Act15.幾夜 ~楽園へは脇道を抜けて~
第32話
「星崎さん」
夕方の休憩に向かいに星降る書店の自動ドアをくぐり、数歩歩いたところで呼び止められる。
振り返って見た姿を見慣れた少女と合致させるのに、数秒要した。
今日の夢未は、ふだんとは格段に違う。
かすかに頬に紅を散らして、リップクリームをぬっただけの口元も光っていた。
なにより、身に着けてきたワンピースだ。
白地に、水彩画のようなタッチで、色とりどりの夏の花々が華麗に舞っている。
紫と桃色のあじさいの小花とそれらを束ねる白いリボンが描かれている。
見たことのないデザインだった。
左右の編み込みに、紅色のリボンまで結んでいる。
制服姿のふだんとはまるで違う、ぱっと際立つ華やかさに、目をすがめる。
「あの。へん、ですか?」
そう言われてはじめて、まじまじと見入ってしまっていたのに気がつく。
「あ、いや」
でてきたのも、まったく気のきかない質問であった。
「どうしたの、その服」
「中間テストでいい点とったから、お父さんがおこづかいくれたんです。それで」
嬉しそうにはにかんでうつむく姿にまた、胸がずきりとする。
彼女の父親は機嫌がいいときは、気まぐれにいいところを見せる。
夢未はそのたびに、その小さな胸に淡い期待をよみがえらせる。
もしかしたらまた、もとの優しいお父さんに戻ってくれるかもしれない。
そしてその期待は決まってそう遠くないうちに、打ち砕かれる。
「高校がバイト禁止じゃなかったらな。そしたら少しは働いて、お父さんの助けになれるのに」
悲しい連鎖をどうにかして断ち切りたい。
その想いが日に日に強くなるほど、自分にできることの些末さに歯をくいしばる。
「いつも、服にお金はかけないって決めてるんですけど」
本来なら美しい物事や夢見ることが大好きな少女である。
ふつうの家庭に育っていたなら、相応に着飾りもしただろうに。
時折見せるこういう実際的なところがたまらなくなる。
締め付けられる自身の胸から視線を逸らすように、幾夜は夢未をもう一度見る。
しかし、服装だけでこうも印象が違うのか。
あまりに見すぎたのか、夢未は恥ずかしそうに右の編み込みの房をかきあげた。
「星崎さんにも見てもらいたくて、来ちゃいました」
幾夜は笑った。
自分は彼女とは違う。顔色を操作することくらい造作ない。
無邪気に破顔する小さな顔には、微笑を。
「うん。よく似合うよ」
「一足遅いです」
だが、ぷくりとふくれる彼女を見たときは、心から笑いがこぼれる。
「そうだ」
笑った拍子にふと思い至った。
「これから休憩なんだ。少し外に出ない」
着飾った年頃の女の子を連れていくところではないけれど。
「え」
まぶしさに細めた瞳をそのままに、幾夜は夢未をいざなう。
「行こう」
戸惑いと、そしてかすかな期待に見開かれた目と。
小さな顔を染める、頬紅のせいばかりではない朱には、気づいていなかった。
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