第37話
『名作の部屋』に彼が顔をのぞかせたとき。
わたしはわざと入り口に背を向けて、ぷくっと膨れてみせました。
「遅くなってごめん。数学の課題は、もう終わっちゃったかな」
「いえ。それよりもっと、大事な課題ができたので」
首をかしげながら前の席に腰かける彼をじっと見据えます。
ほっぺは膨らませたまま。
「どういう関係なんですかっ」
切れ味鋭く言い切ったわたしに星崎さんは首をかしげました。
「え? あ、小夏のこと?」
「あ。また呼び捨てにした」
彼は戸惑ったように、首筋の後ろをかいて。
「今日はどうも追及を受ける日だな。小夏にもそうやってきみのことを訊かれたよ」
それに、彼がなんて答えたかも気になりますが。
ひとまず、さいしょの質問に答えてもらわなくては。
わたしはぴんと背筋を伸ばしました。
「同じところで育った、幼馴染みたいなものかな」
「同じところで育った?」
テーブルに肘をついて、部屋の側面についた窓の向こうを眺めながら、星崎さんはうなずきました。
「『栞の園』っていう、この街にある児童施設なんだけど」
あ――。
彼が十二歳まで施設で育ったと言っていたことを思い出します。
なんとなく、わたしはテーブルの上に置かれたノートの影に視線を落としました。
「仲良し、だったんですね」
彼は同じテーブルに腰かけて、懐かしむように遠くを眺めました。
「オレが施設に入ったとき、小夏はまだ小学校の低学年で。よくなついてくれてはいたかな」
ふーむ。これは、カノジョじゃないと判断してよいのでしょうか。
いやいや、まだわかりませんよね。
と一人判定をあぐねていると、あ、これこれと、いつの間にか絵本の棚の前に移動していた星崎さんがみかん色の一冊の本を手にしていました。
「この絵本。施設の子たちに大人気でね」
片手でひらりと示されたその絵本のタイトルは、『しろくまちゃんのほっとけーき』。表紙にエプロンをつけたかわいいしろくまさんがいます。
「これ。小さいとき、わたしも好きでした」
よくお母さんが読んでくれたのです。
ほっとけーきが焼き上がっていく過程がシンプルかつ絶妙な効果音で描かれていて、読んでいるといつもお腹が空いて、必ず言うんです。お母さん、今日のおやつはホットケーキがいいな。
「星崎さんもお友達とみんなで読んでいたんですか」
「というより」
絵本を一度下げると、ふっと星崎さんはおかしそうに笑いました。
「ある時、施設のすぐ裏の建物で大掛かりな工事がほとんど一日中行われ続けるという事件が起きて」
「えっ」
それは、となりに住む人たちは相当悲惨なことに。
「朝早く目が覚めてしまって、静かな孤児院の中、寂しがる子どもたちが続出してね。そこで先生に、朝、小さな子たちにオレが読み聞かせをするって提案したんだ。倉庫から特別に職員室の鍵を借りて、先生たちが読み聞かせ用に使っている絵本を毎朝預かるんだ。小さな広間で、みんなに囲まれて、いろいろ読んだよ。絵本の力は絶大で、そうするとふしぎとみんな落ち着いてくるんだよね」
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