Act6.幾夜 ~魔法道具の使い道~
第11話
「あ。星崎さんがいる。こんにちは」
名作の部屋で引き下げる本の選定をしていると、すっかりなじみになった夢未がやってきた。ランドセルを木の椅子に置くとすぐ、本に飛びつく。
「今日は『メリー・ポピンズ』なんだね」
幾夜がそう言うと、弾んだ笑顔が返ってくる。
「はい」
椅子の上のランドセルのとなりには、きちんとたたまれたパーカーがある。
ともに過ごすうち、いやでも気づいたのは、ふつう以上に、この娘のしつけがよくされていることだった。
決して最初から愛情を受けていない育ち方ではない。
だが、同時に深く傷も受けていた。
再会した日、この子が棚にあった『赤毛のアン』の本を取ろうと背伸びをした拍子に上がったパーカーから覗いた腰には、くっきりとしたあざがあった。
それが身体のあちこちにあるのにも、気づくまでにそうかからなかったのは、彼もまたひどい親のもとに生まれついたからだろうか。
「メリー・ポピンズっていいなぁ。お花で飾った帽子もかわいいし。オウムの柄の傘を広げて東風に乗ってどこへでも飛んでいくんです。学校から星崎さんのいるここまでだって来れるかも」
本の選定に一段落つけて、椅子に腰かける幾夜の首に、夢未が後ろから抱きついてくる。
その手をぽんぽんとたたく。
生い立ちの相似を抜きにしても幾夜と夢未は奇妙に馬があった。
夢未は本の中の世界で見てきた魔法や住まいを空想の中で自分のものにすることがたびたびで、少女らしいその無邪気な発想が、幾夜の耳には新鮮に、心地よく響く。
かつて自分も同じことを思ったかもしれないと、遠い記憶をたぐりながら、言葉を返す。
「そうだね、本の万引き犯とか、傘をふりまわして撃退してくれたら助かるかな」
「えーっ」
けたけたと笑う彼女を見て、ほんのわずかなあいだに、ずいぶんいい表情をするようになったと思う。
「星崎さんは? なにがほしいですか。メリー・ポピンズの魔法グッズだったら」
知らず、笑いがこぼれる。ほしい空想上の便利道具を語るとき、普通ならアニメのキャラクターを例に挙げるところを、彼女の場合素材がなんとも古風である。
夢にあふれたその問いかけに答えるのは、苦ではなかった。
「うーん、そうだな。……魔法のコンパスはいいよね」
メリー・ポピンズが持つ、針の指す方角に移動できる道具だ。
「あれがあれば、世界旅行だってしほうだいだし」
幾夜の首に手をまわしたまま、椅子の後ろで夢未がぴょんぴょん跳ねる。
「あっ、それいい。やっぱり、わたしもそっちで!」
「だめ。オレがさきに思いついたんだから。交換不可です」
「えー」
振り返ってその笑顔を見ながら、ひそかに思う。
もし、魔法のコンパスがあったなら。
この娘の心の中にもいけるだろうか。
たくさんの傷がついた小部屋を、本に出てくる優秀なナニーのように、指をすべらすだけで、居心地のいい寝床に変えられるだろうか、と。
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