第3話 「助けて、ドンキー・タンディリー!」

 トキトはその少し前に、異世界いせかいの大地を見下ろしていました。

 風になびいて前髪まえがみがじゃまになるのを、頭をふってよけます。そして、ちらばったかがみのかけらのような光るものを地面に見つけます。

 キラキラしているのは鏡やガラスの破片はへんではなく、水でした。広い水面でした。かわいた地面に湖があるのです。

 荒野にぽつんと出現したのは湖と、それから森とでした。

 湖のまわりは森ですが、赤っぽい、低い岩山があちこちに顔を出しています。箱庭はこにわ盆栽ぼんさいのようでした。砂と、水と、緑の木々と、赤い岩をぎゅっと小さなスペースにつめこんだ、とでもいうような。

 オアシスという言葉がトキトの心にひらめきます。

 ウインがアスミチに手を伸ばしています。ムダかもしれないけれど、なにかせずにはいられません。

「アスミチ、おっ、落ちないように、もっと、両手で座席を、つかんで……」

 ウインの言葉をさえぎって、トキトが言います。

「アスミチ、ウイン」

 耳にしっかりとどく大きな声で言いました。続けてトキトは、

 はっきりと言い切りました。しかも命じるような口調くちょうで。

べって? え、トキトがこっちに降りてくるんじゃなかったの?」

 ウインは混乱しました。そして、トキトのジェスチャーでようやく、言いたいことがなんとなくわかってきます。

「え、え、私たちが、地面に、んで、降りるのぉ!?」

 トキトが今まで見たことがない目つきをしていました。うそ冗談じょうだんがひとかけらもない真剣しんけんな目です。

「このさきに、水がある。今しかない。先にウインとアスミチの二人だ」

 トキトが表情を引きしめてうなずきました。ウインが下を見ると、だいぶ前方に光る水が、見えました。

 ――水。ふつうに落ちるよりは、たぶん、トキトの言う通り、安全かも。

 たしかにそう思ったのですが。

「待って。とび降りるって、こわい、怖い、怖い」

 とウインはさけびます。

 パルミもウインと同じ景色を目にして水をみとめたようで、

「地面が、遠いのに、近くに、見えるよっ。やっべ、これ死ぬっぽい!」

 と恐怖に顔をゆがめました。

  カヒは自分をおさえた小さい声で

「いやあああ」

 と悲鳴を上げつづけています。

 アスミチはほんの少し冷静さを取りもどしたのか、真っ赤な顔のまま、

「今、飛び降りれば、助かる、んだね?」

 とトキトに確認をしました。

 そしてトキトは、ぶら下がりの姿勢で、胸をたたきます。まかせろ、という意味のしぐさでしょう。

「水が見える、助かるはずだ。アスミチとウイン、手をつないで、いけっ」

 とトキトはさけびました。 ウインは反射的はんしゃてきに言い返しました。

「ええええええ、今すぐなの? 待って、待って待って、もうちょっと時間を……」

  しかし、彼女が言い終える前に、トキトは行動を始めていました。

 彼はアスミチとウインのそばにスルスルと移動してきたかと思うと、二人のうでをつかんで引っぱります。ぎゅっと引いてしっかりと手をつながせました。アスミチとウインの手がおたがいをにぎります。

「待って押さないでだめえええええええ。落ちるよぉぉぉっ」

 もしトキトに押されなくても、まもなく落ちてしまっていたことは間違いありません。

 押し出されたウインとアスミチがきあって団子だんごのようになり、ゆっくり回りながら落ちていきます。

 トキトはあらためて、自分たちの落ちる先を見ます。強風がはだをなぶっていきます。

「つぎは俺たち三人だ。パルミ、カヒ」

 パルミの襟元えりもとをひっつかみ、カヒのわきの下から腕を回してかかえあげました。瞬間しゅんかん、三人で固まったままかかとって飛び出しました。

「トキト怖いよぉぉぉ」

「バカトキトっち、もうやだやだやだぁあああああ」 

 トキトは二人をきしめた姿勢しせいで、甲冑かっちゅうゴーレムというせまいカゴから、飛び出したのでした。

 ――広い広い、異世界の空へ。


 風の強さは言葉をうばいりました。

 五人は、声にならない声をあげながら落下していきました。

 心臓しんぞうは口もとに飛び出るかと思うほどはげしく早鐘はやがねを打ちます。

 横方向へのスピードが大きいために、子どもたち五人の体は紙飛行機のように空をすべり落ちています。

 もしも固い地面に背中が触れようものなら、摩擦まさつで衣類もろとも皮膚ひふが破れてしまうに違いなかったでしょう。

 トキトは考えています。

 ――なんとか、水の上に落ちたい。

 ――そうして、いきおいを上手にへらして衝撃しょうげきをやわらげたい。

 そのつもりで、水のあるところに「降りる」ことを決めたのです。

 トキトが説明不足のまま仲間を飛び降りさせてしまったのは、水のないところまで飛ばされてしまってはいけないからなのでした。

 ほかの四人も、「水」をめがけて飛び降りたことはなんとなく理解しています。

 トキトは自分たちの落ちてゆく先を見つめています。

 緑の木々と、黒い水面が視界しかいにうつりました。

 しかし、恐ろしいことに、岩もたくさん水面に顔を出しています。

「しまった、でかい岩がニョキニョキつき出してる。当たっちまうかも」

 トキトに少しおくれて、ほかの四人も、うす目を開いて知ります。自分たちが岩に激突げきとつするかもしれない、という命を左右する運命を。

 思いとさけびが風に乗り、オアシスの湖水こすいの上をきぬけていきます。

 ウインは叫んでいました。

だれでもいい。誰か、誰か私たちを助けて!」

 ――岩に激突したら絶対に助からない。

 ――目を開けた瞬間、大岩がすぐそこにきている気がする。たぶんぶつかってしまう気がする。

 そんないやな予感が当たる気がしてしかたがないのでした。

 奇跡きせきが起こったのは、そのときでした。

 ウインの「助けて」に、何かが返事をしてきたのです。

 「助けるよ、ボクの大きな手のひらでみんなをそっと受け止めるから、勇気を出して」

 と誰かが、または、何かが言いました。ウインの心の中に聞こえてきた声でした。

 ウインの脳裏には、あるイメージが浮かんでいました。声の主にかさなるイメージがウインのなかにはあったのです。

 ロボットのイメージでした。

 ウインの心の中にいつの間にか生まれた、ずっと前からいた、けれど現実にはどこにもいない想像上の友だちロボット。心理学で言う、イマジナリーフレンド。

 ウインはこのロボットに「ドンキー・タンディリー」と名前をつけていました。ドジながらも心優しいロボットは、いつもそばにいて、笑ったり悲しんだりする大切な友だったのです。

 自分の心の一部が、返事をしてきたのでしょうか。いつもならウインはそう考えたかもしれません。でも今は、ちがう気がしていました。

 ――声は、外から聞こえてきた。

 ウインは、誰かにむけて叫んでいました。その叫びはのどから飛び出て空を切りき、どこかへ向かっていくのです。

 絶叫ぜっきょうでした。

 ウインの叫んだ言葉は――


「助けて、ドンキー・タンディリー!」


 ウインは自分でもよくわからないままにその名前をさけんでいたのです。

 その声に、カヒがびくっと体をふるわせて反応します。

 ウインのあとから落ちていくカヒの心に、なにかがわき起こります。助けを求めるんだ、今、ウインみたいに助けをよぶんだ、と自分の心がうったえているのです。

 カヒもまた、口にしていました。


「助けて! ドンキー・タンディリー!」


 どこかにいるだれかに向かって、叫びました。

 意味も知らないままに。どうかだれかにとどいてほしいと願って。

 五人の子どもたちの命をうばうべく、岩が無慈悲むじひに立ちはだかっています。岩は、ぶつかると同時に悪魔あくまのようにたましいをさらっていくでしょう。

 信じられないようなことが、けれどウインが心のそこから願ったことが、起こりました。

 なぞの声のぬしが、五人を助けるために、水の中から姿を現したのです。人ではありません。巨大なロボットでした。

 はじめはそれがロボットだとは誰にもわかりませんでした。落ちてゆくずっと先のほうに大きな水柱みずばしらが立つのが見えただけです。誰かがプールに勢いよく飛び込んだときにドブンと立つあの水柱を何十倍か何百倍かに大きくしたものがいきなり現れました。

 まるで葛飾北斎かつしかほくさいの有名な絵、神奈川沖浪裏かながわおきなみうらの、富士山より高い、白波しらなみ立つ絵のようでした。

 わずか数秒で、現実がまるでSF映画の一場面に切り替わったように、ウインたちには思えました。

 カーテンを引いたように水がざあああっと分かれて流れ、大きな金属のロボットの体が姿すがたを現しはじめたのです。

 大きいけれど、ガラクタのかたまりにも見えるほどひどい状態でした。こわれかけているのでしょう、ボロボロにさびた四角いコンテナをごてごてと組み合わせてくっつけたように見える、人型の巨大ロボット。

 故障している機械がどうにかこうにか動き出した、というように見えるのでした。

 トキトは声に出します。

「なんだあれ、俺たちがうばってきた甲冑かっちゅうゴーレムよりずっとでけえ、ロボット?」

 トキトには、 ロボットの声が聞こえていなかったのでした。

 ロボットのおわんをかぶせたような頭部に二つの目が光りました。

「光った、かっこいい!」

 アスミチは、現れた機械が自分たちの助けであることを確信します。加えて、巨大ロボットという存在に興奮こうふんをおさえられません。

 ロボットはそのうでを水平に持ち上げてゆきます。

 左腕ひだりうででした。

 壊れかけのロボットは、上半身を立ち上げ、子どもたちに向かって手を差しのべようとしました。

「ウインちゃんとカヒっちが助けてって言ったら、あの巨大ロボットが水から出てきた?」

 風をよける指のすきまから、パルミは見ています。

 ウインとカヒの「助けて、ドンキー・タンディリー」という声はみんなに聞こえていたのです。

 左手を下からそっとすくい上げる動きで五人を受け止める……ということをしたかったように、見えました。

 が、悲しいことに、その体はあちこちが壊れていました。

 姿勢しせい維持いじできません。ロボットのひざは見るまにふらつき、そのままガクリとくずれてしまったのです。 

 同時に、バランスもうしなわれます。回転しながら、あし、そしてこしが水の中にぼっしていきます。

 ロボットはころんでしまったのです。

 トキトも思わず叫びます。ウインたちが言ったのがロボットの名前だと感じて、

「がんばれ、ドンキー・タンディリー! たのむ、俺たちを助けてくれ」

 パルミも声をりあげました。

「がんばれ、助けて、ドンキホーテ・タンドリーチキン!」

 パルミは名前が覚えられていないらしく、なんだか変な名前で呼びましたが、ふざけているわけではないのです。

「助けて、スーパーロボット、ドンキー・タンディリー!」

 アスミチは「スーパーロボット」という言い方を加えました。

 ロボットに少しでもはげましになるような言い方をしたもののようです。

 声がとどいたのかどうかはわかりません。

 けれども、ロボットはたおれながらも、残された力をふりしぼったように見えました。

 地面につき出した岩を、動かせる左腕ひだりうでで破壊します。

 猛烈もうれつり手がぶちあたり、横なぎに岩を打ちくだくことに成功しました。

 岩のかたまりくだけちる音が水辺みずべにひびきました。

 その一撃いちげきが、五人の子どもたちの命運を変えました。

 ロボットの目から光が消えました。大きな水しぶきを高くゆっくりと上げて、倒れてゆきます。

 上半身を岸に倒し、下半身は湖の中。半分だけ湖から出て横倒しになっている格好かっこうで。ロボットは動きを止めてしまいました。


 五人は岩にぶつかることをまぬがれました。

 体をまるめて、「石切り」のように、水面ではねます。

 彼らの背中に、湖の上にしげったこまかいえだがつぎつぎにぶつかります。

 その細い枝の数々が、たわみ、へしれて、子どもたちの衝撃しょうげきやわらげてくれているのでした。

 五人ともしたをかまないようにしっかりと歯を食いしばっています。

 やがて勢いが弱まり、水が彼らをむかえ入れました。

 水中に一度はしずんだものの、湖の底の小石の地面を蹴って、浮き上がります。 水はいくぶんぬるく感じられました。

 夏の終わりの川や海のように思えます。

 みんな大きな怪我はないようでした。


 ここから岸に泳ぎつき、ロボットを調べ、そして――

 生きのびるためのサバイバルが始まるのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る