Act11.幾夜 ~ハムレットは翻弄される~

第20話

 幾夜の休憩時間、星降る書店の名作の部屋は劇場と化していた。

 演目はシェイクスピアの『ハムレット』の約一ページ分の抜粋である。

 主人公、ハムレット王子の父を殺し、王座を奪った叔父の現王――要するに敵役を割り当てられた幾夜は、ハムレット王の復讐の真意を知った今、恐れおののいている最中なのである。

 テーブルの前、いかにも不安に侵された表情を作る。



「……この腐敗しきった濁世では、罪に穢れた手が罪のせしめた汚れた金の威光で正義を押しのけ、邪悪な手段でち得た宝が法を買収することなど、別に珍しくもない」

 この部屋に本を読みに来ているほかのお客様の妨げとならないよう、絶妙に声を抑えているのが逆になんともいえない王の不安定な心情を醸し出す。

 兄を殺して、その地位と、そして兄の妃まで奪った狡猾な王は、この一瞬だけ殊勝な顔を見せるのだ。

 幾夜は切なげな瞳をつくり、かすかに顔を上げた。

「が、天ではそうはいかぬ。犯したことは天日のもとに曝され、あるがままに裁かれ、否応なしにおのが罪に直面させられ……」

 ちらと、テーブルの上に開かれた台本を見やる。それにしても、長台詞だ。息が切れそうである。

 要は、ハムレットの父を殺した罪を、今からでも悔い改めるべきだろうかと言っているのである。

 そろそろこのへんで、ハムレット王子が背後に短剣を手にしのんでくるはずだ。

 案の定、

「今ならやれる。きれいさっぱりと。奴は祈りの最中だ」

 復讐に燃える王子にしては愛らしい声が背後から聞こえてくる。

 足音をほとんど消しているところからすると、なかなかの名俳優らしい。

 ハムレットは幾夜の背後で、あるつもりの剣を抜いた。

 そして、天にさらしてとくと眺めるという独自の演出をつけると、



「――待てよ」

 しばし動きを止めるハムレット王子。

「やつは今悔い改めて祈っている。そんなときに殺したところで、ほんとうに地獄に落とすことができるだろうかっ」

 逡巡のすえ、王子は神妙に鞘をおさめる。

「剣よ、そこにじっとして、もっと恐ろしい機会が到来するのを待つのだ……!」

 きっと据えられた瞳。

 本日はこのあたりで終幕である。



「うん、なかなかよかったよ」

 敵からのほめ言葉に、復讐王ハムレットはころっと笑顔になる。

「シェイクスピアの演劇ごっこなんて、つきあってくれるの星崎さんくらいだから」

 あー楽しかったと、ハムレットから夢未に戻った彼女は、テーブルの上の原書を手にるんるんと足を弾ませる。

 相変わらず、今どきの女子高生のツボとしては風変わりだが、本人が満足しているのだからこれでいいのだろう。

 休憩時間に入るなり、待ち構えていたように、今戯曲にハマっていると少女に腕をひかれてここへ来て、わざわざ敵役を熱演したかいがあったというものである。

 まだ休憩終わりまでには少し余裕があるので、幾夜はテーブルの椅子に腰かける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る