第60話 白銀

 ハートタマが声の中継役を買って出ます。

「カヒよ、ドンの声がしたんだな? オイラが声をみんなに伝えようか?」

 しかしカヒが首をふりました。

「いちばん怖いのはヘクトアダーだもん。ハートタマ、ごめんね、そっちを気にしていて」

 自分が橋渡し役になることを決め、ドンの声をそのまま伝えることにしました。

「ドンが、みんなに大丈夫なのって聞いてきてる。うん、全員、大丈夫だよ。ドンは動けそう?」

 カヒへのドンの返答も、そのまま口にします。

「ドンは言ってるよ……ごめんね、今は動けない、ちょっと悔しい、だけどあきらめはしないって」

 カヒが仲間たちに伝えた言葉で、ドンが一人で再び動けるように頑張っていることがわかりました。

 突然、ハートタマが観念したような声をもらしました。

「ああ。ダメだな、こりゃあ……もうヤツが来ちまった……」

 その言葉とほぼ同時に、ゴロゴロと地響きが背後から聞こえてきます。

 ヘクトアダーが、岩山を乗り越えてきたのでした。魔法で築いたバリケードは、体に絡みついたツルや枝葉とともに引きずられています。

 子どもたちはお腹の下がぎゅっと冷えるのを感じました。

「なんとか走りきって、せめて、ドンの体の影に入ろう」

 とトキトは今できることを仲間に伝えます。

 ウインもすぐに同意しました。

「そうだね。ドンを恐れて近づかないかもしれないから」

 さっきしたたかに殴られたヘクトアダーが、再びドンの巨体を警戒する可能性に、あわい期待を込めた言葉でした。

 カヒはドンの声を耳にし、仲間たちに伝えます。

「ドンが、早く来てって言ってるからね、みんな」

 カヒの心には、トキトやウインなら、みんなをはげます言葉をもっと上手に伝えられるのではないか、という思いがありました。それでも、今できる限りの努力をしています。

 バキバキ、ガラガラというヘクトアダーの近づく音が、しだいに大きくなってきます。逃げ切ることはできそうにありません。

 ウインは息を切らせて走りながら、思います。


 ――こんなにがんばったのに、死ぬまでの時間をほんの少し引き伸ばしただけなの?


 怒りと絶望と、ないまぜになった感情が心にうずを巻いています。

 絶体絶命でした。

 ドンキー・タンディリーは今度こそ動けそうもありません。湖から少し移動した位置でうつ伏せになっています。ドンの体の表面から流れた水が地面を黒く染めています。

 全員の心に押し寄せるの感情の波。

 そのとき、場面は思いがけない転換をむかえました。


「なあ、おい……どうなったんだ、こりゃあ」

 ハートタマのあきれるような声が聞こえました。

 さっきまでの緊張感が抜け落ちた、あっけにとられたような口調です。

 なにかが起こっていました。

 ヘクトアダーの巨体が動きを止めました。あれほど猛然と追いかけてきた亜竜が、首をすくませて静止しています。

 アスミチがバノに言います。

「ヘクトアダーが前進をやめた……追いかけるのを急にやめたの?」

 たしかにそのように見えました。

「いや、戦闘態勢だ。あの位置で、姿勢をととのえている」

 バノの答えたとおりの動きでした。

 硬質こうしつうろこにおおわれた長い胴体が、みるみるうちに太く短く縮んでいきます。

 体の前半分をぐるりと曲げました。

「ぎゃぼ、輪ゴムをぐにってひねったみたい!」

 パルミが思ったことをそのまま言いました。

 ヘクトアダーはそのまま鎌首かまくびをもたげ、自分の体をぐるりと巻き始めます。

 ヘビの長い体は一度にすべての部位が移動するのではなく、何箇所なんかしょかに分けて動くのだと、トキト以外の子どもたちは初めて知りました。

「うわばみめ、とぐろを巻きやがったぜ」

 トキトが低くつぶやきました。

 ヘクトアダーがとぐろを巻いて、戦闘態勢を整えました。その巨大な姿は、岩の多い大地にくっきりと浮かび上がっています。

「うひゃあ、でっかいとぐろだー! でもなんであそこで戦闘態勢? あたしたちもドンちーも、もちっと先にいんのに」

 パルミの言葉に、全員の視線が再びヘクトアダーに集中します。

 長い首をゆっくりと持ち上げるヘクトアダー。その鱗は陽光にきらめき、れたような光沢こうたくを放っていました。

「パルミの言う通り。別の脅威を警戒して、ヘクトアダーは体勢をととのえたのだ」

 バノが短く指摘します。

 仲間たちの胸に、新たな疑念が生まれました。

 ――一体、何が来るというのだろう?

 六人の子どもたちとハートタマの立つ場所が、黒い影に覆われます。太陽の光がさえぎられ、さっきまで肌に感じていた熱がすっと弱まりました。

 子どもたちは、この変化に一瞬、地球の夏を思い出しました。夏空に浮かぶ厚い雲が太陽を隠し、一瞬だけ涼しさを感じたあのひとときを――。

 しかし、今回は違いました。雲ではなく、巨大な機械の影だったのです。

 カヒが目を見開いて声を上げました。

「えっ、後ろ? じゃなくて前? 上? え、え、空?」

 その言葉に全員が反応し、ヘクトアダーの方向に向けていた視線を空に転じます。

 そこにいたのは、金属の巨人でした。

 子どもたちの行く手に浮かび上がったのは、人型の機械――白銀の装甲板に覆われた巨大なロボットでした。地上の全員をすっぽりと覆い隠す大きさの影を作りながら、空にゆうゆうと浮かんでいます。

 最初に声を上げたのはアスミチでした。

「巨大ロボット――ドンキー・タンディリーとほぼ同じサイズの、巨人の姿のロボットだ――」

 その巨体は、目を疑うような大きさと洗練されたデザインを持っていました。背中には鳥か天使を思わせる大きな翼がついており、なめらかな曲線が白と銀の装甲に美しい陰影を描いています。

 その姿にウインは心の中でつぶやきました。

 ――天使の降臨こうりんみたい。

 古い宗教画で見た天使の姿を思い出すそのフォルム。羽ばたくことなく、ゆっくりと地上に降りてくる様子が、まるで神話の一場面のようです。

 体のどの部位も、ほとんど動かしていません。しいていうなら、オーケストラの指揮者しきしゃのように開いた両腕をほんの少し持ち上げ気味にしています。

 バノが声を張り上げました。


「もう来たのか、メルヴァトール!」


 その名を聞いた仲間たちは、巨大なマシンの正体を悟ります。


 ――超兵器メルヴァトール。


 バノが以前語ってくれたドラゴンすら殺せると言われる機械が、目の前に現れたのです。

 トキトはバノの声にぎょっとして振り返りました。耳元すぐ近くで「メルヴァトール!」と叫ばれたのです。まるで背中に誰かが張りついているような感覚――それは正解でした。

「トキト、私が隠れる人間として君が最適だ」

 バノはトキトと姿勢まで完全に一致させています。台紙にったシールみたいでした。

「そ、そういえば、バノはメルヴァトールに見つかったらダメなんだったっけ」

 トキトが言うと、アスミチが補足します。

「バノはラダパスホルンから逃げてきたんだったね。メルヴァトールはラダパスホルンの機械だ」

 その説明で仲間たちは、バノの奇行の理由を理解しました。しかし、トキトにとってこの状況に慣れるのは難しそうでした。

 彼らが見上げるメルヴァトールは、太陽を背負いながらその巨体を浮かび上がらせていました。

 以前バノが語った通り、その姿はドンキー・タンディリーのような実用的なゴツゴツしたフォルムとは一線を画しています。

 むしろ、美術館にある彫像や塑像のような美しいデザインを持ち、神聖さすら感じさせます。

「ストップだ、みんな。いったん止まれ」

 トキトの指示で、全員が足を止めます。これ以上進めば、メルヴァトールの足元に到達してしまうからです。

 全員が状況を飲みこみ、次の行動を考えるため頭をフル回転させます。

 トキトは、暗い声で仲間たちに言いました。

「あれが、メルヴァトール……ってことは、人間が乗っているんだな」

 その言葉にウインも警戒の色を浮かべます。

「バノちゃんの話では、あっちのほうがヘクトアダーより危険……なんじゃなかった?」

「はさみ撃ちってこと? 激ヤバくんじゃん……」

 パルミが恐れの色を隠せない声で言います。

 しかし、カヒだけは違和感を感じ取っていました。

「でも、バノはうれしそうな声だったよね?」

 トキトが暗い声で言います。

「あれが、メルヴァトール……ってことは、人間が乗っているんだな」

 警戒しているのでした。つづくウインの声もいぶかしげです。

「バノちゃんの話では、あっちのほうがヘクトアダーより危険……なんじゃなかった?」

 トキトとウインを警戒させているのは、まさにバノの言葉でした。いちばんの危険がメルヴァトールであると言われていたのです。

 アスミチが質問をぶつけます。

「どうなの、バノ?」

 バノの声は落ち着いていました。

「ううむ、おそらく今の時点では、吉というところだ」

 バノは目だけをちらっちらっとトキトの耳のあたりから出してしゃべっています。

「ヘクトアダーの処理はメルヴァトールに任せよう。だが、来たのがウィルミーダか……パイロットが誰なのか、推測ができんな」

 バノの奇行が続いています。まだトキトの後ろにくっついているのでトキトの影みたいになっているのです。手足の位置や動きまで完全に一緒です。

「ぶっ……バノっちの動き……っ」

 笑っている場合ではないのはわかっているのですが、パルミが吹き出しました。無理もないことでした。

 バノの口調は少しも変わることなく冷静なままで、

「あの機体の名は、私が復活させた十体のメルヴァトールのうちの第一号機、ウィルミーダだ」

 むずむずするトキトに気づかず、解説を続けます。

「優雅で敏捷性に富み、空中での機動力は随一ずいいち、誰が操縦してもよく動く。パイロットたちにいちばん信頼されている機体ゆえに、今の操縦者が誰なのかを、絞りこむことができない」

 バノはウィルミーダに目を凝らしています。

「それ次第で、こちらの運命も変わるかもしれない。今の操縦者が柔軟な思考のできる者だと助かるが……」

 その一言が彼らにとっての希望であり、同時に未知への不安をもあらわにしました。

 バノは微塵みじんも疑っていません。メルヴァトールはヘクトアダーを「処理」してしまうであろうことを。そのことは仲間たちの危険をひとまず遠ざけてくれることでした。

 けれども、もしかしたらそれは、ヘクトアダーの危険をより大きな脅威にすげ替えたに過ぎないのかもしれないのでした。

 亜竜を殺せるメルヴァトールが、敵になったら?

 運命を左右するのは、ウィルミーダの内部で操縦席に座る人物の意志です。

 その人物が今、メルヴァトールの中からヘクトアダーと、彼ら六人の仲間たちを見つめているのでした。

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