第59話 「俺たちが、向かう先だ」

 トキトがみんなに向けて宣言します。

「バノの解説をあとで聞くためにも、逃げて生きのびるぞ」

 真後ろから聞こえたトキトの勇ましい声に、ウインが合いの手を入れました。

「そうだね。助けてくれたドンに報いるためにも!」

 カヒがそうだよね、と明るく言いました。

「ヘクトアダーから逃げられたら、また戻ってきてドンキー・タンディリーに合流するよね?」

 年上組が口々に「もちろん」と答えます。

 センパイの野営地を通り過ぎるとき、ふたたび引きこもりたいと誰もが誘惑にかられました。それをぐっとこらえ、通り過ぎて、岩山の向こうを目指します。

 ただ、おかしな感じがしました。

 さきほど、たしかにヘクトアダーが追ってきた気配がたしかにあったのです。

 しかし、今は、不気味なまでに静かです。

 ヘクトアダーが姿を見せない。

 そのことがかえって不安を増幅させました。

 緊迫きんぱくした空気の中、カヒが不安を口にしました。

「追いかけてきてるのに……なんでまだ出てこないのかな」

 言ってからカヒは、「出てこないほうがいいんだけど」と小さな声でつけ加えました。

 トキトは眉間みけんにしわを寄せています。

「ヤツの姿が見えない理由は、俺にもわかんねえ……」

 ハートタマにもヘクトアダーの気配はよくわからないようです。湖での状況に似ていました。

 そうこうするうち、一行は尾根おねを越えました。

 森の側から脱して、北側に出ることができたのです。道のりの半分といったところです。

 とたんに展望が開けます。バノが言いました。

「小さなオアシスの森が、このさきで途切れている。向こうは、ダッハ荒野の広い大地だ」

 森の濃い緑色の先につづく景色が、目に飛び込んできたのです。

 高いところから見下ろす形になりました。

 視界の下半分は、手前が森。向こうがわは、果てしなく続く荒野の大地です。赤色と茶色と白色の中間のような、砂っぽい地面が広がります。

 アスミチが言いました。

「これが、ダッハ荒野……ずっと北にドワーフがいて、地球に帰るための道具ダロダツデーニがあるという……」

 カヒも「うん」と言ってから、

「ヘクトアダーをやりすごす、赤い土地」

 どこまでも続くように思える広がりが子どもたちの目の前に迫ってきます。

 太陽を背にしているので、岩山の影が、くろぐろと大地に落ちています。

 視界いっぱいに弧を描く荒野は、なにもないにも関わらず、子どもたちに強い強い圧力をかけてきているかのようです。

 ばくとした空虚くうきょな世界。

 それが、仲間たちがこれから旅立とうとしている荒野でした。

 ウインの心に強い風が吹き抜けていき、口をついて言葉が出ます。

「もう一つの地球、これが」

 それを受けて、トキトが旅への気持ちを言葉にします。

「赤っぽいダッハ荒野。俺たちが、向かう先だ」

 このとき、バノの警告が雰囲気を一変させました。

「しまった……逃げられない」

 景色への感慨もそこそこに、仲間たち全員の体も一瞬でこわばります。

 ウインがすぐに反応します。

「逃げられないって、ヘクトアダー? いるの? 近くに?」

 仲間たちは振り向いたり、横を見たりしますが、バノが気づいたヘクトアダーのいる手がかりを見つけられません。

「そうだよ。荒野に逃げ出せると思って直進したのだが……ヤツに読まれていたようだ」

 バノはパルミたちを追い越し、パーティーの先頭に出ました。

 前を見すえて両脚を開き、立ち止まります。

 逃げられない理由が、まもなく仲間たちにもわかってきました。

 後ろから追いつかれるのではなかったのです。前方に、危険が待ち構えているのです。

 岩山から続く眼下の森が、ゆれています。

 風とは異なる不自然なゆれでした。

 疑いようもなく、それは、彼らをねらう巨大なモンスターの動きのしるしなのでした。

 パルミの声にも緊張がこもっていました。

「いる! ヘクトアダーが前にいるじゃん!」

 トキトもバノに続いて前に出てきました。

「岩山に登らずに反対側に抜けていたのか」

 アスミチがバノとトキトに言います。

「ぼくたちの先にぐるっと回りこんだっていうこと?」

「そういうことだろう。我々を荒野に逃がしたくないわけだからな」

 アスミチが次に言ったことが、みんなの思ったことでした。バノの言葉とほとんど同じその台詞は、

「どうするの……逃げ場がない!」

 大きな危機を全員が共有していました。

 彼らはヘクトアダーから遠ざかろうと、北へ向かっていたのです。しかし、今や、逃げ道だったはずの場所にアダーが陣取っています。

 パルミがハートタマに尋ねました。

「ドンはまだ起き上がれないの? ハートタマ、ドンは……」

 ハートタマの返答は彼らの絶望感を増すだけのものでした。

「なにも言ってこねえ。まだ無理だろうな……」

 カヒが口を開きます。

「でも、わたしたちは、ドンのところまで戻るしかないよ」

「そうだよね。引き返そう」

 ウインもカヒの意見に同意しました。

「だな。ドンに合流して、そこでるしかねえな」

 全員がうなずきました。

 ドンのいる湖畔に引き返す。そう決まりました。

 バノがとりまとめて言いました。

「ヘクトアダーは北の森からこちらに登ってくる。少しでもアダーを足止めしよう。アスミチ、私に続いて詠唱えいしょうしてほしい。岩と生きた樹木の頑丈がんじょうなバリケードを作ろうと思う」

「わかったよ。バノ。時間稼ぎをするんでしょ」

「そうだ。悪いがほかの子たちに先に行かせて、残ってもらいたい」

「いいよ。やらせて」

 アスミチに、先ほど腹の底から立ち上った熱い塊が再び燃え始めます。

 立ち向かうべく二人は立ち上がり、力強い声で呪文を唱えはじめました。

幾星霜いくせいそういわおもさざれ石もつどえ。うず高く積もれるいとなり天をふさげ、れきよ岩よ」

 バノが暗唱すると、アスミチも完璧にその詠唱えいしょうをくり返しました。

「私たちの魔法程度は突破されるとわかっているが……やるしかない」

 とバノは、となえ終えた後に深くため息をつくのでした。

「そうだね、わかるよ」

 とアスミチは共感を示します。

 石や岩が集まって壁を作りました。つづけてバノは植物を集めて石壁にまとわりつかせていきます。アスミチがぴったりとあとから真似をして補強をしていきます。

 仲間たちは、すでに湖のある南側に退避を始めています。

 アスミチは自分の心の変化に興味を覚えていました。

 ――これは、楽しさ……かな?

 アスミチは知らず、自分の胸に拳をあてていました。

 こんな危険な状況にありながら楽しさを感じている自分に、おどろいています。

 カヒと同じ九歳、体の大きさも仲間の中では小さいのです。年少組のアスミチは、どうしても年上に守られる立場になることが多くなります。

 けれど、今は、自分がみんなを助けている。みんなを自分の力で守っている。

 心臓のあたりをじんわりと暖かくしてくれるなにかが、ありました。

 そしてこの頃から、アスミチは、自分の心の中に芽生えたものを自覚していくことになります。

 たくさんのことを教えてくれ、自分を導いてくれる、今となりに立っている謎の多い少女。彼女に、彼は尊敬の気持ちを抱いていたのです。

 ――バノに、もっといろんなことを教えてほしいな。もしも、生き延びることができたなら。

 さっき芽生えた気持ちが強くしっかりと自分の中に根ざしたのがわかりました。

 二人の魔法によって城の石垣のようなものができてきました。小石と大石の集まりは、地面から積み重なって組み上がり、岩の壁になり、そそり立ちます。

 続いた魔法によって、緑の補強材がその上にかぶさります。岩山と森の植物が壁の表面に茂ってゆきました。

 バノとアスミチによって、防壁が完成したのがぎりぎりのタイミングでした。

 ヘクトアダーが姿を現したのです。

 巨体が岩壁を打つ音が壁の向こうで鳴り響きました。

 アスミチはかすかにヘクトアダーの頭部を目にすることができました。

「ドンに殴られて頭がひしゃげてた。あんなダメージを与えても、アダーを止められないんだ……」

 岩の壁を越えることはヘクトアダーにとってたやすいことでしょうが、そのさいに魔法で操られた無数の草のツルや枝葉に体を絡め取られることになります。

 時間が少し、かせげるかもしれません。

 二人は急いで逃走しました。

 さっき登ったばかりの岩山を、今度は正反対に下ることになります。

 バノとアスミチが岩山を下り終え、湖が見え始めても、ヘクトアダーは姿をまだ見せませんでした。足止めが少しは役に立ってくれているようです。

 全員で平地を走ります。

 バノとアスミチの前にはトキトたちが走っています。

 森の茂みを避けて岩がたくさんあらわになったところを進みます。何度かパルミやカヒが滑りそうになりましたが、周りの手助けで転ぶことはありませんでした。

 水辺まで半分ほどというところまで来ると、湖の水面が見え、小さくドンキー・タンディリーの姿も見えました。

 そこで、カヒがドンキー・タンディリーの声をキャッチしました。

「ドンがなにか言ってる」

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