第66話 ウィルミーダの操縦席へ

 そのころ、トキトは任務を実行しています。ヘクトアダーの気を引くことです。

 トキトがスリム化した金属棒で、その胴を殴りつけると、ジロリと眼球だけで視線を送ってきました。

 ヒトが、体にひっついてきた小さな虫を見るような目でした。

 ヘクトアダーの記憶力がどんなものか、トキトにはわかりませんでした。しかし、トキトのことをさっき逃した相手だとはまだ認識できていないように思われました。

 アダーはウィルミーダに絡みつく力を弱めることなく、尾の付け根に力を込めます。ウィルミーダをぐいんぐいんと振り回し始めました。

 ウィルミーダからはなんの抵抗も返ってきません。るした洗濯物みたいにぶんぶん振りまわされています。ウィルミーダの手足に意思が通っていないのはあきらかです。

 ヘクトアダーは抵抗がないとわかるや、自分の体を大きくねじりました。ドオンと地面を響かせてウィルミーダの全身を倒してしまいます。

 きれいに回転してウィルミーダはあっけなく横倒しになりました。

 翼が、地面の岩を砕いてめりこみました。

 トキトからはよく見えませんでしたが、倒されても、ウィルミーダの硬い体は折れたり曲がったりすることもなく無傷といっていい状態でした。

 ヘクトアダーの目が意地悪くゆがみます。

 わざと、トキトのほうに向けてウィルミーダを引き倒したのです。

 つぶされる前に、トキトは大きく八歩跳んで、下がりました。

「しめた。バノ、アスミチ、いい知らせだ。ウィルミーダの体が地面に倒れたぜ」

 とハートタマを中継して、トキトは仲間たちに知らせます。

「これで二人が操縦席に上がりやすくなっただろ」

 ――さて、あとは、食べられないように逃げるだけだ。

 ヘクトアダーの巨大な頭が、うなりを立てて空から襲いかかってきました。

 毒は出ていません。

 おそらくトキトを一呑ひとのみにしてしまうつもりなのでしょう。

 巨体ゆえに緩慢かんまんに見える動きも、目の前で見ると、ものすごい速さと勢いを持っています。

 トキトは必死で跳んで、攻撃をかわすことができました。

 ――このまま後ろに走って逃げたらダメだ。バノとアスミチの方向と逆に回り込んでからじゃねえと。

 トキトは自分の使命を、おとりだと心得ています。バノとアスミチがミッケンの解毒をするための時間をかせぐのです。

 トキトは素早い動きでウィルミーダの体のかげにもぐりこみました。

 ヘクトアダーがしきりに舌を出し入れしています。頭を大回りに移動させてきました。ウィルミーダのまわりをぐるりとめぐらせてトキトを見つけようとします。

 アダーの視界に、見えてきました。さきほどの小さな獲物、トキトが、自分をにらみつけて手に棒を構えています。

 さっきやっつけてやった機械の隙間すきまに入りこんでいます。

 それでもアダーは開いた口をトキトに近づけてゆきます。

 アダーの頭部はドンに殴られたときに歪み、口の中にはトキトが突きした金属棒が鈍く光っています。

 ――毒のブレス、出てないよな?

 あくまで毒で殺すのではなく、んでやろうという動きです。

 トキトは首のあたりの髪のぎわがぞくぞくするのを感じました。

「お前、しゃべらないけど、頭悪くないよな。もししゃべれたら、俺と戦いの知恵くらべした感想を聞きたいぜ」

 トキトはウィルミーダの陰から横っ飛びに飛び出しました。

 そのトキトの消えた空間に、恐ろしい速さでアダーの顔と別の方向から、攻撃がきました。鋭い穂先ほさきが突きこまれてきたのです。

 ヘクトアダーの尻尾です。

 ミッケンと戦うときと逆の動きでした。さきほどは、尻尾で戦いながら毒のブレスを吐くという知恵を見せたヘクトアダーでした。今度は、一度トキトに口の攻撃をすると見せて、尻尾で突いてきました。

 ヘクトアダーは、知恵を使い、尻尾と頭とで自在に攻撃することができるようでした。まるで二体のモンスターのコンビネーションです。

 茂みに飛び込んだトキトは、もうアダーの頭からも尻尾からも防御するすべを持ちません。走って、湖の反対側に向かうのみです。

 ――時間をかせいで、走って、少しでも遠くに行って、そして……。

 ――そして? ヘクトアダーからあとどれだけ逃げられる?

 ――逃げ切れなかったそのときは?

 トキトの意識の中で考えがぐちゃぐちゃになりました。

 ――そんな先のことなんか、わかんねえや!

 体を動かします。

 トキトはなるべく太い樹木を選んで回り込み、ヘクトアダーの追撃を妨害ぼうがいする進路を取りました。

 ヘクトアダーは二度、首を伸ばす動作でトキトをとらえようとして、逃げられました。

 ほんのちょっとの差で尻尾をかわされ、食らいつきをかわされ、怒りがわいてきたものと見えます。

 ずるる、ずざざと、全身をうねらせて方向転換をして、トキトの逃げた森の中を追いかけます。


 トキトの脳内に響く声があります。

「トキト、またべつの魔法を授ける。攻撃ではないが、君が生き延びるのに有効だ。君ならやれるな?」

 バノの声が思念で届いたのでした。

「ああ。俺はやれる!」

 力強くトキトは答えました。

「いい返事だ。こっちはウィルミーダの操縦席に到達した。君に魔法を教え次第、ミッケンの解毒げどくを始める。だから、サポートできる時間はわずかだ。悪いな」

「バノ、こうして今、声をかけてくれるだけで、俺、けっこううれしいんだぜ?」

 トキトはたまにまっすぐ過ぎるのです。バノはトキトから見えない場所で、耳を赤くしました。

「そ、そうか。じゃあ、さっきの君の髪を刺激物しげきぶつに変えたのに似た魔法を……」

 トキトはもう今は結論づけています。自分が長くは逃げることはできないとわかっていました。

 バノの魔法とはなんだろう、と思いつつ、体は反射的に動いて、アダーの頭と尻尾が迫るたびに樹木を利用してぎりぎり避けて走っています。

 ――あと一分くらい、逃げられるかな。

 絶望的な時間しか、残っていませんでした。


 ヘクトアダーが獲物を追いかける恐ろしい音を間近に聞きながら、バノとアスミチはウィルミーダまで到達しました。

 二人は倒れたウィルミーダの胴体によじ登ってゆきます。木の枝やツタが手がかり足がかりに役立ちました。

 ウィルミーダの操縦席は、地球の乗り物の操縦席によく似ていました。さまざまなインジケーター、ランプ、ボタン、スイッチが所せましと配置されています。アスミチは、なんとなく飛行機や船舶せんぱくの機械に似ているなと感じる程度でしたが、持ち前の観察眼で二つのことに気づきました。

「バノ、座席が二つあるね。パイロットは一人だけれど」

 二人は慎重にハッチから身を乗り出しながら会話します。

「ああ、メルヴァトールは全機体が複座になっている。一人で操縦できるし砲手もいらないのにも関わらず。きっと理由があるのだろうな」

「今はバノにもわからないんだね。あと、ピッチュがいる」

「植物型ピッチュのボリハナだ。しゃべることはないが素直な子だよ」

 ピッチュは大きさはハートタマと同じくらいです。アスミチやカヒが両腕でしっかり抱えることができるほどでした。しかし、見た目はかなり違っていて、クリーム色を基調とした大きな花弁に包まれた花と、それを萼≪がく≫または葉がやさしく包んだような姿をしていました。

 明らかに弱っていますが、かすかに動いているので生きています。

 バノが、操縦席にすべるように入りこみ、ミッケンの上に身をかがめて様子を見ます。

 服装はラバー生地のようにも見ます。この世界の全体に漂うファンタジー感とは違っていて、素材もデザインも、地球の服に近い感じでした。ライダースーツや、軍隊の戦闘機パイロットの服が近いでしょうか。

 バノが手のひらから青白い光を放っています。

 ミッケンは、声の印象のとおりの小柄な少年でした。

 アスミチより少し体は大きいでしょうが、ぱっと見たところ、慎重も年齢もトキトと同じくらいに見えます。

 明るい赤みのかかったやわらかそうな髪を乗せた頭が、力なく垂れています。

 眠っているのか、死んでしまったのか。

 パイロットのミッケンは、全身の筋肉を弛緩しかんさせて、目を閉じています。唇は紫色でした。口のはしから泡を吹いています。

 顔色は真っ白です。

 ひと目見ただけでひどい状態だとわかります。意識があったとしてもしゃべったりはできないでしょう。

 バノが静かに宣言しました。

「アスミチ、今、空気中の毒を分解している。さらにミッケンの肺や血管に入り込んだ毒も分解していく。君も私と同じ作業をしてくれ」

 薄暗いパイロットキャビンの空間を照らすのは、コンソールで点滅するランプ類と焦燥しょうそうしたバノの手から放たれる魔法の光だけでした。

「わかった。君のまねをしてやってみるよ、バノ」

 バノが魔法の光をミッケンに顔付近から喉、そして胸にかけて照射しています。アスミチもバノの反対側から、同じように呪文を唱えて、魔法の光を手から放ちます。

 そこでふと、アスミチは疑問を覚えました。

 今、ミッケンに魔法をかけていることがおかしいことだと感じています。


 ――あれ? 魔法を他人にかけられるのは、強い力を持つ魔法使いだけだってバノが言っていたけれど。


 ――今、ミッケンの体にバノだけじゃなく、ぼくも魔法をかけている。同意も取らずに。


 ――と、いうことは、ミッケンはもう……。


 恐ろしい事実の可能性に突き当たってしまったアスミチは、思わず手を引っこめそうになります

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