第47話 バノの小指のガシャーン

 ウインと仲間たちは魔法について何も知らないのです。だから聞いておきたかったのです。バノが治療魔法の代償を支払うことになっていないかと。

 バノはまっすぐにウインを見返し、それからまわりに視線をめぐらせてから答えます。

「ウインの足を治療した負担か……そうだな、この機会にウイン以外のみんなも聞いてほしい」

 みんながバノに注意を傾けます。ハートタマもドンも、集中して耳をそばだてているのが思念で伝わってきました。

「この世界では、魔法の力は、血液に乗って体をめぐっていると言われている。だから、魔力の中心は心臓とされているんだ」

 ――そうだった。血みたいなものなんだ……私たちは、血液がないと生きていけない。

 ウインはそう受け止めました。

 おそらくほかの仲間たちも同じように理解したことでしょう。

 問題は、分け与えた魔力がバノの命に関わるかどうかです。

「私の魔力をウインの補助に使った。これは私が体を流れる血液を、ウインに分けているようなものなんだ」

 言っていることはむずかしくありません。けれど、血液を分けるという言葉をどう受け止めればいいのでしょう。

 ――輸血、みたいなことをしたっていうことかな。

 ――脚を動かすのに必要な量ってどれくらいなんだろう。バノちゃんが苦しくなるほどたくさん必要なのかな。

 ウインの頭の中で考えがぐるぐるしました。

「負担って、どれくらいなの……?」

 おずおずとウインは尋ねます。

 バノは真面目な顔をくずします。そしてあっさり答えました。

「うん。負担といっても困るほどのことはない。小指一本分くらいの栄養を、分けたくらいかな」

 バノは笑っていました。無理をして強がっているふうではありませんでした。ほんとうに負担は少ないのでしょう。

 ――想像していたよりずっと軽い。

 そう思ってウインは、言います。

「ほんとに?」

 半信半疑が顔に出ていました。

「ほんとほんと」

 とバノがふたたび笑いました。

 ウインはほっとした笑みを浮かべ、その安心から表情が明るくなりました。

 話題にさそわれてカヒが声をげました。

「わたしも、教えてもらったら、バノと同じくらい魔法を使えるようになるのかなあ」

 カヒの言葉を追いかけるようにウインが

「そう、それ私も言いたかった。魔法、すごく興味あるし。自分で魔法を使えるようになればバノちゃんに小指を返せる」

 と言い、一同から笑いがこぼれました。まじめな話の反動が出たのでしょう。

 とくにパルミが独特な表現に引っかかりました。腰を折って笑いながら

「小指を。小指を返すって、ひー」

 と繰り返しました。

 パルミの中で、切り離されたバノの小指が想像されていたのに違いありません。ハートタマが補助して、その想像した映像をみんなと共有します。

 小指だけが、ウインからバノのほうへ空中をつーっと動いていってバノの手に合体する。そんな絵が全員の数多に浮かびました。

「ガシャーン」

 カヒが合体のタイミングで言ったのでパルミはカヒの手のひらを自分の手でぺちぺち叩いて笑いました。

「今の、カヒっち、タイミングばっちり……ぶひゃーっはっはっは」


 小休止が終わりました。

 今日も、ドンキー・タンディリーの食べ物集めが進みました。

 仲間たちはバノを加えた会話のやりとりで、気がまぎれ、ときに笑い合って、午前を過ごすことができました。

 ずっとずっとあとになっても、ウインは、この日のことを忘れることはありませんでした。

 みんなで笑いあった時間をつい昨日のことのように何度も思い出すのでした。人生の先に至ってからも、思い出すのでした。

 ――このときはまだ、六人の誰も欠けていなかったよ。

 のちに、ウインは何度もそう思い、こらえきれない涙を手の甲でぬぐうのです。


 バノが合流して、若い人間が六人になりました。さらに、ハートタマ、ドンキー・タンディリーという信頼できる仲間が集まりました。

 見知らぬ大地でともに過ごす信頼できる仲間がこのときそろったのです。

 しかし、誰もがまだ本当には気づいていませんでした。

 あの恐ろしいヘクトアダーの毒牙が、彼らの想像よりずっと近くに忍び寄ってきていました。

 カヒやウインはときおり背筋を冷たいものが走る感覚がありましたが、かえってそれに慣れてしまい、まさかこんな近くまできているとは思っていなかったのです。

 お昼ごはんには、バノが、新たな食材を提供してくれました。懐かしい日本の食べ物、もちでした。

「えっ、おもち?」

 ウインのおどろきは、ほかの子どもにも同じようでした。故郷の味覚の魅力が心にわきあがってきます。

「コメが栽培できるの? 異世界でも?」

 例によってアスミチが質問します。

 バノにはこの問いは想定していたことのようでした。

「地球からいろいろ持ちこまれているんだ。だからこの近世界には、地球の作物も、食文化も、あるのさ」

 言いながら、バノは餅を平らな石に並べます。かまどの中で石で餅を焼くのです。

 しばらく待つと、子どもたちのよく知った匂いが漂ってきます。

 バノが醤油しょうゆを垂らしてくれました。

 一同は焼いた餅を食べます。

 香ばしい餅のおこげと醤油の匂いが鼻の奥をくすぐります。

「醤油もあるんだね、すごいね」

 故郷の匂いをたっぷり吸いこみながらカヒが言いました。

 ちゃんと口でひっぱると長く伸びます。間違いなく故郷のものと寸分たがわぬ餅でした。

「醤油があるんなら、味噌みそとか日本酒とかもあるん?」

 パルミの感想に、バノが答えます。

「ある。しかし、すでに説明したように、折りたたみ魔法といえども運べる量は多くないからね。味噌は持ってきてないよ。酒は消毒などのために少々」

 異郷の地で食べると、すごく懐かしい味に思えます。おいしいものを食べると気分もよくなって口がなめらかに動きます。

 アスミチが誰に言うともなく、「消毒とか燃料になるからアルコールは優秀だよね」と言っています。カヒも同じように「お料理用に、わたし少しだけお酒ほしいかも。交易すれば手に入るかな?」と言い、バノに「きっと手に入るさ」と返事をもらいました。

 パルミが「酒」という言葉を拾ってちょっとふざけ気分で言います。

「バノっち日本が懐かしくなって日本酒を飲んだり……しないのん?」

「酒は飲まないよ。私も未成年だからね、パルミも忘れてないよね?」

 餅を歯ではさんで伸ばしながらパルミが答えます。

「うん。十代じゃあ、無理だよねえ。でもさ、成長魔法でセクシーバノっちに変身すればお酒も買えるんじゃ……」

 バノは「ぷん!」とでも形容したくなる顔になり、少しだけ強い調子で言いました。

「体型のせいで飲めないんじゃないからね、パルミ!」

「にへ、怒られちった」

 パルミも本気で言っているのではありません。バノも怒ったふりだけで腹を立ててはいません。

 いつもの軽いからかいなのは全員、わかっています。軽い笑いで終わります。

 バノが魔法の力の続きを話します。

「負担の話の続きだが。私は多少、魔法の力があるほうらしいよ」

「どれくらい? 知りたい」

 あんじょう、食いついてくるアスミチでした。

「ごくふつうの術者は常人の二倍くらいは魔力がある。私はそんな術者の一・五倍ほど魔力がある。だから常人の三倍だ。荷物もふつうの大人の三倍は運べる。ふっふーん、便利だろー」

 バノは胸をそらしました。

 仲間たちはそれがどのくらいすごいかは時間がありませんでした。でも、すごい、やっぱやる子だねバノっちなどと声が挙がりました。言葉ほどのおどろきはなく、思いやりが多めです。バノがすごいのは当たり前だと仲間は思っているのです。

 ここにきてバノも、すっかり仲間として馴染なじんだようです。


 あたたかな雰囲気は、突然に破られました。

 初めに気づいたのはカヒとウインでした。二人の体がほとんど同時に緊張でぐっと硬くなります。髪の毛がざわっと逆立つ感覚、背すじに寒いものが走る嫌な刺激が、二人を襲いました。

 ただし二人ともそれが恐ろしいヘクトアダーの気配なのか、べつのことなのか、区別はついていません。ウインがすばやくカヒにたずねます。

「カヒも、気づいた? なにか、近づいてる」

 ヘクトアダーでないといい、という希望がこもっていました。

 すぐに破れる希望でした。

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