちはどうなんだ。シュアラ――様と、どんな有意義なお話をしたって?」
お返しとばかりにエイラは尋ねた。実際気になることでもあれば、実際少々むっとするものもある。
「ああ」
シーヴの目がようやく面白そうな色を帯びた。
「何ともまっすぐな王女様だよ。頭の回転は悪くないが、政治的駆け引きには向かないな」
「彼女は、そういう勉強はしてないん……だ、ろうから、仕方ないだろ」
エイラは何となくシュアラを擁護したくなって言った。シーヴはどうでもいいというように肩をすくめる。
「要するに、レンの出方が不気味だから、それを見極めるためにシャムレイの名を貸してくれないかということだな。だが、シャムレイが――と言うより、俺がアーレイドに負っているのは先日の勝手な退席だけだ。シャムレイとしては放蕩第三王子の気紛れの後始末をしなきゃならんが、それには書状のひとつも送れば充分さ。そこまで助けてやる義理はない」
「おいっ」
「怒るなよ、そういうもんなんだから」
シーヴは苦笑して言った。
「アーレイドがそれだけのものをシャムレイに求めるなら、相応の返礼がなくちゃならん。彼女は王の娘だが、権限は弱い。アーレイドのなかでならともかく、他都市との外交には何の権利も持たない。頑張ろうとはしているが、それだけの能力もまだない。彼女が俺に提供できるものはないんだ。彼女が持っていると思っているものは、全てアーレイド王のものなんだから」
「……シュアラにそう言ったのか?」
「いや。可愛い姫君を苛めて泣かす趣味はないさ」
シュアラが泣くとも思えなかったが、エイラは黙って受け流した。
「ただ、ひとつだけ、彼女が差し出せるものがある」
シーヴはにやりとした。
「王女殿下ご自身」
「――おいっ」
エイラはかっとなった。このふたりの縁組という考えほど、彼女――彼を混乱させるものもないのだ。たとえばそれがファドックとシュアラならば、怒りや憤りを覚えるどころか、それもいいだろうと思えるのに。
「慌てるなよ。
ともあれ、シャムレイとしては何も約束できないが、リャカラーダ個人として協力できることがあれば何でもしよう、と――考えようによっては何の力も持たない口約束だけしてきたのだ、とシーヴは言った。
もちろん、彼にはその約束を守る義務などない。
だがそんなことを言えばエイラが機嫌を悪くするだろうと思った彼は、賢明にもそれを口にしなかった。それに、シャムレイの王子としては、アーレイドの価値を測って判断せねばなどと思うところもあるが、シーヴとしてはシュアラを助けてやりたいと思わない訳でもないのだ。
もしかしたらそれは、「エイラが望むから」であるのかも、しれなかったが。
「なあ、シーヴ」
「うん?」
「……アーレイドを出よう」
エイラが次に口にしたのは、しかしシュアラのことでもファドックのことでもなかった。
「すぐにか?」
エイラの台詞の裏に何かがあることを感じ取ったシーヴはそう返す。彼女はうなずいた。
「シーヴ。翡翠は目覚めた。それを――レンは見ていたんだ。私は、見つかった」
「何だと」
青年は目を見開いた。
「何故、それを早く言わない!」
「いま、言うところじゃないか」
「……そうだな、すまん」
驚いたんだ、と王子が嘆息するのをエイラは少し面白そうに見て、肩をすくめる。
「狙われているだろう、という推測が確定しただけだ。何も変わらないよ。ただ、ここを離れた方がいいとは思う」
「よし。判った」
シーヴはうなずくと立ち上がり、すい――とエイラに手を差し出した。エイラは目をぱちくりとさせ、シーヴはにやりとする。
「リティアエラ姫にはこうしてお相手しないとな?」
言われたエイラは、まだ肌触りのいいドレスなどを着ていたことを思い出し、今度は遠慮なく呪いの言葉を吐いた。
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