第14話 「もうひとつの地球」に私たちはいる

 月にウサギのもようが見えるなんて、当たり前のことを言っているはずでした。ところが、この場では違和感いわかんに満ちています。

 月の表面に見える黒い部分は「海」と呼ばれます。

 しばらく誰もしゃべりませんでした。

 ベルサームを逃げ出してきたときには、月は見えませんでした。だから「もし月や星座が見えればここが地球かどうかわかる」という意味のことをウインはみんなに言いました。

 はじめに口を開いたのはアスミチで、あまり関係のないことを言い始めます。たぶん、沈黙にたえられなかったのでしょう。

「月の海は水があるわけじゃないんだ。暗く見えるところを海という名前で読んでいるだけなんだよ。その模様は地域によって、ウサギの形に見たり、カニに見たり、いろいろになぞらえて見るんだよ……」

 アスミチがいつものように知識をみんなに伝えてきました。すごく違和感を覚えることだとウインは感じます。

「だって、ここは異世界なのに……」

 小さいつぶやきだったので、すぐ近くにいるほかの仲間たちにも、ウインの声は届いたかどうかわかりません。

 けれど、全員が同じことを考えていたのでしょう。

 仲間たちは月の海の形に注目してじっと見つめます。

「カヒとアスミチの言う通りだ。俺にも見えるぜ。ウサギの模様」

 と言うトキトに続いて、パルミが言います。

「おりょーん? あたしにもウサぴょん見えるんですけど……」

 ウインはすすり上げました。

 ――あれ? うそ、私、いてる。

 なみだが目からあふれています。鼻腔びくうの奥にまで熱くじわっとつたってきています。

 ――泣いたおぼえ、ないのに。

 あわててそでで涙をぬぐうウインでいsた。

 さいわい、月はすぐには雲にかくれず、彼らの目にとどまっていてくれます。けれど、雲の勢いは強いようで、まもなく全天を真っ黒におおってしまうことでしょう。

 みんな、しばらくの間、なにも言わずに空を見上げていました。

「ねえ、ウインちゃん。どういうことだと思う?」

 パルミにそう聞かれたとき、ウインは涙を引っこめるのに成功していました。

 おかしい、と考えています。今のこの厳しいサバイバル生活が、夢だったみたいな気持ちがき出ています。

 ――今、私たちは地球で、異世界の空想をしながら月を見上げているんだったっけ?

 一瞬、そんな錯覚さっかくをしそうになるウインでした。

 けれど、事実だけを考えるべきでした。

 いつものウインに戻って、パルミに答え、みんなに語りかけます。

「わかんない……でも、あの月は私たちの生まれた地球の月と同じに見える……よね……?」

 みんなはどう? と言いたい気持ちが伝わったのでしょうか。

 ウインが仲間たちの顔を見回すと、どの顔も不可解ふかかいそうな色が浮かんでいます。

 けれど、少し期待があふれてきているような、そんな顔だとウインは感じています。

 ――だって、月があるんだったら。

 ―――ここは、地球かもしれないんだ。

 もし地球だったら、どこかに自分たちの故郷の国が、家があるのかもしれない。

 そういう想像が、胸の中をよぎるのを止められません。

 自分の涙の理由が見つかった気がしました。

 月が地球と同じに見えることの受け止め方はさまざまでした。けれど、ウインの想像ではたぶん、心の底では同じ気持ちでいるのに違いありません。

 パルミがごく当たり前の、素朴そぼくな疑問を投げかけました。

「え、月って異世界でも同じに見えるものなん? そうじゃないならさ……」

 同じに見えるはずがありません。パルミもわかっているのです。けれど、たしかめずにはいられなかったのに違いありません。

 ウインは空想を頭から追い払いながら、答えます。

「パルミ、ウサギのいる月は地球にしかないから! 地球の月がほかの惑星から見えることはないからね」

 ――事実だけ、答えられたよね?

 ウインは自問自答しました。

 パルミの疑問は深まるばかりのようです。

 それはそうでしょう。ウインにもわけがわかりません。

 宇宙や天体のことならウインよりきっと知識の豊富なアスミチが、今はもう何もしゃべりません。くちびるを指ではさんで難しい顔をしています。

「え、じゃあ月が見えるのおかしくね? 異世界なのに」

 パルミが代表して言葉にして表しました。

  風が吹いているはずでした。けれどその音も、耳に入ってくることはありません。 静けさの中、自分の胸の中の数拍すうはくの心臓の鼓動こどうが聞こえるような、そんな時間が過ぎました。

 自信なさげな、でもはっきりと断定する口調で、アスミチが切り出します。

「地球だ……」

 おどろきの気持ちでカヒが

「え?」

 と声を上げました。

 アスミチの言葉は断定的だんていてきでした、そうでありながらも、確証かくしょうにはいたらない気持ちが声に表れています。それでも彼は続けました。

「たぶん、ここは地球なんだと思う」

 ――アスミチ、それだと、たくさん説明できない事実が残るよ。

 ウインは心の中でつぶやきます。

 パルミが、ジョークっぽい軽い口調でアスミチに指摘します。

「アスっち、異世界設定忘れてね?」

 異世界だったはずでした、五人がいるこの場所は。

 またしても、しばしの沈黙ちんもくが空間を満たしました。

 今度はトキトが自分なりにの考えを持ち出します。

「おっ、もしかして」

 トキトに、四人が期待して注目します。

 たまにするどいことを言う彼は、今回も切れ味のいい指摘をするのでした。

「あれか、ここは並行へいこう宇宙ってやつか?」

「並行宇宙。そうだね、なにか過去の時点でちがったことが起こった別の地球。そう考えることもできるね」

 ウインが説明を加えました。読書家のウインの説明に、みんな聞き耳を立てました。

「だから地球の月もある。地球と同じ人間がいる。お話のなかでは、そういうのを私も知ってる」

 ウインは自分自身の心の中でも、この説明をしっかり受け止めました。もしかしたら、それが正解かもしれないと思えたのです。

 パルミはおどろきの声をあげます。

「並行宇宙? トキトっちが急にかしこくなった? なんでそんな難しい言葉を言い出すわけ?」

「あ、そこに驚いたんだね」

 アスミチはあきれた声で返しました。

 トキトは「賢くなった」と言われても少しも気にならなかったらしく、ただ肩をすくめて答えます。

「いや、俺もアニメとかでちょっと聞きかじっただけだし」

 パルミがほっと息をつきます。

「なんだアニメのことか。心の底からほっとしたー」

 わりと失礼な言い方なのですが、彼らの中ではふつうのことでした。

 パルミは男子を相手にツンケンした言葉を言うことがある子です。でもトキトには、「ネコが強めにじゃれるようだ」と、ウインなどは感じています。そばにいるとたまにハラハラする強い言い回しをすることもあるのですが。

 ウインは考えています。トキトの言葉に刺激しげきを受けたからです。

 今まで彼女はたくさんの本を読み、物語の世界を楽しく旅してきました。

 本の世界の中には、トキトやアスミチの言うように、並行世界というのもありました。

 地球だけれど、なにかが少し違っている地球。

 あるいは、自分たちのいた地球に誰かがなにかの手を加えて、まったく違う地球になってしまった未来の世界、それから――

 ウインは、かぶりを振ります。

 ――月が同じ、けど、地球だとは言い切れない。私たちが暮らしていた世界と違うのは、もう知ってる。

 ――魔法がある。巨大ロボットがある。知らない民族と国、エルフもいて、知らない生物もいる。

 つとめて冷静に、ウインは言葉をつむぎだします。

「そうだね。アスミチとトキトの言うことが正しい……ような気がする。ここは地球だけど、私たちのいた地球とは違う。もうひとつの地球かもしれない」

 と。そしてさらに言葉をつぎ足そうとする彼女は、迷いを持っていました。

 このかまどみたいに小さく燃え上がった希望の火に、生まれたそばから水をかけるようなことを言おうとしている。そのことはウインの胸をめ上げました。

 ――けれど、たぶん、正しく考えなくちゃだめだ。ここには自分たちしかいない。

 ――親も、先生もいない。誰も助けてくれない。甘く考えて間違ったら、そのまま、おしまいかもしれないんだ。

「地球かもしれない。だけど、私たちの故郷もない。家もない。家族も住んでいない地球。だと思う……」

 悲しい事実。冷たい事実。

 ウインはそれをたいせつな四人の仲間に伝えることにしたのです。

「おい、みんな、今、月にへんな光が……」

 トキトの声がみんなの視線をもう一度月に向けました。

 ほとんど雲にかくれそうになっていて、見えたのは一瞬だけでした。

 けれど、トキトを含む五人にはっきりと見えました。

 カヒが言います。

「月に光の輪っかが見えた……よね?」

 ウインが答えます。

「うん。私にも見えたよ。時計の文字盤みたいに光の点が輪になってた」

 みんな同意する思いでした。丸い月に小さいけれどまぶしい光の点がきらきらと明滅したのです。

 アスミチも激しくうなずきました。

「そうだよ。月面に人間の作った基地? あんなの自然の光のはずがない」

 つづいてパルミが独特どくとくなたとえをしました。

「スイカの種みたいに並んでたにゃあ。きらっきらのダイアモンド・リングを月に作った人がいたんかねえ、こっちの世界には」

 トキトがパルミにちょっと真面目に受け取った答えを返します。

「パルミ。俺たちの地球でも、まだ月面基地なんて作ってないぜ。それを十個以上、あんな輪っかになるように作ったとすると、こっちの世界はもしかしてすげーことになってんじゃねえの?」

「トキトっち、あたしもそんなくわしいこと、わかんないよ。でも人が作ったに決まってるっしょ、あんなの自然にできないよ」

 ウインは念のため、アスミチに聞いてみることにします。

「ねえアスミチ。気象現象なんかで、月にハローがかかったりすること、あるよね……?」

「うん。そういうの、あるよね。でもハローって、月あかりが屈折して見える現象でしょ? 今の光はそんなのじゃない、と思う……」

 カヒが、ウインとアスミチの顔を交互に見ました。

「それじゃさっきの光は、人工の光ってことだよね? ゲートを開く秘宝なんていうのがあるんだもん、月を光らせる魔法の力も、あるのかな」

 パルミが「それだ」と言い、

「カヒっち、目のつけどころがえてるね! カロリーツクールだっけ、あんなのが作れるなら月くらい行けたんじゃね、昔の人は」

 ウインもそう言われるとそんな気がしてきました。

「秘宝の名前はカロカツクーウだけどね。大昔から伝わる秘宝って話だったから、そのころの人たちは月に行って基地を作ったりしたのかな」

 カヒがふとこんなことをウインにたずねてきました。

「ウイン。あの光って、わたしたちに関係あると思う? わたしたちが地球に帰るのになにかのつながりが……」

 パルミが笑って

「いやあ、月に行くんじゃなくて、地球に行きたいんっしょ、あたしらは」

 と言いましたが、ウインにはカヒの言葉がどこか心に引っかかる気がしています。

「カヒ、不思議なことを言ったよね。パルミが言うように月に私たちは行こうとなんてしていない。でも、私も、なんだかさっきの光を忘れてはいけない気がしている……なぜかは、説明できないんだけど」

 アスミチがこんなふうに言いました。

「ぼく、今の光のこと、カヒやウインが思ったことも、ノートに書きめておくよ。いつかなにかわかるかもしれないでしょ」

 トキトがアスミチの頭をぐにぐにと手のひらでなでくりまわしました。

「おう、助かるぜ、アスミチ。記録とか観察って大事だよな」

「うわあ、髪の毛ぐしゃぐしゃになる! トキトが、そう言ってくれると、うれしいよ。ぼくなんかが役に立てることがあるかもしれないなら、さ」

 もうすっかり雲が空をおおってしまっています。

 パルミのこんな言葉で、この話は終わりになりました。

「ありゃりゃーん。月も、うさぴょんも、真っ黒の中に入っちゃったにゃん。次はまた晴れているときに見るしかないねえ」

 しかし、そのあと何日過ぎても、あの不思議な光は見ることはできませんでした。

 けれども五人はときおり「たしかにあのとき、光を見た」と話し合うことがありました。気のせいとか、夢じゃなかったのかとか思いそうになることもありました。そんなときアスミチのノートを開くと、自信が持てました。


 ――この「もうひとつの地球」は、わからないことだらけだってことだね。


 ウインは心にとどめておくことにしました。

 

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