Act7.夢未 ~ハイジの沈黙~

第12話

『青い鳥』という有名な本があります。

 書いた人は、メーテルリンクさんと言います。そう。チルチル・ミチルの兄妹が、幸せの青い鳥を求めてふしぎな国々を旅する、あれです。

 学校や図書館でいくつか絵本を読んだのですが、挿絵がきれいなものが多いんです。未来の国や思い出の国を彩るその色たちは、天国の絵の具でも使っているのかと思います。



 でも、私の印象にいちばん残っているのは、墨を流したようなカラス色のページ。

 戦争や病気がたくさん住んでいるという、夜の国のシーンなんです。

 おひさまが一日に別れを告げるころ。

 そして、やってくるもの寂しい時刻にふとベッドの中で、思うのです。

 ひょっとしたら今この部屋に、夜の女王がやって来ているんじゃないかって。

 それで夜になるといつも、お父さんはわたしを殴るのかもしれない。

 そう思ってしまったことに、夜の女王がまた怒ったのでしょうか。



 涙がでてきたのは、悲しいことがあった次の日。名作の部屋で、テーブルの前に腰を下ろしてからでした。

 はじめは一滴。徐々に数滴。とめどもなくなると、声を上げて泣きました。

 お父さんにとって、そしてきっと、お母さんにとっても、わたしがわずらわしい存在にすぎないことは、前からうすうす気づいていました。それなのに、それを想うたびえぐられるように痛いのはどうしてでしょう。

 疲れるとしばらく休憩を入れて、そしてまた気の済むまで泣きました。

 何度休憩をはさんだときでしょうか。

 ふいに、となりに気配があることに気がつきました。

 険しい顔で、星崎さんは言いました。



「お父さんになんて言われたんだ」

 そんなことを言われたら、いっそう涙が出てきて、ただ首を横に振ることしかできません。

 その表情に似つかぬ柔らかさで背中をなでてくれ、彼は言いました。

「心にたまってることは言わなくちゃ」

 火がつけられたように、わたしはぱっと顔をあげました。

「どうして?」

 頭にあるのは、やりきれなさと、いっぱいの悲しみ。そして、かすかな怒りでした。

「やめてとか、痛いとか、言いたいこと言うと、お父さんは怒ります。怒られて、たたかれて。それなら黙ってたほうがぜったい、いい」

 黙っている、と言ったくせに、それに続いて喉から出たのはとどろくような泣き声でした。

 しばらく、わたしは狂ったように叫ぶ自分の声だけを聴いていました。

 そのあいだも、脳裏にはっきりと映っていたものがあります。



 真っ黒い、ピストルです。



 お父さんはあれをいつも、家の引き出しにしまっていました。

 たまに取り出しては、細くなって真ん中に寄った目で、じっと眺めているのです。

 昨日家に帰ると、お仕事に行ったはずのお父さんがなぜか家にいて、


 また銃を眺めていました。

 そして一人で星降る書店に向かったことが知れて、 怒られました。

 小さいころいっぱい本を買ってくれて、物語の話をしてくれて。



 世界一やさしいお父さんだと思っていた人が。

 夜の女王がお父さんにあれを与えたにちがいない。

 わたしは繰り返し自分にそう言い聞かせていました。

 さすがに危険な道具のことは、星崎さんにも言いませんでした。

 一緒に過ごしてきて、この人がまるで自分のことのようにわたしを心配してくれていると、わかっていたからです。

 泣き続けることに疲れてまた一休憩いれざるをえなくなると、星崎さんははじめて言葉を継ぎました。



「アルプスで育ったハイジが大都会に連れてこられたとき、そこで故郷の夢を見たよね」

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