第52話
彼が、言葉を止めました。
「ひきとってくれる人の書類を燃やしたのは、星崎少年本人、だったんですよね」
真相の肝をはっきりした声音で、告げていきます。
誰もいない職員室に入ることができた人物は、ただ一人。
ありえないと思ったけれど、それが唯一残った選択肢。
消したくても消せない、地獄の業火のような真実でした。
無表情のまま、数秒静止し――彼がふっと声を漏らしました。
「さすがは名探偵。正解だ」
有能な探偵を演じるのは、ここまでが限界でした。
わっと顔を覆って、わたしは犯人に、咎めるような声を発していました。
「どうして。どうしてそんな悲しいこと。わかりません。いくら名探偵でも、その動機は、わかりません……」
カフェの窓から道行く人々を見据えて、彼は真相を語りだしました。
「……車の中に置き去られ、両親に火をつけられたのは、殴られる日々からはじめて逃げ出した晩だった。でもけっきょくはつかまって、酷い仕返しを受けたんだけど。『自分たちが食わせてやっているんだから、子どもに反抗する権利などない』。それが彼らの言い分だった」
お父さんが持つのと似ている理論だと思いました。
それは黒い呪文のような理論。
子どもに反論や抵抗、意志すら、いっさいの力を奪っていく、すさまじい威力を持つ理論でした。
「施設に保護されてからも、誰かを頼ると、見返りを要求されるという考えは、その当時オレの身体に刷り込まれていて。だから、誰の力も借りないで生きたかった。そうしないかぎり、永遠に自分の人生は手に入らない。そう思った」
そこまで一気に語ると、星崎さんの横顔が、ふっと笑ったように思いました。
「今考えたら十三そこそこの少年が一人で生きていくなんて馬鹿げているけどね。でも当時は真剣だったな」
人さじの憐憫も苦渋もうかがわせず、あまりにいつものように穏やかに、紡がれる言葉。
「いつものように誰もいない職員室に、絵本をとりに行ったとき。ふいに書類の束が目に留まって。それが当時のオレには自分を支配したがる悪魔の書のように見えたんだ」
ひねくれてたね、我ながらと、おどける口調に、涙が出そうになります。
「そりゃ、そうだよ。星崎さん」
二つの手を手の甲でふさぐその一瞬前、ぽつりと漏らした言葉に、彼がこちらを見た気がしました。
「一番愛してほしいお父さんとお母さんに家にとりのこされて火をつけられたりなんかしたら。わたしだって、思います。もう、誰とも生きていたくない――っ」
ぽろぽろと落ちていくわたしの涙を、ハンカチでぬぐいながら、彼は囁きました。
「泣かないで」
清潔で柔らかな布の香りが、頬を包んでいきます。
「きみのように、いつでも笑っているべき子が。オレなんかのことで泣いたらいけないよ」
小さな子のように顔をぬぐわれながら、情けない心地でわたしは思います。
星崎さんを助けたくて、謎を解いていったのに。
これじゃ。これじゃ、あべこべです。
力なく、そうわめき続けるわたしに、星崎さんは、続けました。
そこには相変わらず一声の嘆きもなく、ただそっと、物語の最後のページを繰るように。
「何枚目かの書類を焼いていた時、声をかけられたんだ。そんなに人の世話になりたくないか、と」
そこではじめて、わたしの顔中に訪れた雨は、勢いをそがれ出しました。
涙をぬぐってくれる布は多分に水気を吸って、もうぐちゃぐちゃだったけれど。
「その人は言ったんだ。――だったら知恵をつけなさい。誰より書物を読むのです。無知は他者への隷属を意味する。裏を返せば、自由を得るただ一つの方法は、世界を知ることなのです。世の中の仕組みを、先人の思想を知り、自分の頭で考なさい」
手の甲の隙間から、そっと外の世界をうかがうと。
「オレはその人にひきとられ、育てられることを選んだんだ」
窓から射し入る午後の日差しを受けて、事件の犯人の瞳は、優しく微笑んでいました――。
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