第109話
ある昼下がり、仕事の休憩を抜けて病院にやってきた幾夜は、じっと夢未を見つめる。
主人格に戻るのにいくらかでも役立てばと幾夜が携えてきた大好きなはずの物語には見向きもせず、彼女は病院のファッション誌に読みふけっていた。
ふいに、沈黙を破る。
ばかげているかもしれない。
でも、試さずにはいられなかった。
「秋口の真夜中、夢ちゃんが栞山に駆け出したときに、オレにラインを送って、そこへ行くように指示したのはきみなの」
彼女は雑誌から顔を上げずに答える。
「そうよ」
ファッション誌の上を、細い指が滑る。
「あのときは必死だった。ああしないと夢未は無意識に崖から飛び降りるかもって。それでしかたなく、出て来たの」
「……きみは、殴られる夢ちゃんのことを天井から見ていたと言ったね」
「えぇ」
夢未の顔をした誰かが、雑誌から顔をあげる。
違う。
大人の女性のような成熟した表情も、肩をすくめるしぐさも。なにもかもが、夢未ではない。
内心悲鳴をあげたくなるのを押し殺して、幾夜は彼女に向きなおる。
「なぜ夢ちゃんはお父さんに銃を向けたか、知ってるかい。きっと、理由があったと思うんだ」
彼女はもの思わし気に頬杖をつき、病室の窓の向こうを眺めると、
「そうよ」
はっきりとそう答えて、幾夜を見た。
細められた瞳が切なそうに伏せられ、白い肌にまつ毛のかげが落ちた。
「でも、ごめんなさい。教えられないわ」
無意識に、彼女が座るベッドに駆け寄る。
「彼女の将来にかかわるんだ」
急き立てると、彼女の眉がいら立ったようにつりあがった。
「わかってる。あたしだって、できるなら言いたい」
はっとして、幾夜はつかんだ彼女の肩を離す。
それは震えていた。
「でも、夢未が言うのよ。あなたに黙っていてって。泣いて頼まれちゃったら、約束しないわけにいかなかったの」
ごめんなさい。許してくださる。
決然として、大人びた、それは。
誠意をもって放たれたその言葉すら、夢未のものではないことを強く意識させられ、幾夜は力なく、彼女に首をふった。
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