堕天-フォールダウン(一)

 聖歴一〇八年一一月。


 ようやくヨイザカ海軍基地に戻ってきたソロネと私がまず最初にしたことは、港湾地区でカレーを、屋台で紅しょうが抜きのたこ焼きを、丘の上のキッチンカーでジェラートを、それぞれ買い食いすることだった。いつもの笑顔にいつもの味、「おかえりなさい」という言葉がなんだか心にみる。




 そしてこの日は畑のじゃがいも掘り。ヨイザカ基地ではある程度食料を自給できるよう、じゃがいも、さつまいも、かぼちゃ、玉ねぎ等を敷地内で栽培している。その大部分は重機を使用して一度に収穫するのだが、こうして周辺地域の住民を集めて手作業で収穫体験を行う場所を残してくれているのだ。


 指定された時刻に集まってみれば、地域の子供たちが二十人ばかり。いずれも両親に連れられて可愛らしい両手に大きすぎる軍手をはめている。人見知りのソロネも最初こそ私の後ろに隠れて周りの様子をうかがっていたけれど、いざ作業が始まると夢中で土を掘り返し始めた。


「見て見て、でっかいのれた!」


「ほんとだね。何にして食べようか」


「ええとね、ポテトサラダ!」


「わかった。じゃあ作っておくから明日食べようね」


 小さな手に収まりきらないほどの大きなじゃがいもを顔の横に掲げて満面の笑みを見せるソロネ。来てよかった、この子には私達にとって当たり前だったこと、普通の子供がするような体験をさせてあげたいと常々思っていたのだ。




「悪代官ごっこしようぜ!」


 一通りじゃがいもを掘り終えて子供達が退屈し始めた頃、その声に顔を上げたソロネ。集まった五、六人の子供をしばらく目で追いかけていたので、行ってみたら? と背中を押す。


「ジャンケンで負けた奴が悪代官な!」


 その後どう話がまとまったのかわからないけれど、ジャンケンに勝ったソロネが「上様うえさまになる」と言い出して、手にした棒切れで五人の悪代官をばっさばっさと斬り捨てるというよくわからない活劇が収穫を終えたばかりの畑の上で繰り広げられた。


「ひかえおろう! このノンドトロが目に入らぬか!」


「ははー!」


 斬られたはずの悪代官どもが平伏したのを見て満足した悪魔は、棒切れを捨てて私のところに帰ってきた。


「楽しかった?」


「うん!」


 後で聞いたところによると『本物のあくだいかん』であるタロー・タモザワ首相に会ったソロネは、悪代官を懲らしめる『うえさま』になることにしたのだそうだ。ちなみに発音が怪しかった紋所もんどころというものが何なのかは、本人もよくわかっていないらしい。




 二〇五〇フタマルゴーマル時。ソロネの希望に応えてポテトサラダを作ろうと厨房に向かうと、ごりごりという耳慣れない音が聞こえてきた。この時刻、この音に嫌な予感を覚えて扉を開けると、予想通りの人物がそこにいた。


「ちょっとメリリム! 何やってんの!」


 やっぱり。お酒のさかなに困った悪魔メリリムが、ソロネと今日収穫したばかりのじゃがいもを生のまま食べていたのだ。面倒でも狭くても自室に置いておけば良かったと後悔する。


「よう、ミサキ。ちょいと頂いてるぜ」


 悪びれもせずにまた生のじゃがいもを口に運ぶメリリム、彼女のその行為自体は特に珍しいものではない。もともと悪魔に調理という発想は無く、魔界では果実も獣も生のまま喰らうか、せいぜい火であぶる程度だったそうだから。それが一〇〇年余りにおよぶ人間との共存生活の中で次第に適応してきただけのことで、この子のように以前の習慣を色濃く残している者もいれば、ソロネのように牛乳を飲んでお腹を壊すほど人間に近くなった者もいる。


「もう。料理してあげるから、ちょっと待ってて」


 手早くエプロンを身に着けて鍋を火にかける間にも、メリリムはまた土がついたままのじゃがいもを口に運んでいる。

 彼女の容姿は人間でいえば二十歳そこそこの豊満な女性で、穴の開いたジーンズからも、サイズの小さいシャツの下からもところどころ褐色の肌が覗いているのがなまめかしい。実際には悪魔にも天使にも性別は無いのだけれど、人間から見ると悪魔の容姿は女性に近く、天使の容姿は男性に近く見えるようだ。




 一番大きな鍋でじゃがいもをでることしばし。盛大に湯気を立てるそれに塩辛を乗せて差し出すと、メリリムは可愛らしく小首をかしげた。

 どうやら悪魔にとっても意外な組み合わせだったらしいけれど、これはじゃがいもの産地である故郷のイナ州でよくきょうされるお酒のさかなで、お父さんが好きだったのを子供ながらに覚えていたものだ。それを豪快に手掴みで口に放り込んだ悪魔が目を丸くする。


「こいつはいいを知ってるじゃないか。アンタもるかい?」


「飲まないよ!? 私まだ十六歳だもの」


「相変わらずマジメだねえ。アタシだってまだ十八歳だぜ?」


「この前一〇一八歳だって言ってたよね?」




 でたじゃがいもを潰してマヨネーズとえつつ、先日のヴィラ島沖海戦にてウェリエルの仇である天使サリエルと交戦したことを告げると、メリリムの赤みを帯びた目に鋭い光が宿った。よく生きて帰ってきたなと、それまでとは違う低い声でつぶやく。


「サリエルは人間わたしたちの言葉を知っていたみたい。他にも意思疎通ができる天使がいたりするの?」


「いるよ、かなり珍しいけどな。そもそもサリエルが人間に興味を持ったのは、仲間だったウェリエルの影響だ」


 そう、と言いかけて私は鍋に落としていた視線を上げた。ウェリエルが何だって!?


「えっ、今なんて!?」


「ウェリエルのことか? あいつは堕天フォールダウンした天使だ。確か第五位階だったかな」


堕天フォールダウン』という言葉は聞いたことがある。神を信じられなくなった天使が神罰を受けて悪魔に身をとす、その際翼は黒っぽく変色し、容姿そのものも変貌するのだと。言われてみればウェリエルの翼の形状は天使のそれに酷似している、だが他に例がないわけではないし、悪魔の翼の形は細かく見れば千差万別と言って良い。


 メリリムが言うには、力天使ヴァーチェであったウェリエルは魔界侵攻の際に捕らえたソロネを第一位階天使の生贄に捧げるよう命じられたが、それに耐えられず堕天フォールダウンしたというのだ。


「じゃあ、ウェリエルはソロネの本当のお姉さんじゃないの?」


「そういう事になるな」


「なんでそんな大事なこと黙ってたの!」


 だがテーブルを叩かんばかりの私に対して、メリリムは一瞥いちべつをくれただけだった。お前もソロネの本当の姉じゃないだろうが、そんなに大事なことか? と。

 でもこの子だけでなく、ソロネからもそんな話を聞いたことがない。いや、ソロネは自分の過去やウェリエルについてあまり話したがらなかったし、私も聞くのを避けていたのだ。


「ま、今まで言わなかったことは謝るよ。正直なところ、お前がウェリエルの代わりになれるかどうか様子を見ていたんだ」


「……今それを教えてくれたってことは、私がソロネのお姉ちゃんだと認めてくれたと思っていいの?」


「まあな。それを決めるのはアタシじゃなくてソロネだけどな」


 かなり釈然としないものがあるけれど、とりあえずこの子が私を認めてくれたことは良しとしようと割り切って、ようやく出来上がったポテトサラダをテーブルに乗せる。


「それも旨そうじゃないか。ミサキもるかい?」


「だから飲まないって!」


 軍規ではなく皇国法でお酒は二十歳からと決まっているし、それほど興味も無い。でも――――もし私がお酒を飲める年齢だったとしたら、今がまさにそうするべき時なのかもしれない。


「教えてくれない? ウェリエルのこと」


「ああ、いいぜ。あれはこっちの時間で二千年くらい前だったかな――――」


「さっき十八歳だって言ったよね?」


 私の皮肉に構わず、メリリムは遠い目をして話し始めた。ウェリエルとソロネ、そしてあのサリエルのことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る