第30話
注文を済ませると、お母さんは頬杖をついて、制服姿のわたしをまじましと見ました。
「もう高校生。早いわね」
感慨深げに、その両方の瞳が細められます。
「仕事の都合でこっちに来てからも折を見て会っていたとはいえ、夢未から連絡をくれるなんて、びっくりしたわ」
嬉しそうに破顔する姿に、知らず、心がほころびます。
やっぱり、お母さんはお母さんだ。
「学校はどう?」
「うん。……勉強はむずかしいけどなんとかやってるし、友達もできたよ」
「そう」
お母さんはまた笑いました。
唇が広がった、どこか薄い印象を与える笑顔に、ふいになにか、違和感を覚えます。
ずっと洋服のボタンをかけまちがってきたことに、ふいに気づいたような。
「幸せなのね」
今思えば、そう言ったお母さんの言葉は、果たしてほんとうにわたし向けられていたのでしょうか。
どこかお母さん自身を納得させているように響いていた。
そんな気がします。
それを無意識に感じとったことが、わたしの中の警鐘を鳴らし、声を出させたのでしょう。
今。助けを求めるなら、今しかないと。
「お母さん。……お父さんが、最近へんなの」
ううん、とわたしは首を横に振りました。
「もう、ずっと前から」
お父さんがわたしを殴ることがあることは、時々お母さんに伝えていました。
「昨日も、ご飯のチャーハンに卵を多く使ったとか、よくわからないことでずっと、怒鳴ってて。頭をつかんで、ひきずられて」
ありったけの勇気を振り絞り、わたしは顔を上げました。
「お母さん、わたしは――」
ところが、そう言いかけたとき、お母さんの顔が、変わりました。
そこにかすかに、ほんのかすかに混じった疎みがわたしを硬直させます。
「ねぇ、夢未」
お母さんの眉間の小さな皺が、わたしの中に伝染し、拡大していくようです。
――そうだった。
「それって、そんなにおおげさなことかしら」
愚かにも、そこではじめて、わたしは思いいたったのでした。
お父さんのことを訴えるたびに、これは何度も味わってきた失望だったと。
「お父さんからしたら、しつけの一環ということもあるんじゃないかな」
のたりのたりと、得体のしれない蔦が、足元に迫りくる感覚。
こめかみに冷や汗がつたいました。
「夢未にもなにか、いけないところがあったんじゃない?」
その言葉はいばらのつるのようにわたしの全身に巻き付いて、ついには完全に自由を奪います。
「お母さんの都合で、みんな一緒に暮らせないことで、あなたには苦労をかけてると思ってる」
目をそらし、そう言うお母さんの言葉は、どこか空っぽな音がしました。
それを取り繕うかのように、強く発音された言葉。
「でも、あなたの将来の学費は、不自由させないつもりだから」
そこ一言を耳にしたとたん。
お母さんとわたしのあいだに、段差があらわれたような錯覚に陥りました。
長く、深い、裂け目が。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます