08 呼び覚まされる

 昼に通った裏口から、またもエイルは城内へと舞い戻ることとなる。

 ファドックに敬礼をする門番は、エイルがどうしたと思っただろう。まさか、姫君から逃げ出して連れ戻されたとは思うまい。

「で、何。シュアラんとこ連れて行かれるんすか、俺は」

「いや」

 姫君の高貴なる罵詈雑言を覚悟して言った台詞はファドックに打ち消される。

「この時間ならば、陛下と殿下は諸侯とともに夕餉後の語らいをされているであろう。明日はダーバス伯爵の姫君のご訪問があるはずだ。お前のお目通りが叶うのは早くて明後日の朝いちばん、遅くても夕刻前だろうな」

「それじゃいまは」

「もうひとつの仕事場に行け。もう、食事の時間帯は終わっているようだがな」

「――やっときたか、この生意気坊ずめが!」

 調理着を着て、慌てて厨房に駆け込んだ少年に料理長の怒声が飛ぶ。

「最後の陣に間に合ったぞ、ユファスとウィーディーは上がりだ。タッツどもは片付けに入る。調理は俺とお前だ、エイル」

「なっ、調理ってトルス、んな無茶な」

「何が無茶だ。お前の仕事量を当てにしはじめたところで今日の仕打ち。俺は怒ってんだ、今日のことをねちねち言われたくなかったら何とかやってみろっ」

 これがトルス流の、仕事をサボったものへの罰なのだというのだろうか。それならば、運の悪いのは罰を与えられた当人より、その食事を受け取る羽目になる使用人だ。

「材料は、これと、これ。あとこっちの丸器の中身もな。鍋を熱して油引いて順番に全部炒めりゃいい、最後にこの乾酪を乗せて完成だ」

 とんとんとん、と並べられた食材を見てきょとんとする。野菜屑やら肉の切れ端やら、冷えた飯。乾酪だけはわざわざ倉庫から取り出されたようだが、それ以外は全て残り物だ。

 つまり、これは厨房の使用人たちのための賄い飯というやつである。

「腹、減らしてんだろ。作って食え」

 いつもは、片づけをしながら当番が飯を作り、それらを食べて片付けて、解散となるのだが、どうやら厨房のほかの人間たちはもうその段を通り越しているようだ。正確に言えば夕飯なら家で済ませた訳だが、まだ成長途上にある健康な青少年の身体は、二度目の夕飯を食べることに何の異議もためらいもなかった。

「……俺の分にしちゃちょっと多くない、トルス」

 自称するところでは怒っている料理長は、いいから言われた通りにしろ、と言った。

「お前の分と、俺の分と、もうひとつ。お前のせいで腹を空かせてる騎士殿もいるだろうが」

「ファ、ファドック様が食うの、こんなもん!?」

「こんなもんたあ、何だこのクソガキ」

 トルスはぱしりと少年の後頭部をはたく。

「美味い食事処の賄いは、何より美味いってのを知らんのか。騎士様だって、滅多なことじゃ食えんのだぞ。なあファドック」

「有難いが、トルス。私はシュアラ様のもとに報告に上がる」

 厨房と食事場の仕切りのところでファドックはそのやりとりを苦笑しながら見ていたが、首を振ってそう答えた。トルスは、はっと笑う。

「なあに、あと二カイかそこら遅れたからってかまわんだろうが」

「そうもいかない。それが私の勤めだからな」

「でも」

 エイルはつい口を挟んだ。

「姫さんはお偉いさんとお話中なんでしょ。俺が……迷惑かけたんだから、飯くらい作らしてください」

 少年がそう言うと、なんとも珍しいことに、ファドックは少し迷ったような顔をする。

「いいから座れ、ファドック。お前に出すって名目で、乾酪なぞ出してきたんだ。俺とエイルだけ贅沢したなんてバレたら厨房で白い目だからな。それに」

 にやり、として踵を返した。

「騎士様の所望とあれば、葡萄酒ウィストだって出せる」

 所詮、安物だがね、とトルスはつけ加えて倉庫へと向かう。

「判ったよ」

 ファドックは肩をすくめた。

「それではお前たちの、口実になろう」


 決して手早いとは言えず、世辞にも上手だとはいえない手つきでエイルは簡単な焼き飯をどうにか作り上げる。材料やら入れる順番やらは全てトルスの指示によったし、味付けを整えたのは料理長自身だ。簡単な品でもあるが、不味くなりようがない。いみじくもトルスが言ったように、こうした簡単でいささか品のない皿の方が、小奇麗に仕上げただけのものよりも美味い、というのもまた事実ではあった。

「でさあトルス。これはどういうこと?」

 少年が、自らの皿の出来具合に満足しながら――彼の能力が使われたのは材料を混ぜる、という行為においてのみであったことは判っていたが――そう問う。トルスは怒っていると思ったし、そう言ってもいた。だがそれを聞いた料理長は楽しそうに笑う。

「俺様の職場を投げ出したのは許しがたいが、姫さんを蹴飛ばして出てくなんざなかなかできるこっちゃない。シュアラ姫はお可愛いしおきれいだが、たまには世界が自分を中心にはしちゃいないと判る出来事がふたつ三つあったていいだろうな。ま、こんなことはどこぞの騎士コーレスの前では言えんが」

 トルスは澄ました顔をしながら、ファドックの隣で言った。護衛騎士は料理長の肩に腕を回すとそのまま食卓に引き倒す。トルスの顔が飯に突っ込む直前、エイルが彼の皿を引っ込めることができたのは奇跡に近かった。

「私を隣に座らせてそれを言うかトルス?」

 だがファドックは本当に怒ったのではないようだ。アニーナとエイルの家を訪れたときのような忠実なる騎士の顔ではなく――普通の青年の顔でにやりと笑っている。

「ちくしょう、避けられると思ったんだがなあ」

「甘い」

 ファドックは手を放し、トルスは悔しそうだ。この二人を揃って見たのははじめて厨房に連れてこられたとき以来だが、エイルはファドックがこんな風に巫山戯るのを見たことはない。どうやら護衛騎士と料理長は仲のいい友人同士という訳だ。

(そう言や)

 エイルは思う。

(最初も、ファドック様はトルスには軽口を叩いていたっけ。他の人の前じゃ、そうそうやらないのにな)

「さあ、食ったらもう帰れ」

「そうするよ」

 エイルは言うと、自らと彼らの食器を集め始めた。トルスは首を振ってそれを止める。

「いいから、休め。今日はシュアラ様とファドックの両方とんだろ。戦士キエスにゃ休息が必要だぜ。あとはこいつに手伝わせる」

「ちょっとトルス、いくらあんたでもファドック様にそこまでさせられる訳?」

「そうじゃない、エイル」

 ファドックは笑った。

「お前がきてからは間に合っていたが、どうにも手が足らないときは私もここに」

 厨房を指しながら続ける。

「入ることがある」

「ファドック様が!?」

 似合わない、と思った。だが、まじまじと目前の男を見て考えてみる。

 騎士の制服を身につけてシュアラの横にぴしりと立っているときのファドックからはとても想像がつかない。いまも制服ではあるが、こうして卓に肘をついてのんびりとしているファドックならば皿洗いのひとつやふたつをしてもそう違和感はない。

「剣だけじゃなくて、包丁も使うんですか」

「たまに、な」

「何言ってやがる、剣士としてはどうだろうと、料理人としちゃ半人前以下だ」

「そいつは、私にお前の場所を奪う気がないからさ」

「口の減らん奴め」

 言いながらトルスは立ち上がった。

「俺もお前も、朝は早い。さっさとやっつけよう。エイル、お前は早く休めよ。――顔色がよくないぞ」

「んなこと、ないよ。別に疲れるようなことはしてないし」

 精神的には疲れたけど、とつけ加える。

「エイル。さっきは手荒にして済まなかったな。もう休め」

「二人に言われちゃしょうがない。そうしますよ。ファドック様」

「ん?」

「今度、教えて下さいよ」

 そう言ってエイルは、先ほど自身をくるりと回したファドックの動作を真似た。ファドックの目が楽しそうに細められる。

「よし、約束しよう」

 男の手が、子供にやるように頭に乗せられた。エイルは顔をしかめる。それは、子供扱いされたからではない。

 男たちはがちゃがちゃと木の食器を集めると洗い場へと姿を消した。エイルはそれを見送る形になり――ゆっくりと息を吐く。

(いまのは……)

(これまででいちばん強烈、だったな)

 鼓動が早くなっている。手まで震えそうだ。顔色が悪い、とトルスは言った、いまならばそれが自分でもそうだろうと思う。

 ファドックに触れられた瞬間、身の内に走った衝撃。

 呼び覚まされる。

 エイルは感じた。これは、怖れ。

 これ以上ファドックに近しくなれば、彼の内にあるが目覚める。

(ふたつの心を持っている)

 老占い師はそう言った。

(――の時は近い)

(守護者のもとで――が目覚める)

 エイルは目をしばたたかせ、もう一度深呼吸をすると立ち上がった。ささやかな荷物を持って、不必要に広い部屋に戻ろう。

 いまの言葉は何だろう。彼の内にある言葉ではなかった。少なくとも、彼がそんなことを思う謂われはなかったし、記憶にあるどんな吟遊詩人フィエテもそんな物語は謳わなかった。

 翡翠ヴィエルが目覚める、とはいったい――?

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