第34話
「放っておけないからかな。同じ運命を生きる同士みたいに感じたのかもね」
夢未は顔を上げた。瞳がかすかに光っているのはちらほら現れ始めた星のせいなのか。
「十二歳まで、施設で育ったんだ。親に恵まれなくて。本が友達だったのもきみと似てるかな」
「……そうなんですか」
かみしめるようにうつむくと、夢未は疑問を継いだ。
「そのあとは?」
「里親に引き取られて、その人のところにいた。とてもよくしてくれたんだ。大学にも行かせてくれたし」
「栞町大学ですか。すぐそこの」
幾夜はうなずいた。
「すごいな。有数の国立大学なんて。がんばって勉強したんですね」
自分を引き取って育ててくれたその人のような、人の心に響く言葉をつむぐ教育者に、憧れていた。
「卒業はできなかったけどね。在学中にその人が亡くなったから」
だが、志していた道を半ばであきらめ、事業をはじめる、その決断は早かった。
育ての親のその人は、遺産も少なからず残してくれようとしたし、その細君も、勉学を続けることを勧めてくれたが、大学で教鞭をとって自活できるようになるまでには相応の在学期間と学費を覚悟しなくてはならない。そこまで彼らを煩わせてまで志を大成しようとは、どうしても思えなかった。
「……なんで自分ばっかり、つらいんだろうって、思わなかったですか」
「何度も。道を折れるたびに思った。同じ夢をもって、成功してる人をねたんだし、うらやんだりもした」
自分から訊いておいて、夢未が驚いたように声をもらす。
「星崎さんが。ぜんぜん、そんなふうに見えない」
そうだろうか。
そうだとしたら。
幾夜は無限に続くオレンジと紫の宙をあおぐ。
「今は、まんざら悪くないと思ってるからね。折れてきた道たちの、そのおかげでかわいい友人とも出会えたし」
うつむいた夢未の顔はかすかに微笑んでいて、それを見ていると懐かしいような、切ないような気持ちが込み上げてくる。いつしか、その髪をなでていた。
「不思議な気持ちになる。きみと過ごしていると。愛おしくて、少し痛くて、ずっと求めていたような。マシューやマリラとか、アルムのおじいさんとか。子どもをひきとった、彼らの気持ちがよくわかる」
星々が、街の宝石が、ささやくように、幾夜に語りかける。
刃の乾山のようなこの世は、透明度の高い宝石もまた有しているものです。分厚い暗雲にまみれたひとかけらの雪の結晶のように、それを垣間みる一瞬がある。
言葉にとうていしがたいそれらを記したのが、児童文学なのです。
「童話の海に漕ぎ出すのは、宝石工房を巡っていくようなものかもしれない」
自分だけの原石を見つけに行くのだ。
それは時に自分自身の心を反射し。
同じ想いを得た時代も国も違う誰かの言葉に磨かれたそれは、ときに、現実の生活の中で感情を覚えたそのときよりも、燦然ときらめき。
「きみは言ったよね。外国の本を開くと、ぜんぜん違う世界にいけるって」
彼女からその言葉を聴いたとき、胸が痛んだ。
魔法の国や異国に救いを見出すその小さな姿が、おかれているその場所におびえていることをいやでも感じさせられたから。
「違う世界への扉はね、いつも思わぬところにあるんだ。まっすぐに続く、大きなメインロードじゃなくて」
赤毛のアンも言っていた。
曲がり角のむこうに、幸せがある。
「本の中で、アリスが不思議の国に迷い込んだのは、うさぎをおいかけて飛び込んだほんのちいさな穴だったし、メアリが見つけたひみつの花園は庭園の奥、さびれた扉の向こうだった」
「そういえば。……『ナルニア国物語』でも、魔法の国への入り口はタンスの中でした」
うなずいて、頭から手を離すと、最後に一つ残ったサンドイッチを、夢未に差し出した。
真っ赤なルビーのようないちごが、クリームといっしょに挟まっている。
「まっすぐ、思い通りの人生を生きていくのが、ほんとうの幸せかは案外わからない。少し道を外れたところに、オレだけの楽園の鍵があるかもしれないって。いつからかそう思うようになったんだ」
空になった空き缶を片付けてベンチから立ち上がり、幾夜は夢未に手を差し出した。
「夢ちゃんもいつか、自分だけの宝物を見つけられるといいね」
一心にこちらを見てくる小りすのようなその目は、街の海のどの宝石よりみずみずしく光っていた。
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