第48話 籠城・亜竜ヘクトアダーの襲撃
カヒが
「みんな、危険な何かがいる!」
音とは言えない音が聞こえました。強くうなじの毛をなぞり上げていくのは何かの気配。
森じゅうが、小さな音の騒々しさで満たされます。生き物たちも感づいているのです。虫たち、小さな獣や鳥たちひとつひとつが起こすかすかな空気の振動が、うねりとなって仲間たちを取り囲んでいます。
木の間で生きる小動物がざあっと動く音がしました。思っていたよりずっと多くの生き物がオアシスと周囲の小さな森に息づいていたのでした。
仲間たちは、知らず知らずのうちに体の芯が冷たくなってしまったような気がしています。
次に、湖面がざわざわと波立ちはじめるのに気づきました。
全員の目が湖の水を見ました。
魚たちが、大きいのも小さいのも、何かから逃れるようにざあっと群れて動き始めます。一斉に深いところに向かうと見えては、おどろいたかのように身をさっとひるがえして向きを変える魚群。
何匹かの魚は岸辺に寄りすぎていました。体が半分ほども水から出てしまい、暴れています。銀色の光がいくつも岸に踊り、太陽の光を反射するさまは、不気味な恐怖を伝えてきます。魚たちは魚たちが湖底に逃げていき、見えなくなりました。
「なんだ、魚かあ。ふへ、ヘクトアダーが現れたのかと、思っちった」
その動きを見たパルミは、声を
安心したふうを
トキトは警戒をゆるめずに言います。
「パルミ、油断するな。鳥や魚はなにかを恐れて逃げたんだ」
と
パルミがおそるおそる聞き返します。
とっくにわかっていることのはずですが、認めたくない気持ちなのでしょう。
「トキトっち、なにかって、それ、やっぱし……」
そう言ったかと思うと、言葉を失って湖の向こうを見つめます。見えるものがあるようでした。
湖の向こう岸は、枯れた白い林になっています。
異状は、そこにありました。
地面です。
木立ちの向こうで地面が怪しくうねっているように、見えました。
アスミチは、心の中で思います。
――夏のアスファルトの上に見える、逃げ水っていう現象みたいだ。
生き物はいないはずです。
木々でさえ枯れ果ててしまった対岸に、なにがあるのでしょう。
「地面が動いてる……怖い」
とカヒが震える声で言いました。
ハートタマが警告を発します。
「フレンズ、地面が揺れるのは、とてつもなくでかいのがいるせいだぜ……ううっ、ぶるぶる、オイラも思い出した」
そう言いながらも、じり、じりとハートタマは空中でちょっとずつ体が後ろに下がってしまっています。
言わなくてもわかっています。
地面が揺れるように見えるような、巨大なものの正体は。ハートタマがはっきりと口に出しました。
「ヘクトアダーだぜ、でかいヘビの……モンスターだ。今は向こう岸ににいて、遠い。けどな、気をつけろよ……フレンズ」
全員の目が恐れで大きく見開かれます。ハートタマの言っていることに間違いはないでしょう。
予想していたとはいえ、こんなに早いとは全員が思っていなかったのです。
「まだヘクトアダーが現れるとは思いたくなかった……だから希望的観測にすがってしまったな」
バノが苦い心のうちを言葉にしました。ウインがすぐに反応します。
「バノちゃんだけじゃないよ。私たち全員が、明日になれば脱出できるっていう考えに逃げこんでた」
地面のうねりは見えたのですが、ヘクトアダーの姿そのものはまだ見えません。けれども確実に向こう岸にいるという感覚があります。鳥たちや魚たちもそれを察知して逃げようとしたのでしょう。
アスミチの声が弱気を含みます。
「こっちに来たらどうしよう!? 逃げても間に合わないよね? バノ、どうしたら」
バノは目を凝らし続けます。冷静さを失わずにいるバノが仲間たちの心を支えています。
「アスミチ、落ち着け。ヘクトアダーは向こう岸を狩り場に選んだようだ。獲物が見つかればこっちには来ないかもしれないんだ」
距離があるので観察に全力を注いでいるのでしょう。バノは視力強化の魔法を自分に使っていました。
「たしかに。あっちにいるのに気づけたのは幸運だよね」
ウインは思ったことを伝えました。自分たちは幸運だと思えれば楽になれる気がしました。けれどトキトの言葉に、その気持ちもすぐに冷めてしまいます。
「大きな獲物か……たぶんあっちの枯れた林には、いそうもないぜ……安心したらダメだ」
そのつぶやきはもっともなものでした。
トキトは、頼もしい判断力と、行動力を持つ少年です。ときおりその長所が前面に出てきます。とくに危機を前にしたとき、思い切った行動を取ることができるのです。
今も、能力を仲間たちのためにフルに
バノはうなずいて、前向きに考えようとします。
「トキトの言う通り。あちらの岸辺にエサは見つけにくいだろうな。そしてオアシスすべてがヤツの狩り場だ」
と、今ある危険を認めました。
「んじゃあ、こっちに来るってこと!?」
パルミがあわてふためいて言いました。
バノは返答の言葉を発しませんでした。無言は、
答える代わりに、バノはトキトに言います。
「みんなで野営地に戻って、
「逃げるしかねえしな。場所は野営地……になるだろうな、バノの言う通り」
二人の考えがウインにもわかりました。
「そうか、ヘクトアダーがほかの場所に移動するまで隠れてやり過ごすんだね。それなら、希望は大きい」
パルミが年長組の言いたいことに気づきます。
「やっつけたり、撃退しなくてもいいってことじゃんね。そだそだそだよ!」
アスミチが続き、カヒも声をあげます。
「時間が経ってドンが動くことができたら、この一帯を離れられるかもしれない」
「そうだね。今、見つからないようにすれば、逃げる時間がかせげるよね」
ハートタマがドンに聞いてくれたようです。
「なあドンの字。あと何時間かあれば、ちっとは移動できそうか?」
「うん。材料は動くぶん、もらったからね。今、体の中で壊れたところを直しているところ。移動に使うところだけ、急いでやってみるね。明日まではかからないと思うよ」
「ひょーっ、わかってんじゃねえか、ドン次郎!」
ハートタマも希望を見出してきたようです。
カヒは青ざめた色の唇をしていましたが、みんなと同じ希望を見出して、言いました。
「あとでドンをスクラップヤードまで、連れていければ、きっと逃げられるよね」
全員の意見が一致しました。なんとか逃げ切って、時間をかせぐ。ドンが乗り物になってオアシスを離れることができれば狩り場から遠ざかることができます。
アスミチが続けました。
「バノに危険を教えておいてもらえて、すごく助かったよね。すぐにヘクトアダーだってわかって、対処できるんだもん」
対処できる、という事実を強調しました。カヒをはじめ、みんなをフォローして励ます意図もあったのに違いありません。
ウインがアスミチに重ねて、自分たちの運の良さを強調します。
「うん。私も、バノちゃんのおかげで走れてる。そうだよ。私たちはすっごく幸運。ついてるよ」
前向きな言葉をかけあわなかったら、恐怖に
子どもたちは野営地へと
移動中、アスミチが足を止めそうになりました。
何かに思い当たった顔です。
言うべきかどうか、迷うアスミチでした。
しかし元班長のトキトを見習うことにします。悪い情報も、言うべきです。
おののきながらも、アスミチは言いました。
「だめだよ、バノ、野営地に隠れてもたぶん無駄なんだ」
全員が少し走る速度をゆるめます。
「アスミチ?」
とウインが尋ねると、アスミチが説明し、みんなが耳を傾けました。
「もしヘクトアダーがヘビに近いなら……ヘビは熱が感知できるんだ。ピット
パルミがアスミチの言葉の意味を考えたようです。
「熱って、あたしらの体温で、気づいて、襲ってくるってこと?」
ウインもたしかにヘビのその能力を聞いたことがありました。テレビ番組で、赤外線を見えるカメラの映像で、見たことがあった気がします。
――暗闇でもヘビは、ネズミを襲ってた。
ウインは声を震わせました。
「暗闇でも見えるヘビの能力、私も知ってる。ど、どうする? 見つからないためには、体を冷やす?」
ウインの脳裏に、野営地に運び込んであった水の
――あれを少しずつ衣服に染み込ませたら……足りるんだろうか?
涼しく感じるくらいには、なるでしょう。
パルミが思いついて声をあげました。
「そだ! 穴を掘って土の中に体を引っ込めたりしたら温度が変わるかも!」
穴を掘るというアイディアが出ました。
「パルミ、いい判断だ。土や砂を体にかければ多少ましだろうね」
バノもパルミ案に賛成の意思を示しました。
ただ、トキトはあまり楽観的ではないようで、
「熱を探れるとすれば、それだけじゃ、足りないと思う。見つかってアウトだぜ、たぶん」
「そうだな。だが時間がない、やれる限りは、やるしかない」
とバノが答えます。
短い時間で、完全な対策というのは立てられないということでした。効果があり、時間をかけずに準備できることなのだったら、したほうがいいのです。
「わかった」
とトキトが短く応じました。
他の仲間からほかに異論もアイディアも出なかったので、「野営地で土や砂をかぶって見つからないように静かにする」という対策に決まりました。
野営地に戻るやいなや、作業を始めます。
六人とハートタマは協力して、野営地の囲いとなっていた枝で中が見通せないように隠しました。
ウインは、「水をかける」というアイディアを仲間に話しました。
すると、水を使った別案がアスミチから出ました。
「バリケードがわりの木の枝に水を振りかける、ってダメかな、みんな」
アスミチの考えはいいもののように仲間たちにも思われました。バノも「やってみよう」と言いました。
これなら奥にいるヒトの体温を隠してくれるかもしれません。いわば、水冷式のクーラーを設置するということですね。
手早く、手分けして野営地の壁に水をふりかけます。小さめの器や手を使いました。そのあいだにバノは「
体から発する体温もできるだけおさえることにします。時間はあまりないと思われたので、地面を掘るパルミ案は、今回はなしです。そのかわりその考えを少しだけ変えて、木の枝や枯れ葉を体の上にかぶせることにしました。
「これだけでもないよりマシっしょ」
バノとパルミ、それからハートタマが、体にかぶせるための木の葉などをかき集めます。まず年少組のカヒ、アスミチ、それからパルミ自身が木の葉の下に体をもぐりこませます。
「オイラはいざとなったら空が飛べるけど……」
とハートタマが言いました。
が、パルミが即座に言い切って
「だめっしょ! 六十メートルのモンスター相手に飛んでも逃げられないよ!」
「う、たしかにそうだぜ。オイラあんまり高くまでは浮けないしな」
ハートタマも、一緒に身をひそめることになりました。年長組の三人も葉っぱの下に入ってきます。
熱や運動を最小限に抑えてやり過ごすのはとても
ウインが小声で、
「誰かトイレに行っておきたい人いない?」
と仲間たちに向かって聞きました。
さいわい、全員がすませてあって大丈夫でした。
最短の時間で、六人とハートタマは、最大の努力をしたと言えるでしょう。
けれども、これで危機を乗り越えられるかは、わかりません。
ヘクトアダーに
生き残るための知恵と勇気を
できることをすべて行った上で、動かず、巨大な怪物をやり過ごす。それだけです。
しかし、そんな子どもたちに、厳しい試練の時間が近づいていました。
ヘクトアダーのオアシスは、乾燥した荒野の中にあって、数少ないうるおいのある緑色の土地です。
大陸をたえず西から東へと吹き抜けるカラカラに乾いた風も、ここの緑と水とをいっぱいに浴びて、そのよそおいを変化させます。
大量の水があるのに、ここには人は定住していません。
住み着かないのは、危険だからです。
今、六人の子どもたちがいるオアシスや、近隣のオアシスは、恐ろしい生き物の縄張りです。
この場所をエサの狩り場としているヘクトアダーでした。
人が住むには、あまりに危険でした。 唯一の例外として、ここで暮らしていた人がいます。
「センパイ」と子どもたちが呼ぶ、誰かです。
ここでたった一人で暮らし、野営地を岩場に作り、畑を
センパイが少なくとも数年間は暮らしていたことはたしかです。
でもそれがいつのことなのか、危険はなかったのか、六人の仲間たちは知らず、ハートタマの記憶にもありません。
どうしてセンパイが今はいないのか、ほかの土地に去ったのか、あるいは……それも、わかりません。
今、彼らの前にヘクトアダーが姿を現そうとしています。センパイもかつてこのヘクトアダーに、生き残るための回避の技術術で対抗したのかもしれません。
ウインは小さな声でみんなに伝えます。
「センパイだって何度もここでヘクトアダーをやり過ごしたと思う。だからきっと大丈夫!」
岩山のくぼみを利用して作られた野営地は、外から見つかりづらく、安全な休息の場所に見えました。
しかし、安全なのか、ほんとうのところはわかりません。
身を
話す声は、自然に小さいものになります。
「ヘクトアダーが湖にとどまり、岩山までは来ないで終わればいちばんいいが……」
バノの声には緊張の色が濃く出ています。
トキトがそれに返事をします。にべもない答えでした。
「来るだろ」
と。彼は確信しているのでした。ヘクトアダーがセンパイの野営地まで追ってくることを。
「トキト、怖いことを言わないでよ」
とウインが抗議の声を挙げました。いつもははっきりと声を出す彼女ですが、今は、小さな声がさらに潜められ、聞こえるかどうかという小声でした。
トキトはこんなたとえを使います。
「ウイン、お前だったらどう? 腹が減って冷蔵庫の扉を開けたあと、探さないで扉を閉めたりするか?」
そう言われると自信がなくなるウインでした。むしろ、トキトの考え方のほうが正しいような気がしてきます。
「むぐぐ……トキト、たまに的確な例を出すよね……うん、トキトが正しいと思う。ほかに獲物がいないなら、きっとこっちにも来る」
と認めるしかなかったのでした。
野営地から遠くない水辺で水音がしました。ざんぶ、ざあ、という波の音に似た音でした。
大きくもない湖の波の音が、そんなに大きく、野営地まで届くでしょうか。
パルミは思わず
「あの水音、もしかして!」
と小さく叫びました。
全員、思ったことは同じです。
ヘクトアダーが立てた音かもしれません。
仲間の耳に聞こえてくるのは、ざざーという海のさざ波のような静かな音でした。
しかしおかしい点があります。
さっきから、音が終わりません。
ずっと続いています。
「音がいつまでも終わらない……」
カヒの呟きが、その恐ろしさをより際立たせたように、みんなには思われました。
なにか大きな物体が水から上がる音であることを、みんなが確信しました。
「カヒ、声を出すのもやばい。全員、声を出さずにいるんだ」
とトキトがほとんどかすれ声となった小さな声でささやきました。
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