敵ノ防衛線ヲ突破セヨ(一)

 一二月二四日。この日は朝から時折り雪がちらつき、兵士も魔女も鉛色の空を見上げては両手に息を吐きかけている。


 皇国軍はスルガ海峡海戦に勝利し、将兵一万二〇〇〇名と車両五五〇台の上陸に成功。イナ州南岸地帯に大規模な橋頭保きょうとうほを築いた。それはつまり星形城塞ザリュウガクを攻略せよという『しょう作戦』は第二段階までの成功を収めたことになるのだが、以降の戦況はかんばしくない。




 去る二二日、ルルジア連邦軍の防衛線突破を試みた皇国軍は陸上戦力の一割に近い人員三五〇名、車両四五台というという損害をこうむった。猛将として知られる陸上軍司令官ガイ・テラダ中将もさすがに無理を悟り、歯噛みしつつ攻撃の中止を決定したという。


 この攻撃が失敗に終わった要因としては、皇国軍の進軍経路にルルジア連邦軍が塹壕ざんごうを巡らせ、地雷を敷設し、火力を集中して待ち構えていたことが挙げられる。

 これに対し皇国軍は亀の甲羅のごとき重装甲を誇る一式重戦車の前部に簡易的な地雷除去機構を取り付けた、通称『出歯亀でばがめ戦車』を先頭に突破を図ったのだが、想定以上の密度の地雷原と携帯型対戦車砲に前進をはばまれ、立ち往生したところに集中砲火を浴びてしまったのだ。


 また、私達航空戦隊もザリュウガク城塞から発したと思われる天使の妨害を受け、航空優勢の確保には至らなかった。少しでも地上戦の支援ができれば戦況が変わったかもしれないというのに、自分の力不足がもどかしい。


 いずれにしても陸上戦力に余裕がなくなった皇国軍はこちらも塹壕ざんごうを掘り、攻撃を控えて本国からの増援を待つ他にない。早くも戦線は膠着こうちゃくし、三魔戦はスルガ海峡にて待機中の戦艦クラマを拠点に偵察飛行を行うのみとなっている。




「うう、さむさむ。また雪降ってきたわー」


 偵察飛行から帰ったコナ准尉が両腕をさすりつつ、いつもの更衣室兼待機室に入ってきた。温暖な皇国南部出身の彼女は裏起毛きもう航空黒衣フライトローブの下に伸縮性のある下着インナーを着込み、さらに私が編んであげた毛糸の腹巻とパンツを穿いてもまだ寒いらしい。


「お疲れさま。コーヒーれたよ」


「てんきゅー。気が利くねえ」


 コナちゃんは湯気の立つピンク色のマグカップを受け取り、だが手渡したコーヒーにもすぐには口をつけない。彼女は寒がりで猫舌という面倒な体質をしているのだ。


 今、この更衣室兼待機室には三魔戦の全員が顔を揃えている。それなりに広いこの部屋もソロネとロクエモンも含めた十三人と一匹が入るとさすがに狭く、六人掛けの応接セットと二客の丸椅子、鏡台と同じ意匠の化粧道具が入った木箱からあぶれた四人は思い思いに寝転がっている。


「みんな揃ったわね? それじゃ、メリークリスマス」


「メリークリスマス!」


 ユリエ少尉が応接椅子から立ち上がり、幾何学きかがく模様が描かれたグラスを掲げると、全員がマグカップを掲げてそれに唱和した。

 それぞれの前には三角形に切り分けられた白黒二色のケーキとマグカップに入ったコーヒー、まだまだ子供なソロネとカンナちゃんのそれにはミルクと砂糖がたっぷり入っている。ミルク少々と角砂糖一個で済ませた私はちょっとオトナと言って良いだろう。


 スポンジの間にいちごが挟まった真っ白なケーキはクリスマスを祝って艦内の全員に配られたものだけれど、生クリームが盛りすぎな上に色とりどりのフルーツがたっぷり乗せられているのはソロネの仕業しわざだ。厨房へケーキをもらいに行った際に目をきらきら輝かせて「もっと乗せて! もっともっと!」と言われては責任者のヒロさんも断れなかったらしい。


「昔、クリスマス休戦っていうのがあったらしいわよ」


 ユリエさんの頬が微かに染まっているのは、既に中身が半分ほど減っているスパークリングワインのためだ。細くてしなやかな指がお洒落しゃれなグラスを摘まみ上げてつややかな唇に運ぶ、なんだかオトナなその所作を見ていると変にドキドキしてしまう。




 そのユリエさんが言うには旧世紀の古い時代、ある戦場で冬の夜に両軍の塹壕ざんごうからクリスマスを祝う歌が聞こえてきた。郷愁きょうしゅうを誘うその歌に兵士達は戦意をがれ、翌朝になると次々と塹壕から這い出して自然に停戦状態が生じたのだという。その日ばかりは両軍の戦死者の遺体を回収して合同埋葬式を行ったり、お酒や煙草たばこを交換したり記念写真を撮ったりしてつかの間の交流を楽しんだのだそうだ。


「でもそれは長くは続かなかったの。翌日にはまた戦闘が再開されたし、勝手な停戦状態を良く思わなかった上層部はこれを認めず、翌年以降クリスマス休戦が生じることはなかったそうよ」


 そういうものだろうと思う。親しい人を殺した相手を許すことができない兵士は多いだろうし、現場で勝手に戦闘を始めたりめたりされては作戦行動など取りようもない。

 ただその出来事が心を揺さぶるのは、相手も自分達と同じように好きで敵を殺しているのではないことを信じたい、相手にも信じてほしいという、人間が持っている『共感』という可能性なのかもしれない――――


「あら。お姉さん、しんみりさせちゃった? これだからオバサンって嫌よねえ」


 なんだか重くなり始めた雰囲気を敏感に察したのか、ユリエ少尉は酔ったふりをして明るく笑ってみせた。それに乗っかったのは無神経に見えて実は空気が読めるカンナちゃん。


「お姉さんなのかオバサンなのか、どっちなのさ!」


「微妙なお年頃なのよ。カンナちゃんも都合のいい時だけ子供になるでしょう?」


 いくつかの言葉のやり取りに湧く女だらけの室内。私はせっかく良くなった雰囲気を壊さないように曖昧あいまいな微笑を浮かべつつ、両手の中のコーヒーに視線を落とした。今を生きる私達に休戦という選択肢は無いのだろうか。


 侵略者である天使とは意思疎通ができず、天使に従う人間と天使に逆らう人間とがあい争い殺し合う。私自身も復讐の衝動にあらがうことができなかったのだ、クリスマスだろうがお正月だろうが休戦など望むべくもなく、どちらかが滅びるまで争うしかないのだろうか。



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