Act35.夢未 ~胸元の氷嚢~

第97話

 星崎さんのお住まいは、そこから歩いて三十分くらいの、都心の外れある、きれいなマンションでした。

 ガラスの自動ドアをくぐって、エレベーターで七階へ上がって、オートロックらしいドアをくぐって。

 そのあいだ、わたしはずっと、彼の腕に抱えられていました。

 入ってすぐ隣に寝室。奥にリビングとキッチンがあって。

 リビングの一つの壁はぜんぶ本棚。きれいな装丁の外国の本もあるのを見たときには、思わず歓声を上げそうになってしまいました。

 リビングのソファにわたしを下ろすと、星崎さんは救急箱をとってきてくれました。

「ほんとうは、すぐにでも病院に連れていきたいけれど。今日は日曜だから」

 そう言って包帯や塗り薬を取り出して、ガラステーブルの上に並べていきます。

 彼は、初めに頬、次に腕、足と、薬を塗って包帯を巻いていってくれました。

 そうされるとふしぎと、傷んでいた箇所が楽になったように感じます。

 最後に、こめかみを氷嚢で冷やしてくれたとき、わたしは思わず独り言ちました。

「気持ちいい……」

 心からそう言ったのに、それを聞いた星崎さんはどうしてか、泣き出しそうな顔をして。


「じっとして」



 囁くようにそう言うと、その手を、わたしのブラウスのボタンにかけました。



 一つ、また一つとボタンが外されて、胸元が露わになっていきます。

「ほ、星崎、さん……?」

 びっくりして、ただ名前を呼ぶわたしに、しっと、彼は黙るように合図します。

 次の瞬間、右胸の上の部分に、ひんやりとした感触がして、星崎さんがそこにも氷嚢を当ててくれたこと、そして、階段から落ちた時にひどく打ち付けたその部分が腫れあがっていることに気がつきました。

 ゆっくり、外したボタンをかけていくと、彼は黙って、わたしをまた抱き上げました。

 再び降ろされたのは、寝室のベッドの上でした。

 こんなときなのに、心臓が飛び出そうなほど、ばくばくと脈打っています。

 するりと、さきほど冷やしてもらった頬を彼の手の甲がなでてきます。



「目を閉じて」

 静かだけれど、有無を言わせぬ声でした。

 でも、わたしはなかなか言うとおりにできません。

 今ここで目を閉じたら、どうなるか――。

 それを待ちわびているような、そして、それを怖がっているような。

 よくわからない気持ちがないまぜになって、いたずらな波のように心のあちこちにぶつかっていきました。

 けっきょく、閉じることのできない目が次にとらえたのは、彼の笑顔でした。

「もう、だいじょうぶだから。ゆっくり寝なさい」

 部屋の窓辺に歩み寄ると、カーテンを閉め、部屋を後にしていきました。

 直前に、

「すぐ隣の部屋にいるから」

 そう言って。

 人工的に作られた安らぎの闇の中で、わたしは目を閉じました。

 少しのがっかりと、恐ろしいくらいの安心感に包まれて、いつしかほんとうに、わたしは眠っていました。

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