第16話 幕間 「バニア・アース」 バノとウインと

 夜の夢にいざなわれるわずかな時間――――


 静かな夜のとばりの下で、ウインは今日のことを思い出します。

 オアシスでの一日は、森を歩き、岩山に登り、さらには荒野に出て甲冑かっちゅうゴーレムの落下地点を見にゆくというものでした。一歩ごとに土や岩をるその感触が、今も彼女の足に残っていました。

 ――私のあし、こんなに感覚がにぶくなってるなんて。明日には治っているといいけど……。

 ウインは静かに息をきながら、明日には回復してほしいなと願いました。

 眠気にさそわれ、ウインの意識はゆっくりと眠りの世界にけ出していきました。


 一方でカヒは、人影のない夜空に話しかけました。

 ――センパイ、どこへ消えたんだろう?

 月の光に照らされながら、彼女は感じていました。

 ――センパイがもう死んでしまっていて、幽霊ゆうれいになって現れたとしても、怖いとは思わない。むしろ、幽霊であればセンパイに再会できるかもしれない。感謝の言葉を伝えたい――と。

 そんな想いで心をいっぱいにしながら、カヒの心は夢にさそわれていきました。


 アスミチは、目を閉じると、遠く地球にいる家族、とりわけ母親の姿がまぶたに浮かぶのを感じました。

 ――ママに……会いたい。

 彼の心は、家族のぬくもりに引かれていました。

 その思いを仲間たちに言葉で伝えるのはれくさいし、彼にとっては、沈黙を選ぶ方が楽でした。

 さびしさをいだきながら、彼の意識は深いやみへと吸いこまれていきました。


  パルミは自分の中の奇妙なわくわく感を発見していました。

 地球に帰りたいという願望は確かに強いですが、この異世界での生活は彼女にいくつかのことを教えてくれました。

 怒りを感じることが少なくなっていたこと。自分の心のそんな変化に、気づいていました。

 ――全部、身の回りで起きてることが新鮮で、いらいらするヒマがないからかもしれない。

 と彼女は考えながら、暖かい夢の中へと滑り込みました。


 トキトは思います。

 ――じいちゃんと野山を冒険したのが、今すごく役に立ってる。

 ――それに、ウインがサバイバルについて本を読んでいてくれて、助かったな。

 年長であるトキトとウインが五人を引っ張っていけたことにほっとしていました。

 ――野営地の外には細かい砂利じゃりをまいておいたから、大きな動物が近づけば音でわかる。

 ――ドンキー・タンディリーに岩をぶっこわしてもらって助かったけど、俺はこの金属棒きんぞくぼうにも思ったより助けられてる。これを持っているとなんだか「大丈夫だ」って気になれる。

 眠りからいつでもさめることができるように、トキトは月明かりの差す野営地のせまい庭をむいて体を休めます。


  五人はそれぞれの内なる世界に身を委ねながら、新たな朝を待っていました。

 それぞれの夢と希望、心の内で温めている小さな火が、彼らを異世界の冒険を通して結びついていました。


 ※    ※    ※    ※    ※    



 ――時は、回想から現在へ――



「一日めは、こんなふうだったよ。バノちゃん」

 ウインは語りを中断して、一息つきました。

 ダッハ荒野のかわききった、さびしい大地が広がっています。

 荒野のほとんどは不毛の土地で、人の侵入しんにゅうをこばんでいるようでした。

 ウインたちは、北へ向かって進む、陸上船りくじょうせんに乗っています。

 それは、正しくは陸上船ではなく、ドンキー・タンディリーでした。体の構造を変えて平たいトレーのようになったのです。

 風と大地以外には、めぼしい目印さえありません。ところどころに、奇妙な形の岩がぽつり、ぽつりと立っています。細長くねじれた形の岩が、木の根のこぶか、不気味な墓石ぼせきのようにも見えてくるようでした。

 ときおり動くもの見えることがあります。たいていが、風に舞い上がる砂埃すなぼこりのかたちづくる自然のアートです。乾燥に強い植物が少し生えています。それ以外には、見渡すかぎり、ほかに生命は見当たりません。

 どこかで群れを作っているはずの野牛や、ハヤガケドリ、大型の甲虫こうちゅうなども、ここには見当たりません。

 巨大ロボットが変形した乗り物の上で、二人の少女が会話しています。

 もしゃもしゃの金髪のほう、バノは、長い語りをねぎらいます。

「ウイン、いい語りだった。君の話から、事情がすっかりわかったよ」

 ウインが、自分がきちんと伝えることができたことに満足げな表情を浮かべます。

「それは良かったよ」

 笑うとポニーテールがれました。

 ダッハ荒原の空は暮れゆき、オレンジ色に染まる夕焼けがたちまち紫に変わり、星々が一つずつ光を放ちはじめています。

 彼女らの一日がおだやかに閉じられようとしていました。

 バノは丸めた毛布をかかえる姿勢で座り、話し始めました。

「君たちの会話に、補足しておこうか。月の話だよ」

 ウインは耳をかたむけます。

「ああ、それそれ。二年前にこっちの世界に来たバノちゃんならわかるかもって思いながら話してたんだ」

 と彼女は言いました。

 異世界のことを少しでも知っておきたい。

 月が地球と同じに見える理由がわかるのなら、教えてほしい。

 ウインはそう思います。

「おーい、そろそろ移動を止めて野営やえいの準備するぞー」

 上がってきたのはトキトです。ウインとバノがいるところまで来て、顔をひょっこりと甲板からのぞかせました。「野営」は本来は軍隊がする野宿のじゅくのことですが、トキトが「俺たちも作戦中のチームみたいなもんだ」と言うので、彼らは野営という言葉を使います。

「なんかおもしろそうな話をしてない?」

 となりからアスミチも出てきます。

「バノっちの話、あたしも聞きたいなー」

 パルミが片手をあげてアスミチのわきにひょっこりと出てきました。

「わ、わたしも混ざっていい?」

 最後にカヒが遠慮えんりょがちに言いました。カヒの腕の中にはハート型のぬいぐるみのような物体が抱えられています。

「もちろん、聞いてくれていいとも」

 バノが答え、ウインもにっこりとうなずきました。

 急ぐつもりはなかったらしく、トキトも二人のいたところに登ってきました。

 バノが五人に囲まれる形になりました。話し始めます。

「君たちの見たとおり、ここの月は地球にある月と同じだ。月だけではない。星座も地球と同じ。北斗七星もあるし、オリオン座もある」

 とバノは言いました。

 ウインの目は、日暮れの空にまたたきはじめた星を見上げます。彼女の声は興奮にはずみました。

「星座も全部あるんだ!」

 とウインは言いました。

「全部かはわからないよ。私も天文学者ではないから」

 バノの話し方は慎重です。一つ一つの言葉が事実をたしかめようとする重みをがありました。

「わかる範囲で言おう。この星は、同じ銀河系の、地球と同じ座標にある天体としか思えない。『もうひとつの地球』というのはまとた表現だね」

 ウインの心は軽くなり、彼女はほっと息をつきました。

「そっか。パルミの気持ちが少しわかったよ。安心する。ここも地球なんだったら、生きていけそうだね」

 とウインは言い、

「そうだね」

 とバノはほんの少し微笑ほほえみを見せました。

「よく似たもうひとつの地球、近似きんじした世界ということで、私はここを『近世界きんせかい』と呼んでいる。横文字では、見せかけの地球という意味を込めて、『バニア・アース(veneer earth)』と」

 とバノは続けました。

 そこでアスミチが、好奇心にかられて質問しました。

「バニア・アース。この世界の人も、自分たちの世界をそう呼んでいたりするの?」

 バノは首を横に振りました。

「この世界の人たちには、自分の世界に特定の名前はつけていない」

 とバノは言いました。

 続けてパルミが彼女らしい理解を見せます。パルミは算数・数学が得意で、中学や高校で習うはずのことも少し知っています。

「数学で、マイナスをあつかうようになると、それまでの数を正の数って呼んでプラスの符号ふごうをつけるのに似てるかも?」

 それで合っている、と言いたげにバノは続けます。

「そうだ。識別子しきべつしが必要であることが言葉の生まれる源泉だ、と私は考えるよ。識別、区別するために、言葉が生まれる、ってことだね。あなたと私、地球とバニア・アースっていうぐあいさ」

 バノの説明をウインはかんで飲みこむように聞き入れます。「うんうん」とうなずき、

「わかる気がする」

 と言いました。

 彼らは新しい「近世界」=「バニア・アース」の理解へ一歩を踏み出したのでした。


 荒涼こうりょうとしたダッハ荒原のかたすみで、六人の子どもたちは、寄りそうようにして腰を下ろしていました。星のきらめく空の下、小さな岩山にドンキー・タンディリーを寄せて停止して、そこを一晩の宿にするのです。

 バノが水を向けるのはウインです。

「ウイン、そろそろ野営の準備に入ったほうがいいかもだよ。トキトはそれを伝えに来たんだから」

 トキトが思い出したように、

「そういえばそうだな。急ぐわけじゃねえよ。けど、話が長くなるなら、一度ここでドンを止めて野営にしようぜ」

 ちょうどみんなお腹もいてきていました。トキトの言うように、晩ごはんを食べるのがいいと思えました。

「ウイン、夕食のあとで、もう少し続きを聞かせてくれるかい? 二日目はいよいよドンキー・タンディリーが動き出すんじゃないのかい」

 とバノはウインに問いかけました。今まさに彼らの乗り物になり荒野を移動しているドンキー・タンディリーについて、もっと知りたかったのです。

 ウインは、バノの好奇心こうきしんに応えました。

「ドンキー・タンディリーに興味津々きょうみしんしんなんだね、バノちゃん。二日目はハートタマに出会うよ。そしてついに、ドンキー・タンディリーと会話するよ!」

 言葉をちょっと区切って、続けます。

「そして、次の三日目にはバノちゃんに出会うんだよ」

 ウインはバノにくしゃっと破顔はがんした表情を向けてから、トキトたちに続いて甲板かんぱんを下りてゆきます。

 そうしながら、自分の体験した物語の記憶を、心の奥からたぐり寄せます。


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