第79話 世界の謎、タンホイザー・テスト

 バノが教えます。メルヴァトールがかなりの高さまで上昇した理由です。

「上空には空の道がある。卵の殻のようにこの世界中をおおっている浮きやす

いゾーンだ」

 ウィルミーダは飛行に適した部分を利用したということでした。

 つぶやいたのはウインでした。

「空の道……」

 バノが続けます。

「道とはいうが、飛行可能ゾーンが網目状あみめじょうにかぶさっているのが実態に近い」

 説明してくれたバノに、カヒが

「網目っていうと、ミカンを買うときのネットとかみたいなのかな?」

 バノはうなずいて、

「近いね。この世界は上空に浮きやすいネットがかぶさっているんだ」

 自力で飛行するよりずっとエネルギー消費を減らすことができる空域。それが空の道ということのようです。

「オイラでも、あんなに高くは上がれないな」

 ハートタマも、バノと一緒に出てきていました。ようやくしゃべることができて満足そうです。

「空の道、使えるのはメルヴァトールみたいな機械だけだろうぜ」

 ここで口を開いたのはアスミチです。

「地球には、空の道みたいなものはないよね? 自然にできたもの……なのかな」

 トキトとパルミが

「ないのか、地球には!」

「アスっちが言ってくれて助かったー。あたし、どこの世界にもそういうものがあるんだー、みたいに聞いてたかも」

 と言うと、カヒも小さい声で言いました。

「うん。わたしも、そう思いそうだった」

 ここで重要なできごとが起こりました。

 ドンキー・タンディリーが答えてくれたのです。

「お兄ちゃんお姉ちゃんたちのいた地球には空の道がないんだね。ここではタンホイザー・テストって呼ばれている構造の一層だよ」

 ウインがおどろいた声を出します。

「えっ、ドンキー・タンディリー、記憶がもどったの?」

 ほかの仲間たちもウインと似たようなおどろきの顔を並べています。

「ううん。ちがうの。ボクの中にあるデータに“さわった”から、思い出せただけなの」

 すまなそうに言うドンに、ウインは、

「ううん。それでもすごいよ! みんな、聞いたよね。ドンも忘れていたことを思い出すことができるんだよ」

 目に強い光を宿らせた人間が、このとき一人いました。

 バノでした。

 彼女はウイン以上になにかに気づいたようです。つぎのようにドンに呼びかけます。

「ドンキー・タンディリー、非常に興味深いことがいま、私の目の前で起こった。君が思い出したことがあったら、どうか教えてくれないか」

「バノっち、いきなりあらたまって、どしたん? じゃなくて、わかる。ドンちーの記憶が戻ることって、重要だもんね」

 パルミがおどろきと納得なっとくとを同時に行いました。アスミチも同意の言葉を口にします。

「そうだよね。地球に帰るゲートのことだってもしかしたら……」

 ところがドンの記憶はそれだけのようでした。バノが思いついた重要と思われる質問をしましたが、どれも思い出せることはないようです。

 トキトが、

「アスミチが言うとおり、ドンの記憶がもどったらいいな。謎がどんどん解けていくことになるぜ」

 とバノの顔を見ました。バノは、すこしだまっていましたが、やがて口を開きました。

「トキト、その通りだよ。ドンキー・タンディリーが言ったのは私も知らない知識だ。私たちはただ空の道があると知っているだけだ。である可能性が高い」

 この言葉がどよめきをもたらしました。

「え、今のひと言が、そんなに大事だったの!? ほんとにバノちゃんの知らないことをドンが知っていたの?」

「考えられるよ、ウイン。ドンがいつ誰によって造られたのかもわからない。バノの言う千年前の戦争より前だったら……」

「じゃあ、ほんとにゲートのことも思い出すかもしれないってことじゃん?」

「バノの知っていることと、ドンが思い出したことを合わせたら、すごいね」

 ざわめきが収まると、バノが考えを仲間たちに伝えます。推測であることを何度も念を押しながら、慎重にしゃべります。

「ドンの記憶への期待がふくらむね。同感だよ。だが、今は記憶を取り出すことができないようだ。原因はふた通りに推察できる。ひとつめは、ドンの記憶がところによって壊れていて失われたが、無事なデータだけは、きっかけがあると呼び出せるケース」

 ドン自身も、聞き耳を立てているように思われます。自分のことが知りたい気持ちなのでしょう。

「バノお姉ちゃん、もしそうならボクはがんばって壊れていないところをさがして思い出すようにするね。でも、ふたつめ、気になるよ」

「君も自分のことが知りたいようだね、ドン。ただ、これらはあくまで私個人の推察だよ? もうひとつは……わかりにくいだろうから、本を使って説明しよう」

 とバノは自分の紫革紙面を取り出しました。

「私たちは記憶していないことでも、知識として使うことができる。それは、本に書かれていることを調べるケースなどだ」

 言いながら、紫革紙面しかくしめんを指先でとんとんたたきました。

 アスミチがその説明を自分なりに解釈して言います。

「うん。本にある知識までぜんぶは覚えなくていいわけでしょ。たとえば自分の住んでいる地域の最高気温とか、最低気温とか、降水量とか」

 カヒが「あっ」と小さな声をあげました。気づいたことがあるのでしょう。

「アスミチ、バノが言いたいことってそういうこと? ドンの中に本みたいのがある……?」

 パルミとウインも、

「うにゃ、なるほど……そっかー。教科書に気温とか載ってるけど、数字までは覚えろって言われないもんね。必要なときだけ、調べる」

「ふたつめの考えだと、ドンのデータは無傷だってことになるよね、バノちゃん」

 と理解したようです。トキトがここで、

「俺もわかった。カヒが言ったとおりなんだな? ドンの中に本がある。って言っても本の形はしていないと思うけどさ」

 と言ったのでバノも安心してうなずきました。

「みんなの言うとおりだよ。取り出しにくいだけで、データは無傷のまま、あるのかもしれない。今、ドンが言った単語、私は覚えたぞ」

「ぼくも覚えた。タンホイザー・テストだ」

 おもしろいことに、ドン本人も、

「そうなんだね。タンホイザー・テスト。そういう名前だったんだ」

 と言っています。カヒが、

「自分が言ったことを、ドン自身がもう一度覚え直してる……感じ」

 と感想を口にします。ウインが肯定して、

「そうだよね。バノちゃんのふたつめの考えのほうが正解っぽいよね。ドンもそう思わない?」

 と聞いてみると、

「そうかもしれないよ、カヒお姉ちゃんに、ウインお姉ちゃん」

 との返事でした。トキトが

「ドンも今の会話をみると、だいぶわけがわからない感じみたいだぜ? 急がないでいこう」

 と、まとめました。誰からも異論は出ず、ドンの記憶や意識がちゃんと安定するのを待つほうがいいと思われました。

 仲間たちは、これからもおりにふれてはドンキー・タンディリーと会話をして、記憶を取り出すようにしていこうと話し合いました。


 トキトが、空のかなたを見すえています。

「すっかり見えなくなっちまったよな、ウィルミーダ。ミッケン」

 そこで仲間たちは、われに返ったような心地になりました。ウインも、

「そうだった。私たち、ドラゴンくらい強いふたつの危険から、なんとか安全に生きびたってことだよ。ヘクトアダーと、メルヴァトール」

 カヒがうんうんとうなずいて、

「パルミが大活躍だいかつやく、だったね」

 ひとつ年上の黒髪の少女に笑顔を向けました。パルミがカヒに、「にへっ」と笑ってみせたあと、バノに話しかけました。

「カヒっち、ほめてくれてあんがとー。バノっちも、聞いててくれたん? あたしミッケンと交渉こうしょうしてみたんだよ」

 手助けなしで交渉をがんばったことを伝えたかったのです。

 ここで称賛しょうさんしむバノではありませんでした。

「えらいぞ、パルミ。私は思念を盗聴とうちょうされるわずかな可能性をおそれて助けを出さなかったが、君はとてもよくやった!」

 ほんとうにパルミはがんばりました。

 両手でパルミの手をつかんで、さらに言うバノです。

「うまく相手の条件を引き出し、こちらが譲歩するていで最高の条件を勝ち取ったんだ。ドンの修理まで手伝わせるなんて、完璧だった」

 カヒが笑顔で付け加えました

「やっぱりすごかったよね。それに、パルミはむずかしい言葉も知ってるんだね」

 アスミチがカヒに同意して、

「定義と条件、って言葉でしょ、カヒ。算数っていうより、数学っぽかったよ」

「うん、そうかも。スウガクだった」

 三人に持ち上げられてパルミはとても嬉しかったようです。

 でもちょっとれて、

「だしょ、だしょー、数学は最高だしょー!」

 と数学が素晴らしいという表現で、うれしさをちょっと隠してみるのでした。

 トキトが軽くため息をつきます。

「うーん、俺、算数とか、苦手なんだ。パルミがいてくれてたすかったぜ」


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