悪魔のおにぎり(一)


 ヨイザカ港を発った第七艦隊は進路を南南西にとった。目的地は遥か四〇〇〇キロメートルの海の彼方、現在シエナ共和国の勢力下にあるフェリペ諸島。

 艦隊の巡航速度は約十四ノット、途中の寄港と補給も含めて順調に進めば十日余りの航海だという。


 戦艦『クラマ』の乗員は五三〇名。古い時代に同規模の戦艦を運用するにはこの四倍もの人員が必要で居住性は劣悪だったそうだが、自動化と省力化が進んだ現在では大幅に少ない人数での航行が可能になっている。

 人員が少ないということは人間が消費する食料、水、居住空間その他に余裕が生まれるということだ。そのため一般兵にも二段ベッドの六人部屋が、士官以上には狭いながらも個室が与えられている。年頃の乙女としては有難い限りだ。


 そればかりか空調も完備、海水を濾過して使用するため毎日シャワーを浴びることもできる。食事も様々なメニューが日替わりで提供されて快適な生活を約束されているけれど、やはり楽なことばかりではない。

 緊急出動スクランブルの当番であれば五分以内に発艦しなければならないため、常にフル装備での緊張状態を強いられる。近距離の偵察飛行は私達の役目だし、一度飛行を行えばユニットの整備メンテナンスが必要になる。私達はお客様ではなく艦隊の一員なのだ。




 とはいえ今はまだ自国の勢力圏内、偵察の頻度も低いし完全休息の時間もある。ユリエ少尉を通じて艦長に許可をもらい、この日立ち入らせてもらったのは居住空間の後方にある厨房。艦内の食事に興味を持ったソロネがどうしてもお手伝いをしたいと願い出たのだ。


 ソロネの黒髪を二つのお団子だんごにまとめ上げて白い帽子をかぶせ、翼を折り畳んだ小さな体の背中でエプロンの紐を縛ると、小学校の給食当番を思い出して懐かしくなった。この子にも普通の子供のような経験をさせてあげたいと、無理なお願いをして良かったと思う。

 大きな把手とってが付いた銀色の扉をよいしょと開けると、湿気を帯びた空気が顔にまとわりついた。広い部屋のあちこちから蒸気が上がり、白い調理服の方々が忙しく立ち回っている。


「やあ、来たね。話は聞いているよ」


「ミサキ准尉とソロネです。よろしくお願いします」


 さっそく声を掛けてくれた責任者のヒロさんは四十歳くらい、小太りで黒縁眼鏡の穏やかそうな人だった。ただ見た目に反して動作は機敏で、私達を案内しつつ指示を飛ばして自らも手を動かしている。五三〇名の食事を作るのだから当たり前といえばそうなのだが、朝食の洗い物や食器の整理と並行して昼食の準備に取り掛かっているようで、文字通り戦場のような忙しさだ。


「ここに炊き上がった米があるから、こうして軽く塩を振って、こんな感じ。やってみて」


「はあい。お姉ちゃんやって見せて」


「いいけど、私もそんなに上手じゃないよ?」


 ヒロさんは目にも止まらぬ早業を見せて数秒で三角形のおにぎりを作ってみせたのだが、もちろん私達にそんな芸当はできない。ソロネに至っては私の手元を見ながら首を傾げ、小さな手でこね回しては目の高さに掲げ、様々な角度から眺めては握り、一分ほどかかってようやく不格好なご飯の球体を一つ作り上げた。


「うん、上出来だ。頑張ってくれよ」


「はあい!」


 どう見ても人にお出しできるような代物しろものではないと思ったのだけれど、ヒロさんはそれで良いという。慣れてきたのでお米を握りつつ周りを見てみると、どうやら本来は既製品の冷凍おにぎりを解凍して提供するだけのところを、私達のためにわざわざ米を炊いて用意してくれていたようだ。手伝いに来たつもりが余計な手間を取らせてしまったようで申し訳なく思う。


「全部できたかい? じゃあそれを持ってカウンターに入って、受け取りに来た奴らに渡してくれ」


「はあい!」


 いつの間にお昼の時間になったのか、もうカウンターの向こうには数名の兵士さんが並んでいた。


「私達が作ったんです。形が悪くてごめんなさい」


「ごめんなさあい」


 一人一人に謝りつつ先程のおにぎり、焼き魚、お味噌汁、漬物が乗せられたプレートを渡していく。あまりに不格好で不揃いのおにぎりなので受け取りを拒否されるかもしれないと思ったのだけれど、誰一人としてそのような人はなく、むしろ喜んで食べてくれたようだ。

 この日以降、ソロネが作った昼食は『悪魔のおにぎり』と称して行列ができるほどの人気の品になるのだが、何故そうなるのか私にはよくわからない。




「んふぅ、おにぎり美味しいねえ」


「ソロネあなた、一番大きいの取っておいたでしょ」


「えへへへぇ」


 厨房のお手伝いが一段落して甲板でおにぎりを頂く。穏やかな海面にかもめが集まっているのは魚の群れがいるからだろうか。


 この平和な海がどこまでも続けばいいのに。でも現実にはこの海のどこかで艦砲が轟き、この空のどこかで翼ある機械と生物が油と血をまき散らしつつ喰らい合っている。天使という存在が無かった旧世紀でさえ人間同士は常に争い奪い合ってきたというのだから、きっと私が空想する平和な世界などというものは過去にも未来にも存在しないのだろう。

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