第27話

 ややあって、幾夜は息を吐いた。

「……わかった。通報はしない」

 ほっと夢未が肩を降ろす。



「ただし条件がある」

 彼女の頬をとり、幾夜は自身と向き合わせた。

 一分の曇りもあまさず見ようとするかのように。



「病院に行きなさい。今すぐに」

「……え」

 まだ涙にぬれている瞳が、あまりにきれいな瞳が、ふしぎそうに幾夜をとらえる。

「わたし、どこも悪くなんて」

「心のだよ」



 子りすの目が、見開かれた。

「きみは今すぐ、労わられる必要がある」

 幾夜はそっと、その両手をとった。

「夢ちゃん。今はぜんぶわからなくてもいい。でも、よく聴いて」

 声を落として、一度息を飲み、やはり、告げた。



「試みられなかった魂はいつか、復讐を始める」



「わたしが、復讐する?」

 幾夜はかすかにうなずく。

「それはきみが優しいからとか素直だからとか、そんな理由で抑えられる問題じゃない。むしろ、優しくて素直だからこそ、いつかの復讐の矛先が、お父さんではなく、自分自身に向けられるんじゃないかって……。オレはたまらなく、怖いんだ」

 りすがどんぐりをそうするように、夢未は頭をかたむけ、懸命に言葉を咀嚼する。

「よくわからない、です」

「いつか、わかるときがくる。甘んじて暴行を受けてしまいつづけると、復讐の種は、身体のなかで芽をふき、気づいたときには、とりかしのつかない状態になっている。復讐の木の枝がきみの全身を縛り付けて、もう動くことも、声を発することすらできなくなって」



 そこで、幾夜は言葉を切った。

 今は少しでも、植え付けられてしまったその邪悪の芽を鎮めるために。

 首をかしげる少女の呼吸が、それでも平生の速度を取り戻しつつあることを確認すると、

「行こう、夢ちゃん」

 幾夜は夢未の手をとり、病院へと向かう。

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