第70話 ぽーんと着地した、お礼を言った

 ドンの右腕から、ぎちぎちと締め上げる音が響いてきます。

 ヘクトアダーは悶絶もんぜつしながらも、ついにその怪力でドンの腕を引きはがし始めました。拳は振り回され、ぶんぶんと空中で無理やり揺さぶられています。

 大きな樹木にぶつかった瞬間、ドンの拳はついにヘクトアダーの顔面から離れてしまいました。

 しかしその瞬間、ドンの指が器用にヘクトアダーの舌をとらえました。ちろちろと出し入れしていたのが不運でした。

「うえー、今度は舌をつかんでる」

 ウインが顔をしかめながら言います。まるで自分の舌を引っぱられているような錯覚さっかくがしたのです。

「出しっぱにしたアダーの舌が、あだーでしたー、にゃあ」

 パルミはしかつめらしい顔でつぶやきました。調子はいつもの軽さを取り戻しています。

「ヘクトアダー、苦しんでる」

 カヒの声は、ほんのわずかに同情の色を帯びていましたが、もちろんドンに手加減を求める気はありません。

 ドンの右手はなおもヘクトアダーを締め上げ、舌を容赦なくつかんでいます。

「ちぎっても、離れていても腕が動くのってなんなんだろう」

 アスミチが不思議そうにつぶやきました。その疑問は、ドンを含む全員に思念として伝えられます。

「離れていても、少し動かせるんだよ」

 ドンが答えました。その一言に、アスミチはひらめいたようです。

「あ、あれかな。バノがゴーレムを作って動かしたのと同じかな」

 アスミチの自分なりの解釈に、バノがすぐに答えます。

「そんなところだろう」

「ドンの字の生命力、すげえな。オイラ、びっくりたまげたぜ」

 ハートタマがおどろきの感想を漏らしました。ロボットに対して「根性」や「生命力」という言葉を使うのは、ハートタマらしい独特な感性と言えるでしょう。

 その言葉に、パルミが軽くツッコミを入れます。

「ロボは機械っしょ、生きてないっしょ」

 バノによれば部分的に生き物の組織を使っているということでしたが、金属などの部分のほうが多いでしょうから、パルミの言うことも間違いではありませんね。

 ウインはただただ感動していました。

「でも、ほんとすごいよ。あ、ウィルミーダがヘクトアダーのところに向かったよ」

 指をさすと、みんなの視線がそちらに向かいました。

 近くでミッケンが息を吹き返すのを見たアスミチは、まだ心配そうです。

「さっきまで命がなくなってたのに……ミッケン、大丈夫かな。無理してないといいけど」

 いよいよ決着の時が近づいています。


 ヘクトアダーは大きなヘビである――

 そんなふうに全員が思っていました。

 ドラゴンの仲間だと知ってはいたのです。けれども、ヘビとしての印象が強すぎました。

 だからこのとき起こったことにみんなおどろいたのです。

 ヘクトアダーの腹の皮がバリバリ裂けて、そこから二本の腕が出てきたのです。

 それは細くて、頼りなく見える腕でした。上下に動いている様子は、まるでアリが前足でエサを探るようでした。

 ヘクトアダーがつかんだのは、ドンキー・タンディリーの右腕です。舌をつかんだままのドンの腕を、その細い腕で引きはがそうとしています。

 やはりおとっているといえどもドラゴンの亜種なのでした。

 そのとき、ウィルミーダがヘクトアダーに向かって飛びかかりました。

 するどく接近するウィルミーダでしたが、ヘクトアダーはドンの腕を振り回してぶつけてきたのです。金属の右腕をまるで武器のようにして――まるで棍棒こんぼうのように使ったのでした。

「ブレスをくだけじゃなくて、腕まであったのかよ! すげえ!」

 トキトが思わず声をあげます。

「怪獣みたい……ヘクトアダーは、ほんとうに危険だよ」

 アスミチはトキトほど楽観的にはなれません。でも、興奮している気持ちは隠せないようです。

 ウィルミーダの攻撃を受けたヘクトアダーは、一瞬動きを止めました。二体の巨体がにらみ合うように膠着こうちゃくしています。

 そんな中、パルミが男子たちに向かって声を上げました。

「男子、逃げるんでしょ!」

 パルミがまだ自分たちのいるところまで到着していない男子二人を叱咤しったします。

 ――さっきから、トキトたちに言うセリフがいつもより柔らかくなってるよね、パルミ。

 ウインはそんな風に感じました。今はもちろんそんなことを言っている場合ではなく、心にとどめておきます。 

 ヘクトアダーの胴体が異形いぎょうの腕を生やしたことで、事態の行く先がまた不透明さを帯びています。

 子どもたちは目の前で変わっていく状況を見て、恐怖と戦っています。

 ドンの機械の腕をアダーが捨てました。

 ようやくやっかいなものを振りほどいたヘクトアダーでしたが、舌の一部がちぎれてしまいました。それでもヘクトアダーは怒りを全身にたたえ、新しい攻撃を準備しようとしています。

 そんな光景を見ながら、カヒがつい声をあげました。

「怒ってる! うわばみが怒ってるよ!」

 それを聞いて、パルミが指摘します。

「カヒっち、それ当然だから」

 こういうところは、いつものパルミらしい様子です。

 アスミチはヘクトアダーの傷を見て思念でぽつりとつぶやきます。

「舌がちょっとちぎれてるしね……」

 その言葉で、ウインの意識はドンのほうに向きました。

「ドン、あなたのほうは腕を引きちぎってしまったけど、大丈夫? 痛くない?」

 カヒもウインと同じように心配そうにドンを見つめています。

 ドンは、思ったより無邪気な声で答えました。

「うーん、痛いかも……と思ったけど、痛くないよ。ウインお姉ちゃん、やさしいね。ありがとう」

 ドンは自分でも自分のことがよくわかっていないのですね。

 お礼を言うドンに、ウインとカヒはほっと安心しました。生体部品を使っていても痛みを引き起こしたりはしなかったようです。

 そこへ、ハートタマがきょろきょろとあたりを見回して声をかけます。

「オイラたちに今できること、ほかにないか?」

 あの巨大な物体同士の戦いに、できることなんてあるのでしょうか。

 ハートタマに答えることなく、ウインは遠くを指さしながら言うのでした。

「トキトがバノちゃんを抱っこして走ってきてる」

 三人のいる場所にトキトがすべりこんできました。

 その勢いで急ブレーキをかけた拍子に、バノとアスミチが「ぽーん」と前方に投げ出されるように飛び出しました。

 二人の着地はまるで息がぴったり合ったかのようでした。足をそろえてしゃがこみ、両腕を前に伸ばした姿がふたつ。陸上競技の走り幅跳びの着地のように見えました。

 偶然とはいえ、そのポーズにトキトは「ぶっ」と吹き出します。

 すぐにバノが険しい目つきでトキトをにらむと、トキトはあわてて姿勢を正しました。

 パルミがいつもの調子を取り戻して言います。口調はあくまで心配そうながら、

「バノっち、トキトっちにへんなとこ触られなかった?」

 バノは今度はすました顔で答えます。

「え? お尻とかたっぷり触られたぞ」

 その瞬間、全員のあいだに、気まずさと面白さが混じった空気が流れます。

 トキトは両手を顔の前で振って、釈明しゃくめいの言葉を発します。

「今の場合、しょうがないことじゃんか!」

 誰も何も言わないので、バノがおもしろがる調子を残しながら言いました。

「ま、そうだな。私たちの命を助けるために、しょうがないことだった」

 バノはここで声色をただして感謝を示すのでした。

「しょうがないから触れた件は許す。いやそれどころか、お礼を言わせてほしいよ。抱えて運んでくれて助かった」

 バノは理性的にトキトの行動を評価していました。そして、こう続けます。

「私に限らず、こういうときは女子であっても遠慮なく抱えて運んでくれるか、トキト」

 これから仲間のために働いてほしいとバノは願っていました。ほかの仲間が文句を言う筋合いではありません。

 トキトは胸を張り、はっきりした声で宣言しました。

「もちろん、抱っこして運ぶぜ。ウインも、パルミも、ほかのみんなも」

 トキトの言葉に何の含みもないことはわかっています。

 それでもウインとパルミは、女子として少し照れくさい気持ちになりました。

 ウインは少し恥ずかしそうに言います。

「えっと、あの、私の脚がうまく動かないときは、助けてくれると、うれしく思うよ」

 当たり前のことを言っているのに、この流れだと言いにくい感じなのでした。

 一方、パルミはからかった手前、ウインのようには素直に言えません。

 ちょっと言い渋って、

「うえっ、あたしも? あたしはべつに……」

 と言葉を濁しますが、その背中を押したのはカヒでした。

 カヒは真面目な顔でパルミを見上げ、心配そうに言います。

「パルミ、命にかかわることだよ……?」

 カヒの一言は正論でした。

 パルミも折れざるをえません。

「カヒっちに言われちゃ、しょうがないな。トキトっち、もしものときだけ、頼むっつーか……あれ? 空から落ちたとき、すでにあたし、トキトっちに無理やり抱えられて一緒に落ちてるじゃん!」

 その言葉に、バノ以外の仲間が同時に「たしかにそうだ」という顔をしました。

 バノも「なんだ、すでにちゃんとやってくれてたのだな」と納得したようでした。

 アスミチは苦笑いを浮かべます。

「それもそうだったね。すでに体験済みだった」

 いいタイミングだったので、ウインはトキトにお礼を言うことにしました。ウィルミーダが戦ってくれている間は、少しの会話くらい、許されるでしょう。

「そうだよ。私たちがダッハ荒野に落ちてきたとき、それから何度も、たくさん、助けてくれてありがとう、トキト」

 なるべく小さい声で言ったのですが、おせっかいな生き物のせいで、思念が全員に届いていました。

「お、おう」

 トキトのうろたえた気持ちまでも、すべてハートタマが仲間たちに伝えてしまうのでした。

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